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2021.03.27
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カテゴリ:俳句バイキング
「魂」は「世間」より強力な浄化装置か?

佐伯啓思の論考「『魂』はそこにある」(朝日新聞3.27朝刊)について。
東日本大震災の身内を亡くした被災者の「死者の『気持ちに寄り添いたい』というほとんど理屈を超えた思い」に佐伯氏は「切実な心的なリアリティー」を見る。古来日本人は「自らの気持ちを死者に同化させ、寄り添うことを可能にする『何か』がそこにあると考え」それを「魂」と呼んできた。「被災地で多くの不可思議な霊的現象が経験された」ことをもって、佐伯氏は「死者と生者の交感の装置を編み出した我が国の文化の一断面を論じてみたいのである。」ここまでの前段に10Gの圧を10分位かけると、今月の西日本新聞の拙稿で書いた「水の蝶」ができあがる。
後段、かつてこの国には、死者の魂は家の先祖の霊と一体化する信仰があった(柳田国男「先祖の話」)。「生者は一方で追善供養によって死者を弔うとともに、他方で死者に対して恥ずべき行いを自戒する、というような倫理観も生み出された。」これが「現世を超越した絶対神を信仰の基盤とする文化と異なった点である。」魂が絶対神でなく「現世に接した場所にあって、われわれと共存している」。これが「日本的な『霊性』のあり方」だと。そして、戦後日本の堕落はこの霊性を否定した所に発するという。「死者への畏れと惜別と無念さを見失ったとき、自己を省みるという道徳の内面的契機も喪失する。死者を切り捨てた生者だけの共同体は、利益や快楽にのみ生の充実をみる個人の集合体にしかならないであろう。」災害死は措き、大量に死者が発生する戦争を考えると、自国(国内戦なら味方、朝敵・逆賊の場合が顕著)の死者の弔いで復讐心をかき立て、戦間のつかの間快楽をむさぼり、軍需産業は利益追求に狂奔する。まさに闘争本能全開で「生の充実」を謳歌する。「死者の前にこうべを垂れる」ようなひ弱な精神は戦争ではバカにされるだけだろう。そして戦争が終わって「(略)悪党にも一分の真理は宿り、『魂』が浄化すれば、霊は清浄なものとなる」で、そもそもの責任を問うことが不可となる。だとすれば浄化装置が作動する前に、ぜひ「世間(社会)に対する恥」で責任を明らかにしたいものだ。世間(社会)は「目前の利益と快楽に耽溺する」特権階級のオコボレにあずかる事を恥とする。






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Last updated  2021.03.27 14:56:49
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