はじめて知ったことだが、北摂三田高校からフラワータウン駅へ通ずる道は学園ロードと名付けられているらしい。私はこの分岐を毎日知らずに横断していたようだ。あらためて学園ロードを歩いてみた。
碑形の騎士と命名されたモニュメントに出会った。ニュータウンにはニュータウンなりの仕掛けがいろいろ施されているのを興味深く辿っている。
グリーンカーテンと一時もてはやされたゴーヤが忘れられたことを嘆くかのように小さな花をつけていた。
福島では汚染水の海中投棄がはじまっている。いたずらに反対を表明するわけではないが、肝心なことが忘れられている。この汚染水はそもそも核のデブリを冷却するために用いられ、肝心のデブリは全く除去できぬまま、10年余りの間にあれだけ溜まりに溜まったものだ。事故のデブリ処理が全くできていないにも関わらず、我が国は原発のプラント輸出はこれまで以上に熱心に行っているし廃炉のはずの原発すらすべて法改正してまで稼働させていく方針に舵をきっている。福島漁協はせめて汚染水放出は致し方ないと踏んだのであればその代償として列島の原発再稼働をすべて停止させることを交換条件とすべきではないのか。仕方が無いと言うだけでは済まないことが平気でまかり通って、口先だけ核のない世界をといい子ぶってみても信用されない。「最後の一滴まで全責任を負う」なんて政府もよく言えるなと感心している。その大本の処理がなされぬまま、何十年かかるか知れない汚染水放出である。官僚国家では選挙の度にあらゆる案件が白紙撤回されるのを熟知した上での発言であるのがみえみえである。そうしてゴーヤのグリーンカーテン同様に全て忘れ去られていくのだろうな、と思ったことである。