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カテゴリ:マダラーノフの独り言
元日の朝、ビルの谷間から垣間見える光る海を眺めてから市章山直下の墓苑の磴をのぼる。 夏帽子を肩にかけ、ダンディーな地蔵に挨拶してから祖霊の墓に詣で、しばし黙祷。小学校の頃から何千回となく挨拶してきたおじぞうさま。 こじんまりと鎮もりかえった我が家の墓。霊位も満杯となり、残る方が僅少となった墓。いずれさざれ石となるまでにはすべてあばよとなるばかりの眷属がちらりほらりとご挨拶。 それから踵をかえして、六甲の護国神社へ。かっては、灘区民は五毛天神、別名河内大国魂神社に初もうでをしていたが、最近ではこちらのほうが盛況のようだ。オープンで明るい雰囲気がただよっているからだろう。コロナ禍にもかかわらず、列をなしていた。もちろん明治以来のナショナリズムとは無縁で、祭神とも無縁。神社であればどこでもいいという鷹揚な考えに基づいている。これこそが日本人のもっとも大切にすべき心情だと私は考えている。 ここでゆくりなく、瓢吉庵油坊主さんと実存哲学者の神尾さんに出会う。 こちらもひっそり佇む異民族慰霊碑。コロナ禍にあって、自然宗教による自己規範の新たな基準を急ぐ私としては、日本型の寺社をはじめ、あらゆる宗教文化の担い手はもっと真剣に自身の立場、役割を自覚するべきで、そのためにもこの慰霊祭は大切であると考えている。 宮司さんには新年のあいさつにかえて、本年は神社庁の意向がどうあれ、慰霊祭を斎行しますのでよろしくと挨拶しておいた。 かくして新年はしめやかに明けました。 あらためて新年あけましておめでとうございます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年01月02日 10時45分55秒
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