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カテゴリ:ジャズきのこ
神戸の北野異人館通りを歩けば、ペーヴメントにこうしたさまざまな銘板がはめ込まれている。 ペンタトニック・クレオ―リョ ジャズる真夏の夜の茶漬け マダラーノフのきのこポエム 奴隷貿易の結果アメリカ大陸に移住させられたニグロたちの望郷のリズムとヨーロッパ音楽が混交し、クレオ―ル化した音楽がジャズだ。 エスニック音楽というのにおおよそ共通しているのはペンタ・トニック、すなわち五音階で、アフリカのニグロたちはヨーロッパ音楽の七音階のミ(E)とシ(B)を認識できず、この音を認識しようとすると半音ずらして発語する必要があり、それがミ音、シ音から半音スライドしたE♭、B♭を生じ、ジャズ・ブルースの根幹を成すブルー・ノ―ト・コードを招来したという。 それを理論的に説明したのがバリ―・ユラノフで、僕はその説を相倉久人氏の「現代ジャズの視点」(1980年代初頭)で読んだ記憶がある。こよなく愛したジャズメンの大半が鬼籍に入って、新曲が生まれずスタンダ―ド化(なつメロ化)していくばかりのジャズ音楽とつかずはなれずの日々を送りながら、僕はジャズの本来的に持っていたエモ―ショナルな情動の込められた音楽を求めて熱帯音楽に徐々に関心が移っていった頃のことである。 ワールド・ミュージックとは、僕にあっては、世界大戦後の戦勝国アメリカが上昇意識に支えられ舞い上がっていく時代に常にアンチ・テーゼをつきつけてきた最下層民衆の抵抗の音楽としてのジャズがやがて洗練の極をのぼりつめ、市民権を得て優等生化して行く中で失ってしまったものを、ジャズの来た道を逆に辿ることで再発見しようとした試みそのものであった。それは今はまったく書店から姿を消してしまったが、ジェームス・ボールドウィンの『もうひとつの国(Another Country)』『高きにのぼりて告げよ』『ジョヴァンニの部屋』などに魅せられた記憶を辿る旅でもあった。 ジャズの魂がブルーノートにあるとすれば、ペンタ・トニックはそのエスニック音楽のルーツを成すもので、わが国古来のヨ・ナ抜き音階もペンタ・トニック(五音階音楽)である。 僕のきのこシアターの音楽部門は、そうしたペンタトニックの新しい展開をもたらすミュージシャンたちとの連携の上に成り立つものとなるだろう。野性味あふれ、しかも洗練されているニュ―・ミュージック、民族主義とは全く反対のベクトルをもち、他者を心から愛するようになる民族の粋を集めた特殊かつ普遍的な音楽。 そんな意味でも、自身の心にどんな柵をもつくらず宇宙の塵となっても良しとする内田ボブさんの歌心や、エスニックと現代の葛藤を保ちつつ洗練を加えてやまない沖縄の島唄にとても共感を覚えるのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年09月14日 20時39分22秒
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