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まほろばえりあ-宮城県大崎市

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まほろば

Mar 31, 2006
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カテゴリ:まほろば
 ハーフ 1.jpg
 ハーフ2.jpg 

 鬼首中学校も最後の日を迎えた。
特別豪雪地帯の学校の最後は、春なのに積雪で迎えた。
 時間停止.jpg
 

 新しい校舎への荷物の引越し作業はほとんど終了したが、個別の資料や私物の整理までは個々の職員にしかできないこと。


 運び出し.jpg加工2.jpg

 歩みを止めつつある存在たち。
 日直と整理にやってきた教諭が水道、ガスなどライフラインの停止立会いとにらめっこしながら片付ける。
 たまった荷物の整理はなかなか手間がかかる。
 学校時計で16:59施錠。施錠.jpg
 鬼首中学校最後の1日はこうして幕を閉じた。
 4月1日からは、学校法律上の鬼首中学校は存在しない過去のものになる。 自分が通学した学校ではないが、仕事で10年ほど通った。
それなりにさまざまな思い入れがあったので、感慨深い。
 お疲れ様でした。 全景.jpg






最終更新日  Mar 31, 2006 08:00:45 PM
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カテゴリ:まほろば
 過疎と少子化に伴う児童数の減少で、31日付で閉校の西小野田小学校漆沢分校。最後の年に学んだ子どもたちが、15年後の自分に宛ててメッセージをしたため、タイムカプセルにして、分校最後の日に敷地に埋められた。
分校を忘れずにいて、将来、思い出を語り合うための再会の約束にしようと思いついたアイデア。15年後にしたのは、「1年生が成人したときに会おう」という思いから。
 カプセルには15年後の自分に宛てたメッセージのほかにも分校暮らしの思い出、“15年後の世の中はこうなっている”予想もしたためて封入した。
 ただ、この日は、吹雪を伴った積雪というあいにくの天気。児童たちを集めるのは断念。職員の手で校門の脇に立つ木の根元に埋め、立て札を立てて将来の楽しみにした。児童たちの立会いができなかったのは残念だったろうが、これもまた運命。
 豪雪の雪国ならではの最後の日になった。






最終更新日  Mar 31, 2006 07:44:11 PM
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Mar 30, 2006
カテゴリ:まほろば
卯月近し時。

 冬は豪雪の、きつね森王国も、雪解けが進んで、土が見え出した。
 と思ったら、30日は大吹雪。ふもとにも雪がほどほど降り積もり、
 雪かきで汗びっしょりになってしまった。
  晴れ間のあった3月28日撮影ながら、国土の近況を。

 上の写真は、きつね森王国の領有する、うさぎ平の畑地から望むきつね森国土。
 雪は地面に近いほうからとける。雪解け水の流れる音はいつまで聞いていても聞き飽きない。
ゆきちから3.28.jpg

 雪の下。すこしわかり辛いかもしれないが、穴の中央に横たわるのは昨年の秋に蒔いた小麦の耐寒品種「ゆきちから」だ。
 深雪に危ぶまれた栽培ながら、昨シーズン、その限界の記録を打ち立てた。今シーズンはどうなのか。まだ、眠いようすの彼らに期待は大きい。

きつね森の春木立.jpg
 2月21日付でも掲載した木立。すっかりとけている。30日の雪で逆戻りしたかもしれないが、勢いは止まらない。


 
 春の使者も起き出した。ふきのとう1.jpg


春本番はそこまできている。
 楽しみだ。

きつね森王国の春.jpg






最終更新日  Mar 30, 2006 12:28:01 PM
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Mar 29, 2006
カテゴリ:まほろば
 鳴子、川渡、鬼首の三つを統合して4月に開校する鳴子中学校の開校準備作業は、直前になっていそがしさを増している。
 使える備品の選別と引越し作業が佳境になった。
 新しい校舎に運び込まれた備品は山。整理に時間がかかるが、新職員の赴任は実質3日から。それまでは何もさせてもらえないとか。鬼のような忙しさになる。「1週間で…」ため息が漏れる。文字通りの修羅場になりそうだ。






最終更新日  Mar 29, 2006 03:34:38 PM
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カテゴリ:まほろば
31日で閉校する鳴子町内の三つの中学校で29日、職員の離任式が行われた。
 全職員が異動となる三中学校の中で一番規模の小さな鬼首は13人の職員が離任した。
 在校生に加え、卒業生も駆けつけて体育館で行われた離任式。おりしも雪模様となったこの日、伊藤延夫校長は、「なみだ雪だろうか」と感慨も深く開式。
 生徒会は「最後の年をいっしょに過ごしました。私たちは先生たちのことを忘れません。先生方も私たちのことを忘れないでください。鳴子を離れる先生は鬼首の地域、人たちも忘れないでください。統合中学校にいく先生はこれからもよろしくお願いします。本当にありがとうございました」とお礼。

 伊藤延夫校長をはじめとする教職員も一人ひとりがあいさつに立つ。

「1年だけだったけど3年分ぐらいがんばった」
「統合中の可能性は君たちのためにある」
「変わらないものは闘うこと。みんな4月から変わる。パワーアップ」
「自然、人、先生。鬼首ほど充実したところはない」
「100年後1000年後の復活を期待したい」
「いろいろなことを教えてもらった」
「温泉にでもつかっているようないい気分だった」
「3年間、たくさんのことを学んだ。出会った人には、さよならはいっていません」
「統合中で、ここと同じような保健室をつくりたい」
「自分のことは忘れてもらったほうが(^^ゞひどい先生だったと思い出してうらまれても」
「楽しい充実した日々だった」
「校歌を忘れないで」
「ありがとうございました」

と卒業式の答辞のような雰囲気で思い出をふりかえりながら生徒たちの前途への祝福と激励が続く。
 ひととおりのあいさつが終わると、生徒は職員たちに新任地での活躍を祈ってはなむけの応援エールと校歌を歌って送り出し、学校最後の思い出にした。
 
 鬼首中学校59年の歴史の規定最後の卒業式は先日アップしたが、本当の最後の卒業式は、もしかしたらこの離任式の方かもしれない。
 60回目の卒業式。10代の生徒50人、成人生徒13人。63人が最後の年の卒業生たちである。公式記録には載らない数字。63人の、いや、立ち会った管理人も含めれば64人だけに語り継がれることになるのだろう。






最終更新日  Mar 30, 2006 11:41:17 AM
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Mar 27, 2006
カテゴリ:まほろば
 このところ、学校の閉校に立ち会うことが多くなっている。
 ブログを書き始めてから2ヶ月の間に学校の閉校記事だけで幾本も投稿した。
 紆余曲折を経て人の大事な瞬間に立ち会う仕事を始めてから10年。思い起こせば、いくつもの学校の閉鎖を目の当たりにしてきた。
 宮城県玉造郡、まもなく市町村合併で大崎市となる地域の一部では、この10年で小学校の分校が1校、中学校が6校閉校された。
 いずれも過疎と少子化に伴うものだ。このブログでは、鳴子、川渡、鬼首は鳴子中学校として新しいスタートを切ることを紹介しているが、10年前は、その隣の学区、岩出山、真山、一栗の3校が統合されて新しい岩出山中学校が開校した。ただ、700人の生徒で始まった岩出山は、10年経って、300人台にまでなっている。
 そこに児童を送り出している小学校は、池月と上野目、真山、岩出山、西大崎の5校があるが、児童数の減少で統合の話も話題になるようになった。
 鳴子中学校に児童を送り出しているのは、鳴子、中山、川渡、鬼首の4校。
 いちばん小規模の中山は05年度に30人を切っている。この事態になる何年も前から、隣り合う鳴子への吸収が取りざたされ、中学校統合で、地元の焦燥感も増しつつあるようだ。鬼首も同様だ。80人台で推移してきたが、中学校統合で、鳴子との統合の可能性も一部で論じられている。
 小学校の統合が現実味を帯びるようになったのはなぜか。中学校統合が実現したからである。
 中学校への通学はスクールバスで行われる。同じことが小学校でも可能なはずというのがその論拠である。
 これまでのところ、小学校までは地元で温かく見守るという意見が中学校時よりも大きく、回避されているが、規模が大きくなると周辺部の声が中央に届かないのは常。市町合併で中央から統合の指示がでれば、地元は事実上太刀打ちできない。
 人口流出がすべての問題の元凶だ。どこへかといえば、都市部へ、である。
 若い世代は地方から憧れをもって、大都市圏にでる。残された親の世代は高齢化して、社会は活気をなくす。
 若い世代が自分の育った地をでる。さまざまな理由はあり、どれもやむをえない事情があってとめる権利はない。問題は、受け入れる都市圏にある。
 地方は効率が悪いから、切り捨てよという意識が膨らんでいる。「そんなことはいっていない」と反論する向きには、東京都知事が、地方に対して取っている態度、発言を思い起こしてもらうことで論拠としたい。
 首都の繁栄は誰の力によるものかを考えないその言動は、大都市に住む人々の意思に根ざしたものだ。意識するしないにかかわらずである。
「部分は全体の縮図」という言葉を実感させられる。。。
 都市部が地方を蔑視して行動するというのは、親、祖父の世代を見捨てるということにほかならない。都市部にでると生きる感覚が麻痺して、快楽のみを求めるように心の変化が起きるのだろうなとは思う。
 首都圏でもゴーストタウン化が進んでいて、過疎になっているところがあり、小学校の統合と閉校が起きていることも聞いている。
 ただ、首都圏と地方の大きな違いもある。首都圏は新しい環境を選択するのに、すぐ近くに選択肢がある。隣の家に引っ越す感覚だろう。しかし、地方は違う。生まれ育った故郷を離れるのだ。残る人からすれば捨てるといわれてもしょうがない状況があり、後ろ髪を引かれながらである。でたら最後、一生戻れないかも知れないという覚悟とともに。
 目の前の世界しか見えない人が多いのはなぜだろうか。
地方が流す涙の意味を考えてほしい。
 
  






最終更新日  Mar 27, 2006 05:42:18 PM
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カテゴリ:まほろば
 宮城西部には加美町という町がある。平成市町村合併の波で、中新田町、小野田町、宮崎町が合併してできた。平成合併の宮城では初めての町だ。
 西は奥羽山脈を介して山形県と接する。
 その境界に、地域の小学生が通う小学校、西小野田小学校漆沢分校があった。正確にはまだある。過疎と少子化に伴う児童数の減少で、今年度末で閉校するのである。25日には、地元住民が参列した閉校式と感謝のつどいを開いて、別れを告げた。
 漆沢分校は、1883年に上野目小学校漆沢分教場として開校し、異動や校舎の二度の建て替えなどの変遷を経ながら122年にわたって、子どもたちを育て送ってきたのに加え、地域コミュニティーの交流の場として活動してきた。
 いちばん在籍が多かったのは、1958年で121人の児童がいた。
 その後、人口流出と少子化に伴って児童数は減り続け、今年度は全学年5人だけで学ぶことになり、そのうちのひとりがこの春卒業。次年度の新入生はゼロで今後も増える見込みがなく、教育と維持の困難も増したことから、地元でつくる振興会が夏に開いた臨時総会で閉校に踏み切ることを決定。町に申し入れて、そのときを迎えたのである。
 最期を迎える校舎には、惜しむ同窓生、地元住民らが訪れ、体育館で加美町が主催する閉校式、住民でつくる振興会が主催する感謝の会に参列。在校生にこの春の卒業生たちによる町民憲章朗読で開式した式で、星明朗町長は「漆沢は、地域とともに歩んできたからこそ続いてきた学校。ひとつの終わりはひとつの始まりでもある。脈々と流れてきた精神を生かしながら教育をしていかなければならない。これからの飛躍に期待したい」と式辞し、眞山晴夫校長は「子どもたちは、閉校を告げたとき、受け止めてくれた。分校が地域に果たしてきた役割は大きく、地域の温かさで育てられてきた。今後は本校で子どもたちの可能性を伸ばせるよう、職員は誓う」と分校の時間を総括。児童からも一人一人が折々を振り返りながら「楽しい思い出がいっぱいあります。本校通学は不安だけれど、いっぱい楽しみにしていることもあります」「なくなるのはさみしいけれど心の中で生き続けます。目を閉じるとあたたかく輝く分校が見えるでしょう。ありがとう漆沢分校」と校舎へお別れの言葉をかけ、校歌斉唱ののち、教育委員会が閉校宣言をして終止符を打った。西小野田小漆沢分校閉校式.jpg
 その後の感謝の会では、思い出の写真のスライド上映やスピーチで追憶しながら、分校舎での最後の時間を思い出にした。
 漆沢の子は新年度から9.8キロ離れた本校にバスで通学することになる。校舎は老朽化していることもあり、地元の意向で解体される方向。記念碑を建てたり児童たちがタイムカプセルを埋めたりして、分校があったことを語り継いでいくという。

写真は漆沢分校舎とその閉校式で、思い出を発表する児童たち。けなげな姿と決意が会場の涙を誘った。






最終更新日  Mar 27, 2006 05:55:44 PM
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Mar 24, 2006
カテゴリ:まほろば
24日、宮城県では、多くの学校で修了式が行われ、この春に統合される鳴子町の三中学校も校史最後の修了式を行って学びを終えた。
 鬼首中学校では、29人が最後の修了を迎えた。
道徳の授業ののち体育館で修了式が行われ、伊藤延夫校長から学年代表に修了証書を授与。
最後にあたって、各学年代表から、これまでの生活、新しい環境について思いが語られ、1年生からは「1年だけだったが、数々の思い出をつくってきた校舎での暮らしはよかった。統合中学校では生徒も多くなって戸惑うかもしれないけれど、鬼中魂で勉強と部活をがんばりたい」、2年生からは「伝統を残しながら新しい伝統をつくるのが使命。最上級生として信頼される先輩になりたい」と決意を発表。
 それを聞いた伊藤校長は、「最後の1年間の修了おめでとう。心も体も成長して有終の美を飾ることができた。春休みは個人的な目標についてよく考え、新たな一年をしっかり歩んでほしい。思い出を大事に大きく羽ばたいてほしい」と前途を祝福。全校活動としては最後の校歌を歌い、学活で締めくくった。

 29日には、全職員の離任式が行われ、31日付で校史に終止符を打つ。

写真は、全校活動最後の校歌斉唱。

カウントダウンは残り7日…。






最終更新日  Mar 24, 2006 02:20:19 PM
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Mar 23, 2006
カテゴリ:まほろば
59年の歴史を閉じる鬼首中学校の歴史を後世に伝えようと、最後の年度に学んだ生徒たちが校歌を刻んだレリーフをつくり、後世に伝える役を探してもらおうと、役鬼首基幹集落センターに預けられることになった。
 生徒会が秋の文化祭にあわせて制作したもので、50人の生徒が1番の歌詞「朝雲晴れて のぼる陽に 禿荒雄の峰 映ゆる 沸る噴湯と 競いつゝ 正しく強く 伸び進む あゝ 鬼首中学校 集う我等の 眉固し」の一文字一文字を、約6センチ四方のカツラのタイルに手分けして浮き彫りにして組み上げ、文化祭発表後に、仕上げ工程を施した。
 鬼首基幹集落センターには、生徒会執行部が訪れて託した。「鬼首中、そして校歌を忘れないでほしい気持ちで一文字一文字いっしょうけんめい彫りました。閉校はさみしいですが、見て思い出してほしい」という生徒会に、「しっかりと預からせてもらう」と約束した。
 鬼首中学校の校歌はCD化もして歌い継がれることになっていて、レリーフも、今後、引き受け役、場所を募っていくことにしている。






最終更新日  Mar 23, 2006 12:33:08 PM
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Mar 22, 2006
カテゴリ:まほろば
 鬼首中学校と地元、同窓生とのお別れのつどいは、鬼首の自然を奏でる縄文音楽集団「鬼」と和太鼓グループ鬼之國心鼓会ら同窓生のステージでオープニングを飾った。


加工用3.jpg





 メッセージ朗読や四季折々の表情に学校活動のスライド上映、記念樹と校歌CDの贈呈、最後の生徒たちの合唱と南中ソーランのステージを織り交ぜながら、ともに過ごしてきた時間を追憶。



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 フィナーレは「ふるさと」と校歌の合唱を呼びかけ、全員で学び舎に響けとばかりの大合唱を敢行し、詩、音のひとつひとつに万感を乗せて母校に別れを告げ、いっぱいの感謝を最期へのはなむけにした。


加工用5.jpg
 廃校となる鬼首中学校の校舎は、どうするのか、まだ処遇が決まっていない。
 保存を求める地元の声に対し、鳴子町教育委員会は、地元には、すこし酷な要求を突きつけて、応じられないのを理由に、解体の方向で、新しく加盟する大崎市教育委員会と調整を行っているらしい。安全確保を含む維持に費用がかかることが理由のひとつで、一理あることはあるが、実態は、事なかれ主義からくる逃げの一手で、統合後に残された地域に関しては、無策に等しかったので、時間切れを狙ってのことは想像に難くない。
 地元では大崎市教育委員会との折衝にわずかな希望をつなぎたいところだが、厳しさは増すことは明らかなだけに、思いは複雑である。






最終更新日  Mar 22, 2006 09:58:33 AM
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