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カテゴリ:法学
最近「これを突き詰めていけばいいのかな」みたいなのを
ようやくつかんだ感がちょっとだけしています。 そのコツとは何か、つかんだものをここにあっさり書いてしまうと、 真っ白な目で条文を見てから、どっかで聞いて記憶に残っている趣旨とかを使って、 素朴な疑問にちゃんと答える、ということです。 真っ白な目で見るというのは、 あたかも初めてその条文を見るかのように、条文をよく見ることです。 条文の前後関係、場合によっては憲法との関係も含めて。 それは、初めて見る行政法規を解釈する視点から見るのと同じ感覚です。 というか、行政法の分野では個別法の解釈方法をやってるんだから、 六法でも同じような解釈方法が使えるのは至極当然のことだと考えたわけですね。 むしろ、初めて見る行政法規の場合には、適当に趣旨を考えて解釈するしかないですが、 六法の場合には、ある程度条文ごとの趣旨知っているんだから、 より説得的に解釈論を展開できて、 「都市計画法の解釈に比べたらなんてラクチンなんだ!」 みたいな感覚です(本当にラクなわけではないです、あくまで感覚)。 刑訴の例でいうと、 捜索差押えのところで、218-1の令状の要求の規定や110の令状呈示の規定がありますが、 これは憲法35条に沿う形で(合憲的に)設けられているものなんだよなあとか、 111にいう捜索差押えに「必要な処分」がどの範囲で認められるかというのも、 裁量の逸脱濫用の議論(他事考慮、比例原則等)のように、 218が設けられた目的、つまりは憲法35条の目的に沿う範囲内で 認められるというもので、それをまとめて表現したのが、 「捜索差押えの実効性を確保するために必要であり、 社会通念上相当な態様で行われているか」という判例の文言 なんだろうなあとか、そういうことを考えます。 で、そういう解釈をした後で、これまで学んできた、 こま切れになりがちな論点の記憶をひっぱってきてそこに足すと、 なんかやたら論理的なにおいが答案から漂ってきます・・・気がします。 でもそれで結論はいいのか、そこらへんのおっさんはそれで納得するか、 原則通り法を適用して得られる結果は妥当じゃないのではないか、 不都合を解消するために例外が考えられないか、 というところで、再び同じことをちょっとだけ無理しつつ繰り返す。 みたいな感じです。 ということからすると、やはり趣旨と条文慣れが命だということになりそうですね。 当たり前と言えば当たり前なことなんですが、 論理的にではなく、感覚的にわかると、すごく気持ちいいです。 こういう、「もしかしたらこの分野の本質をちらっと介間見たのかも!」 みたいな気分になるときが(客観的にその感覚が間違っていたとしてもその瞬間は)、 とっても楽しいです。第3次法律マイブーム。わくわく。 一見論理的に見えて、めっちゃ感覚的な文章ですね。すいません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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