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カテゴリ:やしきたかじん
太く短い人生だったといえるのではないでしょうか。
罵詈雑言、喧嘩上等、自由奔放、豪放磊落、唯我独尊、などやしきたかじんを形容する四字熟語は、たくさんあり一言では語れません。 私は、去年に一度復活したあと、再度入院した時点で、復帰は難しいとは思っておりました。 切除、抗がん剤と最先端といわれる、ありとあらゆる治療を受けていたのでしょう。 70キロほどあった体重は50キロと激減し、その闘病生活が凄まじいことは容易に想像がつきます。 闘病といいますが、がんの場合は、がんという病と闘っているのではなく、治療と闘っているわけですよ。 考えても見てください。 初期の食道がんだったのに、わずか2年で亡くなったのですよ。 おそらく死に際は抗がん剤、最先端治療の副作用が一気に襲ってきて、地獄の苦しみだったと思います。こんなに早く死ぬのなら、治療も何もせずに仕事を続けていてもよかったのではないかと思います。 そうすることで、少なくとも苦しまずには死ねたのではないでしょうか。 この行き過ぎともいえるがん治療については、これから大いに議論が必要でしょう。 どこのテレビ番組で、突然の訃報などといっておりましたが、こんなもの突然でも何でもありません。 想定内もいいところです。本人もそれはわかっていたはずです。そのために昨年、長年連れ添った方と結婚したのでしょう。 あれだけ、タバコを吸い、酒を浴びるように飲んでいた人ですから、はなから健康的で長生きなんて考えていない。 やしきたかじんは、昭和の時代が生み落としたシューティングスターだといえます。 本来の流れ星の意味と、シュート(プロレス用語でいうところのガチ試合)とスター(芸能人)をかけたものです。 やしきたかじんに対する私の考察やしきたかじん吼えるもご覧ください。 たかじんの立ち位置は、常に安定して輝き続ける一番星や星座ではなく。 その隙間を縫うように堕ちる流れ星です。流れ星は一瞬にして消えていきますが、人の記憶に鮮烈に残ります。 そして常にシュート(ガチ)ですから、建前を許しません。腹を割った者同士が、たかじんの周りに取り巻きのように集まってきました。タレントだけではなく、在阪のテレビ局の番組スタッフも彼の信者は多いのです。 だから、東京で問題を起こしても、彼には大阪という帰れる場所があったわけです。 私は大阪に住んでいるので、若い時から彼の番組に慣れ親しんできました。特に深夜に放送していた「たかじんnoBAR」など、はバブル時期と重なって、リアルにタレントとBARで飲んでいるような、キラキラした感覚がありました。 ちなみに、今でも、印象に残っているのは、20年ほど前、ブレイク寸前の藤原紀香がゲストに来た時、男性と夜をともにした経験談と自分の性癖をとうとうと語っていたのを覚えています。 それを見た時、なんや、ただのイケイケ女やんと思ったものです。 ちなみに、藤原紀香はこのブログ画像のぼんちゃんを抱いてもらったこと有ります、毛並みがフワフワで可愛いと評判でしたね。 当時クイズ紳助くん、初代アシスタントです。 『クイズ!紳助くん』(クイズ!しんすけくん)は、1993年10月2日から2011年9月26日まで朝日放送(ABCテレビ)で毎週月曜日の23:17 - 24:17(JST)の深夜番組『ナイトinナイト』枠で放送されていたクイズバラエティ番組・トーク番組。島田紳助の冠番組。 『クイズ!紳助くん』としての放送は、司会の島田紳助の引退直前の2011年8月22日まで放送され、同年8月29日から9月26日まではリポーター集団『なにわ突撃隊』を前面に出し『熱血!なにわ突撃隊スペシャル』として放送されていた。 晩年のたかじんは、年をとって丸くなったといわれるのを何よりも恐れていたのではないでしょうか。 いつまでもやんちゃなオヤジでいたい。その点で早すぎる死ではありますが、伝説を伝説のまま、あの世に持っていくことができ、本人も喜んでいるのではないかと思います。 最後まで毒を吐き続けた人です。味方が多い分、敵も多い。 だから死んだからって、特に在京テレビ局は決して「いい人」だったなんて陳腐なまとめ方をしないでほしいもんです。それは、本人も嬉しくないでしょう。 最近また、思い出したことですが、たかじんとのやりとりで、当時そのまんま東さん、ダチョウ倶楽部3人しか記憶にないのですが、居てましたが、後半はたかじんが楽屋に入り込んで、出て来るまで説得して、スタッフの方や東さんに様子を見てきてくれと指示をして、たかじんが、台本には後なんて書いてるの~とか泣きながら?? のようなやりとりが続いたのを思い出しては、また笑っていました。 後日、たかじんから電話が掛かってきて、あの台本1000万円で売ってくれ~には笑えましたね、そんなの有るか~ってゆうたら、全部アドリブか?ってビックリされていて、生放送で4時間以上流れていたらしい、確かね? 一瞬だけささやかれた、天才と言われた瞬間です。 その後記憶喪失などで、芸能デビューできず、現在に至りますが、今となっては生涯忘れる事が出来ない自慢話しです。 当時のお蔵入りのVTRを今探してる所です、もちろん誰もこの事を語っているサイトは有りませんしね。 喧嘩上等-【電子書籍】 こちらもクリック ★★★「ダウンが無料で増えてしまう方法」無料配信!! ~毎日の入金確認が楽しくなる秘密の方法~ 集団ストーカーに負けて勝つ 防犯グッズ・スタンガン・催涙スプレー・警棒などの護身具ショップ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.09.09 13:00:13
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