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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
写真は若いコツブタケの断面。時間の経過にともないすべてが胞子となり飛散する。 法隆寺ではコツブタケの野ざらし状態のこれに出会った。 そこできのこポエムは「身を粉にし役目終えたるコツブタケに春日あまねし」
インドの神さまは実に多様ながら、その手がかりとなるのは以下の通り。 まず、ヴェーダの神様。自然を神格化し、その卓越した力が尊崇され、儀礼と結びついて犠牲によって力をつけてきたようです。そして時代によってその役割と名称が変って行きました。 古いヴェーダでは、世界の創造者としてブラジャーパティ(Prajapati)で、ディアウス(Dyaus)を天、プリティヴィー(Pritivi)を地として、この二人を両親として他の神々は生まれてきたとされます。ただ、この両神は、インドラ神、ソーマ神から創られたとする2説があってなかなか複雑です。 リグ・ヴェーダでは、神々の数を33以上とし(一説には300、3000、39とも)、アグニ神を地、ヴァ―ユ神あるいはインドラ神を空とし、ス―リャ神を天としています。 しかしアーリア人がインドに定着してまもなく、ディアウスはインドラ神にとって代わられます。ディウスピタ―(天の父) これらの神々は不滅ですが、独立した存在ではなく、善を成し、犠牲を行ってアシュラや悪霊を打ち破ったことによって神となります。アシュラはインド以外の地では善神ですが、インドでは不善をなし続け悪役にされつづけ神格を与えられずアシュラのままにとどまります。お気の毒!。 時代は下ってプラーナの神は、第二聖典と位置づけられるラーマーヤナ、マハ―バ―ラタ、プラ―ナを典拠として、古代のバラモン中心主義と異なり、バラモン教の中心がシヴァ神、ヴィシュヌ神、とウパ二シャ―ドの中心的原理であるブラウマンの擬人化のブラウマー神の3神の信仰に変り、現在に至るヒンドゥー教の中心を成すようになります。 この3神を中心とする考えは、7世紀のグプタ朝に於いてすでに定着しており、土着の文化を吸収し、融合してきたことが知られます。 ここではヤ―ダヴァ族の長であるクリシュナは、ヴィシュヌ神の化身であり、ラーマーヤナのラ―マの化身でもあり、仏教創始者の仏陀の化身でもあるとされ、これらは部族統合の反映とみられています。シヴァ神もいくつかの性格を相(Murti、ム―ルティ)として表わし、地方の女神をシヴァ神の妃パールヴァティと同一視してシヴァ神崇拝と女神崇拝の密接な関係が生じてきます。 第二聖典の成立は、ラーマーヤナ BC300年頃。マハ―バ―ラタはBC200年頃、そしてプラーナはどんなに早く見積もってもAD8世紀以降で、プラ―ナではラーマーヤナ、マハ―バ―ラタの人物や英雄はすべて神となっていること、そしてヴェーダ時代は同じ神々を崇拝していたのが、プラ―ナに至っては一つの神の優越性を示し、他を非難し、あるいは化身として崇拝する形に変っている。この1000年近い時間の熟成作用の結果が、現代のヒンディーを創り上げているということは記憶にとどめておく必要がありそうだ。 仏教の神々も仏教側からは当初ヒンディーとの差別化をはかるため、仏陀はデ―ヴァではないとされ、Yakkha、Angiras、Nagaといった神霊にちかいものとされた。そして最盛期には仏陀はすべての神々を超えた存在とされる。アショーカ王の頃にはこの考え方がすでにみられ、小乗仏教諸派はこの考え方を支持し、大乗仏教もこれを継承した。グプタ朝以後、ヒンディーが隆盛になってくると、ヴェーダ―ンタ学派の哲学的思惟に拠って、これに対抗してヒンデ―諸神は根本の仏の現われに他ならないと説かれるようになる。大乗末期にこの考えが現われ、真言密教において顕著となる。仏教の曼荼羅にインドの神々が座を占めているのはそうした発想に基づいている。 ただ、ブッダという言葉は古いウパニシャ―ドでは単に「真理を悟った」というだけにとどまり、ジャイナ教でも、宗教の違いを超えて聖人、賢者のことをブッダとし、スッタニバ―タのような古い聖典ではブッダ=聖人、修行者のことを指している。
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最終更新日
2012年02月29日 21時22分39秒
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