アリドオシの赤い実。
比叡山の初冬を飾るくれないは、野山では空の紅葉、地のアリドオシとマムシグサの実、街中では南天や藪柑子がつとめる。
歳晩にたずねた比叡山はさすがに遠忌1200年でにぎわっていたが、横川は、そんなにぎわいからも遠く、静謐の刻が流れていた。
横川中興の祖とされ、鬼のお札で有名な角大師・元三大師良源(ぐゎんさんだいし・りょうげん)の墓標。覚超墓同様にきのこ形をしている。
天台密教に浄土教の教えを盛り込んだことから鎌倉仏教の革新的な僧侶を多数輩出させる原基となった横川。それは、芭蕉の高悟帰俗(たかくさとりて俗に帰る)の俗の在り方をめぐる闘いでもあった。<俗>とはかくも厄介なもので、ロシア革命でもヴ・ナロード(民衆の中へ)を指向したナロードニキ運動が挫折したのも俗にはばまれたからで、俗はそのままではどうしようもない厄介きわまりないものなのである。
宗教もひっきょう、俗との闘いであったといって過言ではない。
この良源とておみくじの元祖とされ、横川の大師堂はそんなわらをもつかみたい一心の衆生が束の間の安堵を得るための好所と化している。
しかし、常にすべてから見放される立場に置かれる社会の底辺に生きる人たちにとって、おまじないやお守りが最後のたのみであることも確かなのだ。それを否定せずにしかし、肯定もせずに高きへ導くための教えを鎌倉仏教の教祖的存在の人たちは悩みぬいた。この鎌倉期に仏教がはじめて庶民のための魂の救済のよりどころとなった所以である。
その叡山の異端の魔所の多くがきのこ形の墓標をしていることに私はとても心温まるものを感じてきた。ムックきのこクラブの旅に、横川もうでが欠かせないのはポピュリズムの根源たる大衆をしっかりとらえなおすためにぜひとも必要な巡礼の旅なのだ。
本年は私が古代史でもっとも跡付けたかった天皇制度の始原の地を巡る旅をスタートさせる。天皇ははみ出し者、医学用語ではヘルニアといわれる存在である。明治以降ナショナリズムの高まりの中で一神教的存在となった天皇は、100年ののち敗戦を喫して象徴天皇となった。この天皇こそが有史以来の本来的な天皇の姿なのだ。農本国家である我が国は農耕民主体の現実世界に不可視の非農耕民が底支えする構造をとってきた。天皇はそんな現実から抜き出た虚像の実体化した不思議な存在、すなわちきのこなのである。天皇が平安末期以降、非農耕民とりわけ芸の世界と深く繋がるようになるのはそうした必然があった。
私のライフワークは、そんな天皇制度にさまざまな角度からメスをいれることで地球を明日へつなぐささやかなヒントを得たいと考えている。神武東征の真実はその第一歩なのである。