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2011年02月16日
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カテゴリ:島なみクラブ
 相撲の起源は垂仁天皇7年にある出雲の勇者野見宿禰と当麻蹴速が穴師の里で命を賭けたバトルをしたのが最初とされる。山辺の道の穴師坐兵主神社(あなしにますひょうすじんじゃ)の脇にその場所が残されている。(写真はそのバトル場のメモリアル・相撲神社)
これは、ヤマトの資源争奪の事件を説話として残されたものと言い、かたや・当麻蹴速(たぎまのけはやひ)は阿多隼人(あたのはやと)という阿多族の勇者であった。
 この事件は後に朝廷の恒例儀式のひとつ相撲節会として残され毎年7月に再現された。
相撲をとるとはスポーツとはいささか異なり我が国古代の天皇家と原住民代表との重要な事件を繰り返し再現し、思いを新たにすることにつながる俳優(おぎわざ)のひとつとされてきたことだ。ここでは左手の力士はアオイの花を差し(一説には賀茂のコトシロヌシとみなされ)、右手の力士はヒョウタンの花を差し(同様にワダツミとみなされた)、その最初の一番は実力の如何にかかわらずヒョウタンの花の力士が負けねばならなかった。ここには服属儀礼が再現されていたと考えられるが、国技の相撲はこうした儀式から発展したもので、その成立の当初から今で言う八百長をもっぱらとするものだったので、いわゆる近代スポーツの精神とは異なるものを含んでおり、だからといって八百長を認めるものでは決してないが、相撲という国技を我が国のスポーツの中でどう位置づけ、今後どう展開していくかについて改めて考え直す必要があると思っている。神事につながる祭祀としての一面と、スポーツとしての一面のどちらも活かす方途をさぐることで相撲界の将来も見えてくるように思われるからである。





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最終更新日  2011年02月16日 18時49分41秒
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