ラボMでのサロンを通してクレオールということを考えた。
クレオールとは植民地化に伴い、現地で生まれたヨーロッパ人、そしてアフリカからプランテーション経営のため強制移住させられた黒人、さらにはそこで生まれた混血児をさす言葉だった。しかし、それはハーフやデラシネとかいう人種にまつわる言葉を離れてもっと普遍的な意味をもっている。
それは文化というものに即していえば、異文化の接触と混交に伴い、元のいずれのものとも同一ではない全く新しい存在が生じる現象とでもいうことである。こう考えるとこのクレオール化という現象はグローバル化の著しい現在の地球の方々で生起している異文化の接触に伴い発生している異種あるいはハイブリッドな文化現象を検討する場合のすぐれた手立てとなる。
私はジャズのルーツを探る中でこの言葉に出会い、それはきのこという真菌類に特徴的な「ヘテロ」と深いかかわりのある言葉と考えた。
そんなことどもをラボMの活動に即して触れてみた。
70年代のロシアン・ポップス、プログレッシーヴ・ロック、北部インド古典音楽とラボのサロンでの報告を兼ねている。
さて、もうひとつの大きな山はいわゆるイコノロジー、すなわち「きのこの図像解釈学」。
きのこの世界は、間口は広く、ついふらりとさまよい込むとその奥は迷宮めいて、しかもたちどころに行き詰まってしまう。なめてかかるとひどい目にあいかねないのがきのこだ。そのことの大半は、きのこはつかの間目には見えても本来的に微生物であることに拠っている。
野山でごく普通に散策するたけでも50種余りのきのこに出会い、そのほとんどが確信を以って種名まで言い当てられるだろうか。私など、35年熱心につきあっても、そんな状態から1歩も踏み出せないでいるのだから押して知るべし。
そんなきのこ、アマチュアはどうつきあうかを少しずつ語っていきたい。