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夢みるきのこ

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2022年11月17日
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カテゴリ:きのこ目の日本史

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 宇陀一人旅の一日、何度も吉野を訪ねながら一度も踏み入れたことのなかった吉野神宮へお詣りしてきた。異民族慰霊碑のある護国神社のもととなった維新以後に創建された南朝の後醍醐天皇を祭神とする官幣大社である。この吉野近辺には、皇国思想の高まりとともに国家の忠臣とされた人物を祭神とする十五の社があるが、国家と個人という絶対矛盾する二項を英霊として解消する思想のはじまりが維新以後の神社政策であった。

 吉野で一番静寂を保っている貴重な場所といえそうな広大な敷地を誇っている。

​ 後醍醐天皇をおまつりする吉野神宮本殿。​

 本殿脇にはとてもおしゃれな脇社があり訪ねてみると、ここには御影、船岡、瀧櫻社として十五社にも漏れた忠臣と目される人物を祭神としてお祀りしていた。いずれも後醍醐天皇以外は、私が対象とする古代天皇の流れとは異質な神々がこの吉野神宮には勢ぞろいしていることになる。


 しかし、皇国思想こそが今日の日本の思想的混乱をもたらした元凶と考える私にとって、おおらかな自然宗教としての神道がなぜ、皇国思想として国民の精神的紐帯をもたらしたかを考えることは避けてとおる事はできないのだ。そして吉野神宮や護国神社にこそ、我が国の明日を確かなものにする鍵が隠されており、この維新以降の神社の在り方を捉え返すことによってわか国の明日の姿が明示されると考えている。
そして、それは、これらの神社に関わり続けることによってしか見出だせないものなのだ。

 たまたま若き東宮司が拝殿におられたのでしばしお話をすることができた。長い戦後が再び戦前へと逆戻りしつつある現在、今後も神戸のわが異民族慰霊碑のある護国神社を含めて、新しい神社の在り方をともに考えていきたい。そんな意味で花の吉野の、真新しい神社はこの旅のもうひとつの大きな目的地でもあった。
 
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最終更新日  2022年11月17日 09時08分23秒
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