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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
釈迦族の王子だったゴ―タマ・シッタ―ルタは人はなぜ生まれ、老いて、死んでいくのかについて悩みぬき、こうした苦が生まれるのは自分とものへの執着から生じると思い至りました。この苦には生・老・病・死の四苦に加えて愛別離苦(あいべつりく・愛する者と別れなければならない苦しみ)、怨憎会苦(おんぞうえく・恨みあい憎みあう者と会わねばならない苦しみ)、求不得苦(ぐふとっく・欲しいものが得られない苦しみ)、五蘊盛苦(ごうんじょうく・心身の苦しみ)と合わせて八苦。四苦八苦とはこのことを言います。 五蘊とは存在を構成する五つの要素で色(身体と物質的なもの)と受・想・行・識(心の諸相)でこれを自分のものと認識してしまうことから執着が生まれるとされる。 したがって、釈尊が6年の修行の後、到達したものとは無我の境地だったと言えます。自分への執着をなくす。ものへの執着をなくす。仏の教えはこの二つをどう実現するかに終始するといっても過言ではありません。 それは畢竟、如何に死に態で生きるかということ、いかに生きたまま死んでしまうかということに尽きます。 諸法は空(くう)である。この最終出口は「人間やめますか」ということに等しい洞察です。釈尊は人間存在のおぼつかなさ、あわれさを徹底的に観察し、生きるも死ぬも大して意味はなさないと言うところまで到達してしまったのです。 さて困った、こまった。どうしましょう。彼はエィヤーッとばかりに悟りを開きさっさと逝っちゃいました。しかし、「僕たちはどうするべぇ?」 これが後に残された者たちの悩みのすべてだったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年01月09日 23時29分02秒
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