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2015年01月07日
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  緋おどしも色褪せたるか凍て蜂の己が影を守り 

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 昨春から始まったジャズ100年のCDも溜まりにたまって、21集が昨日出た。この正月は、毎日1~20までを流しながら良からぬことを考えていた。このCDに収録されているものはほとんどLPレコードで持っているのだが、こうして流していると僕の幾度となく繰り返してきた青春時代の初期の頃の思い出が風花のように湧いてきてなかなかよろしい。ジャズ100をBGMにしながら気がつくと、きのこポエムの現在、未来を考えているので、今夜はその話を少ししよう。長くなるので続きということになるかも。

          きのこポエム 

  きのこポエムで僕が目指す究極のものは、俳句や短歌の否定ではなく、五七調・七五調の超克だ。その遠大な計画の第一歩を「夜の顔不思議な俳句会」でやりたい。

 僕は20歳になる直前に俳句というものの魅力にはまって今日まできた。

 それは俳句詩が手軽で、安直で、間口の広く、しかも世界に冠たる「詩」であることだ。

 五音七音を組み合わせて17音の定形にはめるだけで、交通標語も川柳も単なるうわごとも「詩」であるというガラパゴス進化を遂げた日本語ならではのこの不思議な詩型

 この魅力は他の何物にも替えがたいものだ。この間口の広さを確保しながら、詩と無縁に育って来た人も、自由詩や現代詩と取り組んで格闘してきた人も、直ちに詩作に取り組める短詩を求めて、有季定形なんて料簡の狭い伝統意識を金科玉条とする権威主義者とは無縁なところで詩作をするという意味で24音詩を提唱したのだ。

 冒頭の24音詩ポエムは冬の蜂が寒気の中でじっと息を凝らしているのを見ていて、すでに戦さの装束も色あせ、それでも戦士としての誇りを失わず、自身の影だけとなった最後の砦を死守している様を詠んだものだ。

 読み方は「ひおどしもいろあせたるかいてばちのしがかげをもり」とでも・・・。

 俳句形式では、さしずめ「己が影の孤塁を守る冬の蜂」となる。しかし、この表出は後続の七七を誘うような切れ方なので「言いおおせて何かある」発句の体裁にはなりえていない平句である。「己が影を守るのみなり冬の蜂」で中七で切れを入れると発句に近くなる。

 これでほぼ言いおおせている。しかし、それでもなぜ冗語とも言えそうな七音を加えてきのこポエムにするのか。

 それは、俳句表現では、厳密にいえば「己が影」云々も言わずに季語ひとつに語らせるべきなのだ。

 しかし、それが可能なのは、文化の熟成・発酵の著しい鎖国時代の島国で、共同幻想が当たり前の「座の文学」の中だけだ。

「冬の蜂」というだけで凍て蜂のもつ象徴性のさまざまなイメージを共有できることが詩の前提になっている場合に限られるのだ。

 世代間の断絶が著しい21世紀の日本では、そんなイメージの共通基盤を失って久しい言葉を手放しで信頼していると断絶は益々深まり、遂には恢復不能にさえ陥ってしまう。

 従来の俳句表現の定石を逸脱しても、噛んで含めるように説明を入れて、より具体的な冬の蜂のイメージを伝えなければ、デジタル時代の文字ばなれした人たちと到底理解しあえる言語状況をつくり得ないというのが、まず第1の理由。

 また、日本語の特殊性は、かな書き文字の発明によるところが大きい。かなの発明によって日本語は独自のガラパゴス進化を遂げたのだった。そして、先輩格の中国語も、返り点や訓読で全く異なる言語体系をものともせずに和様に解読する手段を考案した。このことひとつとっても我が国の知識人の頭の柔らかさは天下一品のものだ。

 そして、女文字とされたかな文字を駆使して、エリートの常用語であった中国語による漢詩漢文から和歌という独自の詩の形式を編み出し、漢語の世界とは別個の宇宙をもつ詩世界を創り上げてきた。

その和歌の表出にふさわしい言葉として洗練を加えられてきたのが、五七調の言葉なのである。

 それゆえ、五七調こそが唯一の日本語の伝統なのである。

 唐十郎が韻文定型詩を「奴隷の韻律」といったのはこのことである。

 僕はあえてごちごちの文語を用いて詩作しているが、これはひとつの試練だと考えている。どうぞ各自それぞれの方法で、五音・七音の自然律と思しき鼓動に近い伝統律と格闘してほしい。その上でこれにひれ伏すか、とんずらするかは自由だ。

 しかし、この五音・七音とのバトルの中にこそ、僕達、ちょっと背伸びの庶民の「詩」の未来があることを知るべきだ。

 「詩」がなければ「青春性」も永遠に失われる。きな臭さが増す一方の日本にあっては、いかなる方法を講じても僕らの「詩」を奪還することがまず求められている。

 これがきのこポエムを提唱する僕の第2の理由だ。

 そんな意味でも、今年からはいよいよ「夜の顔」も、否が応でもNEXT STAGEに突入することになるだろう。

 グローバル化は、そんなわが国の言語状況の荒廃に更なる拍車をかけている。しかし、だからこそチャンスと言うべきなのかもしれない。

 そんな言葉の焼け跡的状況の中で再び世代を超えて人々が相互に理解しあえる世界、すなわちネオ・ローカルとでもいうべき言語世界の再創造に向けて切磋琢磨することは、しんどいことではあるが、絶対に面白いと思わないか?。






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最終更新日  2015年01月07日 22時24分22秒
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