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hoshroのブログ

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俳句バイキング

2021.04.21
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カテゴリ:俳句バイキング
西日本新聞4月19日付朝刊の拙稿

なんと永田町の景を彷彿させる四句渡り!
昨年、一昨年の政治スキャンダルは江戸人にも親しいものだった?!
この国の政治風土・文化(=DNA)の岩盤はびくともしない(って彷彿する方がオカシ~)。
これが点取俳諧の底知れなさか……(蕉風ではこうはならないだろう)







Last updated  2021.04.22 16:53:42
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2021.03.27
カテゴリ:俳句バイキング
「魂」は「世間」より強力な浄化装置か?

佐伯啓思の論考「『魂』はそこにある」(朝日新聞3.27朝刊)について。
東日本大震災の身内を亡くした被災者の「死者の『気持ちに寄り添いたい』というほとんど理屈を超えた思い」に佐伯氏は「切実な心的なリアリティー」を見る。古来日本人は「自らの気持ちを死者に同化させ、寄り添うことを可能にする『何か』がそこにあると考え」それを「魂」と呼んできた。「被災地で多くの不可思議な霊的現象が経験された」ことをもって、佐伯氏は「死者と生者の交感の装置を編み出した我が国の文化の一断面を論じてみたいのである。」ここまでの前段に10Gの圧を10分位かけると、今月の西日本新聞の拙稿で書いた「水の蝶」ができあがる。
後段、かつてこの国には、死者の魂は家の先祖の霊と一体化する信仰があった(柳田国男「先祖の話」)。「生者は一方で追善供養によって死者を弔うとともに、他方で死者に対して恥ずべき行いを自戒する、というような倫理観も生み出された。」これが「現世を超越した絶対神を信仰の基盤とする文化と異なった点である。」魂が絶対神でなく「現世に接した場所にあって、われわれと共存している」。これが「日本的な『霊性』のあり方」だと。そして、戦後日本の堕落はこの霊性を否定した所に発するという。「死者への畏れと惜別と無念さを見失ったとき、自己を省みるという道徳の内面的契機も喪失する。死者を切り捨てた生者だけの共同体は、利益や快楽にのみ生の充実をみる個人の集合体にしかならないであろう。」災害死は措き、大量に死者が発生する戦争を考えると、自国(国内戦なら味方、朝敵・逆賊の場合が顕著)の死者の弔いで復讐心をかき立て、戦間のつかの間快楽をむさぼり、軍需産業は利益追求に狂奔する。まさに闘争本能全開で「生の充実」を謳歌する。「死者の前にこうべを垂れる」ようなひ弱な精神は戦争ではバカにされるだけだろう。そして戦争が終わって「(略)悪党にも一分の真理は宿り、『魂』が浄化すれば、霊は清浄なものとなる」で、そもそもの責任を問うことが不可となる。だとすれば浄化装置が作動する前に、ぜひ「世間(社会)に対する恥」で責任を明らかにしたいものだ。世間(社会)は「目前の利益と快楽に耽溺する」特権階級のオコボレにあずかる事を恥とする。







Last updated  2021.03.27 14:56:49
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2021.03.25
カテゴリ:俳句バイキング

国立新美術館1Fで第74回日本アンデパンダン展(29日まで)。虫干しを兼ねて旧作(15号油彩)を出展。拙作の前でどこかのオジさんが数人相手に熱弁をふるっていた。作者を名乗り出るのはさすがに気が引けスルー(笑)。千代田線方向の通路から小雨の街景を--。

後日、日本美術会(主催者)の会員氏から感想の手紙をいただいた。
  パッと見で、構図と色彩が美しいと感じした。・・・色々と想像させられます。まさに魔法の国ですね。色彩のコントラストが余計にそうさせてると思う。永い間、多くの作品を手掛けて来たと思います。レベルば高いですね。すばらしい。すごく勉強になりました。・・・
実際は、油絵4作目。普通は中間色系のイエローオークルとベネチアンレッドによるコントラストが「魔法」の由縁だろう。観る人の想像力を解き放つ・・・アートはこうありたい(自分で言うか!w)
キャンバスの防水油膜(笑)でなく世に遺す価値あり・・・








Last updated  2021.04.08 16:53:09
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2021.03.22
カテゴリ:俳句バイキング

西日本新聞3月16日付朝刊の拙稿
2014年の連載開始以来、初の現代俳句! 点取俳諧の鑑賞にのめりこんだのはここ1年。
なので、「分断を越える」はカッコつけ過ぎ(笑)。
高岡修氏は現代詩文庫にも入ってる詩人かつ俳誌「形象」主幹(わからない俳句の作り手か?)。
しかし、わかるわからないは作品次第。同じ作者でもわかったりわからなかったり……わかり方も作者が聞いたら腰抜かしそうなのもあったりする(僕みたいに…w)。実存俳句、形而上詩とかも、わからないと決まったもんでもない(そもそも全部わかる義理は無い!別人格w)。
というわけで、本欄はとびきりわかりやすい文章を心がけている。が何分600字に圧縮してるんで、担当者にわかりにくいと言われたこともある。で「ここに希望がある」って、具体的になにと訊かれても困る~そこは勢い(笑)。

展覧会のお知らせ
今月29日まで、国立新美術館1Fの「日本アンデパンダン展」で拙作「魔法の午後」(15号油絵)を展示中。長編ファンタジー『微笑の門』の発想源(通常と逆)だ。11年前の旧作を虫干しを兼ねての出展。イエローオークル、ベネチアンレッド、スカイブルーの画面がぴかぴかで…w










Last updated  2021.03.22 17:12:53
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2021.03.13
カテゴリ:俳句バイキング
今日、明日は搬入日。午前、雨が小止みになったので、急遽国立新美術館に搬入に行くことにした。
六本木は久しぶりだ--正面から入ろうとしたら搬入口はB1と。
すいてるどころか結構繁盛。みんなこの日を待ちかねていたんだろう。
15号油絵、2010年の拙作--「魔法の午後ー『微笑の門』の冒頭シーン」
長編ファンタジー「微笑の門」の発想源(冒頭シーンを描いたのでなく、逆にここから物語が生まれた!)

一昨日、トイレが詰まった(人生初! ラバーカップ(便〇棒)も効き目無し)
業者は来週火曜まで来ない(ステイホームでトイレ詰まりが増加中? 外でのハイベン習慣が家に移ればトイレの負荷は高まる…)
この際、簡易トイレの使い心地を試そうという殊勝な考えが、近所の地下鉄駅のトイレを借りるという怠惰な意志に打ち砕かれた(ひとつ賢くなるチャンスを逃した…)







Last updated  2021.03.13 16:23:48
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2021.02.27
カテゴリ:俳句バイキング






Last updated  2021.02.27 17:19:00
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2021.02.26
カテゴリ:俳句バイキング






Last updated  2021.02.26 13:22:58
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2021.02.19
カテゴリ:俳句バイキング
西日本新聞2月16日朝刊の拙稿

原稿が多過ぎて本文の余白ゼロ、業界でもあまり見ない珍風景かも(笑)。それにしてもゲーテとは? 本棚の整理中に出てきたホフマン『牡猫ムルの人生観』(岩波文庫)。冒頭、ゲーテ「エグモント」の引用があった。つい読みたくなって図書館に予約。ウォーミングアップに戯曲集の恋愛ものを読んだら、なんかおバカな話。エンジンが掛かった。ぼんぼん育ちのゲーテの庶民の生き生きとした会話が意外だった。
(そもそも世界―内―存在である人間にとって、点取俳諧的な状況がクロスレファレンスでゲーテが参照されても不思議はない。その意味では現代の写生句より自由度は高い?!)
「ゲッツ」に目移り。ゲッツと言えば、ケストナーの『五月三十五日』で、コンラート少年と薬剤師(『抒情的家庭薬局』も書いた作者の分身)の叔父さんが兵隊人形で戦争ごっこに興じる鉄の腕のゲッツ(ドイツ農民戦争の英雄)とワレンシュタイン(30年戦争の英雄)にあきれるシーンを思い出した(ヒトラー政権誕生直前のアブナイ風刺※。作者はナチスの焚書の現場を見に行き、見物に見つかって危機一髪!)。で読み終えたら「エグモント」を読む気力は喪失。人生風まかせ~~ 来月は震災句(当欄初の現代俳句!)を取り上げようかと…

※同時期のツックマイヤーの「クリスマスの夜」(『ドイツ名作集』中央公論「世界の文学」所収)はもっとアブナイ。ヒトラーとムソリーニに擬した男女のペアがベルリン下町の居酒屋で、最初冷笑していた客たちの心をやがて鷲掴みにする(演説でなく聖歌で!)。 渋ちんの親父に上等の料理を全員におごらせるという奇跡まで起こす。最後にイタリア女が出産! ファシズムの二巨頭が産んだのは…第二次大戦? 恐るべき風刺だが、誰も(今でも)読み取れなかったおかげで作者は戦後に生き残った。










Last updated  2021.02.26 22:24:57
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2021.02.15
カテゴリ:俳句バイキング

渡邊十絲子『今を生きるための現代詩』(講談社現代新書)に入沢康夫の「『木の船』のための素描」が全行引用されている。これを「とほうもなく格好よくおしゃれなもの」と言いつつ、この詩の解釈は「ほとんど不可能にちかいことだ。なぜならこれは、作者の内部にあらかじめ伝えたい感情や考えがあって、それを読者に解読させるための詩ではないからだ。」とし、「ここにあるのは架空の光景をうつくしいことばの流れだけだ。」と言い切る。そうなんだろうか? 
僕の読みではこの架空の光景はちっとも美しくないし、ことばも「物凄まじい勢い」とか「鳥肌立つ思い」とか、まあフツウに感じる。逆に、僕は作者の解読させたい意図を感じてしまう。この上下左右前後に「その正確な数を知るものはいない」「大小さまざまな」船室とは、ヒトの脳の寓意じゃないか? 「ここではいくつかの人間的欲望が失われている」特に「食欲」「排泄欲」が失われているので、大脳新皮質じゃないかと。但し「好奇心と記憶力もおとろえている」ので海馬は除き、前頭葉(?)も若干傷んでいるのか? 欲望より根源的なクオリアに閉じこめられてるってことかもしれない。とりわけ「決して入ることのできない船室」があって、「船室の内部に、海があった。」から、これは意識の座(!)だろう。「鳥たちだけはまったく自由に隔壁を通過する」ので、ニューロンの発火・伝達を言ってるんじゃないか? 
だとしたら、あまりに味気ない。『銀河鉄道の夜』の鳥捕りが捕まえて押し葉にするチョコレート味の鳥は詩人の抱くイメージのメタファーだと、以前僕は書いた。しかも賢治と同期時にデビューした稲垣足穂に対する羨望と嫉視があるとも。最後に、「もし外部から見たとすればこの船は単に一個の木箱に過ぎない」から、ますますヒトの脳の気配がただよってくる。







Last updated  2021.02.15 21:42:01
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カテゴリ:俳句バイキング

ピアノソロで聴くストラヴィンスキー『春の祭典』

ドビュッシー『海』とストラヴィンスキー『春の祭典』のピアノソロ。これが全然キワモノじゃなく、ピアノの威力全開の1枚。ピアノの表現力の豊かさを思い知らされた(ヴァイオリンは主旋律を歌うだけじゃん…)。

海の開始5分ぐらいにくる美しい旋律(一度でも聴いた人ならわかる。レミーソー、レミーソラ、ファソ、ミファ…てな感じ)がピアノのレガート奏法が全く歯が立たず、ブツ切れになってしまうのはザンネンでも。

スゴイのが祭典! 4手で弾いてるとしか思えないけど、ソロ(オリジナルのデュエットをソロに作り替えた)。そもそもドビュッシーが、20歳若いストラヴィンスキーに「祭典が美しい悪夢のように私にとり憑いた…スウィーツを欲しがる子供のようにこんな曲を作ってみたい…」と書き送り、一緒にデュエットしたとは知らなかった。

逆にピアノのオーケストレーションは問題が多い(ピアノで作曲する作曲家にとってみれば、こっちがオリジナル。ストラヴィンスキーは「デコレーション」と言っていたらしい)。オーケストラが演奏するドビュッシーの前奏曲集なんて、ワケわからない。リストのハンガリア狂詩曲2番のオーケストレーションが糸引き納豆のようで、下手?と思って見たら、ベルリン・フィルだった。




 







Last updated  2021.02.15 11:08:28
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