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カテゴリ:きのこの文化誌・博物誌
弥勒下生の救済が実現するのは56億7千万年後。他者のために生きるという誓願を起こして菩薩として生きる期間は、3阿僧祇劫。まあ菩薩は地上の最後の一人が成仏するまで仏にならないと誓願した人だから、数万遍生き死にを繰り返して他者の幸せのために尽力するのは当然だとしても、それにしてもしびれの切れる時間である。これら救済にまつわるすべては、結局一個人の寿命と比べてあまりに現実ばなれしてしまっている。これは本当のところ、救いなんて一切無いことを意味しているのではないだろうか?。 以前から繰り返し述べてきたように仏教の教えは「生きているうちに死んでしまうに等しい生き方を選びなさい」ということに尽きる。 ただ、小乗仏教と大乗仏教の根本的な違いは、個人の魂の救済をもっぱらにする小乗に対して他者の利益のために生きると言う点で異なるのみである。人の生きる目的は自身を虚しくして他者のために生きることだという発見(献身、自己犠牲など)は宗派の違いを超えて人間の為し得る最高最大の崇高な行為であろう。 したがって、紀元前後から起こった仏教の革新運動としての大乗仏教では菩薩行が中心となったのは当然の帰結であった。と、同時に仏教の根本理論としての「空」理論の考察がはじまり、それらは数万巻にも及ぶと言われ、主だったものだけをとりあげても大般若経→小般若経→金剛般若経→般若理趣経→般若心経と順次作られていき、すべて「空」思想の理論書としての一貫性をもって考察されつくした。とりわけ、般若心経は膨大な般若経典の内容を262文字に凝縮したものでもっとも愛されてきた。ただしこのお経が愛された本当の理由は「空」理論をやさしく説いた部分のあとにつづく一切の苦を除く呪文で、末尾のギャーテイ、ギャーテイにはじまる陀羅尼文にあり、この部分なからましかばと思うのは僕だけではあるまい。なんとなれば釈迦の教えは呪文を用いることを厳しく戒めていたからだ。しかし、これ抜きにしては大乗運動はかくも広汎な宗教とはなりえなかっただろう。仏教をメジャーにするための代償としては余りに痛々しい事実だ。「きのこをメジャーに」する際にもちょっと背伸びをやめるとその最良の部分がたちどころに損なわれるということは心にとめておく必要あり。ここのところは、日本キノコ協会を封印したことと深く関わっている。 紀元7世紀、玄奘三蔵はこれらの膨大な般若経典をひとまとめに訳述し、大般若経600巻とした。 これら般若経群を精査して紀元1世紀ころからの大乗思想を体系的にまとめ、「これが大乗仏教だ」とまとめた最初の人が龍樹(ナ―ガールジュナAD150~250年頃の人)で、中観(ちゅうがん)派を形成、「大品般若経」に注釈をほどこした彼の代表作「大智度論」は密教、華厳、天台、浄土、禅などのあらゆる宗派の理論的根拠となっている。 ただ、「空」思想は、結局「生きる意味など何もありまへん」「この世界はすべてお前の幻想だよ」「即、死にたまえ」という教えだと勘違いして(悪取空者と呼ぶ)虚無的になった真面目な人たちが当時わんさか居たので、その流れの中から現われた唯識思想では、「少なくとも識はありますさかい安心しておくんなはれ」という修正案が出、他方、選ばれた少数の者しか救われないという小乗批判が強すぎて小乗の者だけは決して救われないと言う流れになってしまった大乗運動の行きすぎは、法華経の方便品で小乗の者たちの修行も無駄ではなかったよと強調し、その万人救済の教えがやがてわが国の鎌倉期に悪人、女人の成仏も可能だとする道が開けるきっかけとなった。この大乗運動の究極の教えが「法華経」で、僕はわが国の仏教世界の根本経典だと思っている。 法華経(正しくは妙法蓮華経)は、紀元406年鳩摩羅什(クマラジ―ヴァ344~413)が漢訳。彼はインド人を父に持つ西域出身の僧で、さきほどの「空」思想の体系が般若経群でとても難解だとするとこちらはもっと実践的で一般の人たちの心の欲求に応えたもので、28のドラマティックなストーリーから成り、それぞれ広い地域で別々に流布されてきたものを集め、整理し、まとめたものだ。 釈迦の教えは一つであるはずなのになぜさまざまな形で説かれるのか。この大乗仏教の進展とともに深まってきた疑問に答える形で成立したのが法華経だと瓜生中さんは語っている。 現代人の僕たちに必要なのは、この大乗運動の結果、登場してきた浜の真砂ほどある宗教としての仏教思想のエッセンスは、自分を中心としてあるがごとくに見えている世界の捉え方であり、これに関しては仏教は現実に即した深い洞察を示してくれる。しかし、「般若心経」について触れたように、個人の瞑想のための方法であった教えが、大乗化、大衆化の時点で呪文や霊感、怨霊につながる霊の障りといったまったく仏陀の教えと相反する流れが多々発生してきて、むしろこちらの方が主流になってきているのが実情ではないだろうか。 学究派の官許の僧・最澄は中国天台山へ赴き、智ぎ(ちぎ538~597)の教えを我が国に請来し比叡山で天台宗をひらいた。中でも智ぎの「法華玄義(ほっけげんぎ)」は「空」思想の発展的修正案であり、仏教の二諦、すなわち現実世界の中で経験する世俗的な立場(=俗諦)と真に悟った者の立場(=真諦)という世界観を空・仮・中の三諦円融(さんたいえんゆう)とし、空(世の中のすべての存在現象は実体がないとする「空」思想そのもの)と仮(世の中のすべての存在は実体は空だが、縁起・因果関係によって仮りに存在している)という従来の二諦に、僕たちの現実は仮の中にあるから「空」を追い求めれば現実の生活、人生は空虚だ。しかし仮を否定すれば空も成り立たず悟りを求めることもできない。だからどちらにも偏らない中間の立場であることが大切として中を打ち出し、釈迦のもっとも重要な教説である中道思想を導入して現実と悟りの世界の関係をあらためて打ち出した。この三諦が融合して一体となっていることを円融と名付けた。 この智ぎの打ちだしたバランス感覚こそが現代人の僕たちにもっとも求められるところだ。僕が、賢治の言う「自分を勘定に入れずに」ということを修正して「すこしだけ自分を勘定に入れて」というのは「悟っちゃって上がってしまったら駄目だよ。あくまでこの仮りであろうがなんであろうが、現実世界でも我利我利にならぬ程度に生きなくっちゃね」といった意味である。 智ぎのぎは転換できず御免。豈+頁です。 はっきり言うが、この人生、生きるに値いするような生き方はない。そして極楽も地獄もない。虫けら同様に生きて雑巾のようにぼろぼろになって朽ちるだけなのだ。職業や肩書など何の値打もない。そんな中で、与えられたいのちを自分以外の一人でも多くの他者のために精一杯生きようと決意することですこしは違った毎日が開けてくるのではないか?。という可能性に生きるのみなのだ。これが気の遠くなるような時間の中で死ぬまで頑張れよという仏の教え、菩薩行の中身だ。 僕の今は亡き愛犬クロの教えといっておこう。きのこの教えでもOKだ。 僕は、俳句和歌に対してはきのこポエムで対抗するように、宗教は阿片だという正にその元凶を成す怨霊思想につながる仏教とは厳密に一線を画して、ちょっと背伸びの自身の非力さを十分に意識した庶民として、肉体と精神のバランスを回復するためのぎりぎりの自然回帰を訴えるものである。その念持仏のようなものがきのこだ。きのこという仮の現象とたえず接してきのこの彼方を常に見つめる目をやしなうことからはじめよう。 去年の暮れ、澤山画伯が奈良からの帰りの電車の中で現今の日本の政治の貧困に憤りつつ「今、日本人に必要なのは哲学ではないかと考えています」といみじくも語っていたが、僕が「きのこは言葉である」とか「ちょつと背伸びの庶民であれ」ということもその辺りに落着するように思える。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年01月16日 22時58分42秒
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