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カテゴリ:日常
小学校1年生の時に扁桃腺の手術をしたので夏休みの宿題で、絵を描いて手術の時やら、田舎に帰ってカブト虫やクワガタの絵を描いた夏休みの宿題の思い出のファイルや展示会に出展された、運動会の絵も大事に、画鋲で壁に飾っていたのですが。
学校から帰宅したら、それらの宝物や思い出の品を大型ゴミの日に捨てられていたのです。 当時は、自分の物が捨てられていたのを見つけて、慌ててまた拾って戻して助かりましたが、母親に再度これは大事にしているから、邪魔にならない上の棚に置いてるからと散々話をしてから元に戻して保管していましたが。 母親からしたら、ゴミにしか見えなかったのでしょうね、知らない間にまた捨てられて、全く邪魔にならないのに、ついでに色んな物を捨てられて嫌がらせとしか思えなかったです。 当時もだし、未だに思い出しては、あの時邪魔にならない場所に保管していたのに、何故捨てたのか、訳がわからないと、怒鳴り付ける日が何度かありました。 高額なプラモデルなども、飾って保管していたのに、知らない間に全て捨てられました。 しかし、弟が初めての給料で購入した、品物石鹸だったかな?は大事に押入れに隠して保管していたのです。 弟が、滋賀県に就職が決まった時も内緒でお小遣い持たせていたのも、知っていました。 弟が、バイクの免許をとる時も、車の合宿代も全額お金を出して貰っていたり、自分には車の合宿免許代は全て自腹で払いました。 昔から、晩御飯のオカズも弟が多めとか、差別化されていて、今になって思ったらこれって虐待じゃないの? 線香の火を目に近づけて、悪い事をしたらこれで目を付くと言ったような仕草をよくされました。 当時事を母親に話したら黙ってるんです、それを誤魔化す様に、都合が悪くなるとお経を唱える癖が有りますから、わかりやすいですよ。 お経を唱えて、反省しているんでしょうか? 昔に家を出て、出稼ぎにて、自分の思いなどを綴った手紙を出した事が有りましたが、自分の都合の悪い事を書かれている手紙は紛失されていました、どうでも良いような内容の手紙は残っていましたが、そんなもんです。 小さい頃から寝る前に、お茶やジュース、水など、飲んでは駄目だと言われていました、小さい頃はおねしょするからとか、考えられますが、中学校で陸上など走っていても、水を飲んだらバテるから絶対飲んだら駄目とか、今考えると間違えですよね。 なにせ、水分補給するなって事を昔から言われていたのを記憶に残っています、良く生きていたなって思ったし、夜中に喉がカラカラで水が欲しくて、何度も水と母親にせがんでコップ一杯の水をガブ飲みすることは何度もありました。 クラブ活動中に、倒れて亡くなられた方も、ニュースなどで流れてましたから。 弟が滋賀県で、就職して2年目くらいに、騙されて、実家に戻ってきた時、毎日自分よりも多めの晩御飯を作って用意して、タダ飯食べさせといて、自分からは、5万円は家に入れていた次期も有りましたし、母親がネズミ講に騙されて、〇〇万円もする美顔器も買わされた事も有りました。 自分が、どの様な目にあったのかを知ろうともしないし、未だにきずいていない。 殺されかけていても、何とも思わない見たいな、妄想だと片付けらるんです。 だから、こちらも反抗的な態度を取るのは自然な事でしたよ。 職場でも、母親から虐待受けていたと言う、若い男性の話を聞いていて、家に帰宅したら原因不明て亡くなっていたそうでした。 父親も、早くから亡くなっていて、20代前半で若くして両親2人とも居ないのと比べるのも失礼な話ですが。 まだ元気で居てくれる両親に少しでも、親孝行出来る様にと今では過ごしています。 その時の反動で、大事な物を捨てられないので、一人暮らしの家には物が沢山で、棚が無いので片付かないのです。 不要な物を選別して、それらは欲しい人に使って貰えたらと思っています。 小児および若年成人における突然死 病気・事故・虐待の適切な鑑別のために 子ども虐待医学 診断と連携対応のために お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.09.26 21:10:04
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