もうひとりの僕『もうひとりの僕』今日も帰りが遅くなってしまった。 お母さん怒っているだろうな。 そう思うと急がなければいけないのだが、ますます足はのろくなった。 『今日こそは早く帰って来なさいよ!』 出掛けにお母さんに言われたけど、その時は僕だって、今日こそはきちんと帰ろうと思ってたんだ。 でも、友達の家でゲームを始めると、とたんにそんな考えは吹っ飛んでしまう。 あと少しだけ・・・と思ってずるずるゲームを楽しんでいるうちに、いつのまにか外はすっかり真っ暗だ。 家に帰り着いてみると、窓から灯がこぼれているのに、玄関は真っ暗だ。 いつも僕の帰宅時間には明かりをつけていてくれるのに。 『お母さん怒っているのかな?』 僕はドアを開けようとして鍵が掛かっている事に気がついた。 僕はこっそり入ることを諦め、ドアチャイムを押す。 ピンポ~ン!ピンポ~ン! 『はい。どちら様ですか?』 インターフォンからお母さんのよそゆきの声。 『僕だよ。開けてよ。』 しばらくインターフォンの向こうが無言になった。 『・・・どちら様ですか?』 これは、そうとう怒ってるな。 『僕だよ。ここを開けてよ。』 『・・・・・・・・・・。』 お母さんは答えてくれない。 『開けてよ。ねえ。遅くなってごめん。』 『真の・・・お友達?』 怪訝そうなお母さんの声。 僕はどんどんとドアを叩いた。 『真に決まってるだろ。ごめんってば。開けてよお母さん!』 ドアがやっと開いた。 僕を見て、目を見開いて固まっているお母さん。 そして、そのすぐ後ろにいる人影に目をやって、僕はどうしてお母さんが僕を締め出したのかがわかったんだ。 そこにいたのは、僕とおんなじ顔をした子供だったんだ。 服装も髪型も、昨日転んでつけた膝小僧の傷までまるで同じだった。 『『お前誰だよ!』』 僕とそいつは同時に叫んだ。 声もそっくりだ。 『『僕は真だよ。』』 お母さんはわけがわからないという風に僕とそいつを見比べていた。 僕はかっとして、そいつに跳びかかっていった。 僕たちは玄関で、ごろごろと転げあい殴りあった。 喧嘩の強さまで同じだ。 『やめなさい!』 お母さんが僕たちを引き離した。 それから僕とそいつは、リビングでお母さんの向かいに並んで座って、お母さんからいろんな質問をされた。 友達の名前、先生の名前、この間の日曜日に家族で行った遊園地の事・・・。 僕もそいつも答えられない質問はなかった。 お母さんは、とても困った顔をした。 『とにかくお父さんが帰ってくるまでは、一緒に暮らしましょう。』 お父さんは今、出張中だ。 1週間は帰らない。・・・という事は、1週間もこいつと一緒なのか。 『真。お風呂に入ってきなさい。』 お母さんが言うので、僕は風呂場に行って服を脱ぎ始めた。 そしたら、そいつもついてきて服を脱いでいる。 『お前は後で入れよ。』 僕は言ったけど、そいつは生意気にも、 『いやだね。お母さんは「真」に風呂に入れって言ったんだもん。』なんていうんだ。 僕とそいつは一緒に体を洗い、湯船の端っこと端っこに縮こまるようにして入った。 風呂から上がるとパジャマがふたつ出ていた。 でもひとつは少し小さくなったパジャマだ。 僕が気がつくより早く、そいつは新しいパジャマの上着を掴んだ。 僕もあわてて新しいパジャマのズボンを取った。 僕たちは、古いパジャマと新しいパジャマをまぜこぜに着て食卓に向った。 今日は僕の好きなハンバーグだ。 喜んで一口ほおばって、そのとたん僕は口の中のハンバーグを吐き出して、お母さんに文句を言った。 『おふぁあさん!にんじんいれふぁね!』 ハンバーグには、みじん切りになったにんじんが混ざっていた。 僕はにんじんは嫌いなのに、お母さんは時々こっそり料理に混ぜるんだ。 『にんじんは体にいいのよ。ハンバーグに混ぜたんだから、にんじんの味はあまりしないはずよ。』 なんてお母さんは言ってるけど、にんじんはにんじんだ。 『僕こんなのいらない!』僕はハンバーグの皿をお母さんに押しやった。 『ちゃんとしたハンバーグを今すぐ作ってよ!』 僕は食卓の脚を蹴飛ばした。 お母さんが息をひゅううと吸い込んだ。 来る!僕は思った。 だけど負けるもんか。お母さんが悪いんだ。 ところがその時そいつが言ったんだ。 『僕食べるよ。』 そいつはハンバーグを箸で掴むと、目をつぶり、一息に食べてごくんと飲み込んだ。 『ごちそうさま。お母さん。にんじんの味あんまりしなくて美味しかったよ。』 そいつはそういって、さっさと自分のお茶碗を台所に持っていった。 『偉いわ真ちゃん。』 お母さんは嬉しそうだ。 お母さんは自分もさっさとご飯を食べ、僕のお皿だけ残して片付け始めた。 『お母さん。僕。洗うの手伝うよ。』 そいつの声が聞こえた。 二人は僕には目もくれないで、仲良く台所で食器洗いをはじめたみたいだ。 僕だけ、空腹で一人ぼっちで、なんだか涙が出そうになった。 僕が本当の真なのに。こんなのひどいよ。 僕はむかついてきたので、ご飯も食べずに自分の部屋のベッドに飛び込み、グルグルと布団にくるまった。 夕飯を何にも食べてないのでお腹がきゅるきゅる鳴っている。 鼻の奥がつ~んとした。 静かにしていると隣の居間から、あいつの笑い声が聞こえる。 テレビの音も。 しまった。僕は思った。 今日は『昆虫キング』の日じゃないか! あいつも、好きな番組なのか。 僕も観たくてたまらなかった。 でも、のこのこと居間に行くのは嫌だ。 お母さんは僕のことが気にならないのかな。 僕はたまらなく惨めな気分になった。 僕の両眼から涙が噴出した。 僕はぐっと声をこらえた。 あいつとお母さんが仲良くしてるのを、僕が気にしてるなんて思われるのは嫌だ。 僕は泣きながらいつのまにかうとうとしていたらしい。 気がつくと僕の隣に誰かが入ってこようとしていた。 『お母さん?』 僕は寝ぼけ眼をゴシゴシとこすりながら言った。 『お前さあ。まだお母さんに添い寝をしてもらいたいわけ?』 僕の隣で布団に包まったのはあいつだった。 『なんで!ここは僕の布団・・・。』 『「真」の布団だろ。』 そいつは最後まで僕に言わせなかった。 『泣いていたのか?』 そいつは僕の顔を覗き込むようにして聞いてきた。 『うるさいっ!』僕は叫んだ。 『しっ・・・静かにしろよ。喧嘩したら、またお母さんに怒られちゃうだろ。』 そいつは、そういってごそごそと自分のパジャマの裾をめくった。 『ほら。腹減ってるだろ?』 そこから出てきたのはラップに包んであるでっかいおにぎりだった。 『食えよ。中身はお前の好きなのだからさ。』 そいつは僕の手におにぎりを押し込んだ。 おにぎりはまだほのかにあたたかかった。 『変なおにぎりだなあ。』 おにぎりは三角ともボール型ともつかない形で、おまけにあちこちでこぼこしていた。 でもそれをみると僕の口の中には生唾が溜まってきた。 僕がおにぎりをほおばり始めると、そいつはなんだかニコニコと嬉しそうに僕を見ていた。 おにぎりにはウインナーとか肉団子とかたくわんまで入っていた。 『うまいだろ?』そいつが聞いてきた。 僕は無言でうなづいた。 そしてがつがつと全部食べてしまった。 そいつが、 『肉団子うまかったか?』と聞くから、僕はもう一度うなづいた。 『よし。よく食ったな。』そいつは僕の頭をポンポンなぜるように軽く叩いた。 偽物の癖に生意気な奴。 それから僕とそいつは同じベッドで同じ布団で一緒に眠った。 だって仕方がないだろう? じんわり人肌のあたたかさが伝わって僕はすぐ眠くなった。 そいつのスースー言う寝息や心臓の鼓動がすぐそばで聞こえた。 朝が来て、僕はお母さんに起こされた。 『真。起きなさい。学校に遅れますよ。』 僕はごそごそと布団から這い出た。 隣を見るとあいつの姿がない。 僕より先に起きたのだろう。 僕は服を着替えて台所に下りていった。 そこにもあいつの姿はない。 洗面所かな? 僕は食卓の端においてある弁当箱から肉団子をつまみ食いした。 うん。うまい。 お母さんが、振り向いて、 『真。お弁当つまみ食いしないでよ。』といった。 でも僕が食べたのが肉団子だと解るとにっこりした。 『どう?美味しいでしょ?』と聞いてくる。 僕はうなずいた。そういえば、昨日のおにぎり。 あれに入っていた肉団子と同じ味だ。 『それね。昨日作ったハンバーグをちょっとアレンジしたのよ。』 『えっ?』 『ね。にんじんが入っているなんてわからないでしょ?』 確かにぜんぜんわからなかった。 『昨日、真ちゃんがんばってハンバーグ食べてくれたでしょ。お母さんももっとがんばって、真ちゃんが食べやすいように作ってみたのよ。』 お母さんはニコニコ言う。 『違う。それは僕じゃない!僕は怒って食べないで寝ちゃったもの。』 僕が言うとお母さんは変な顔をした。 『真てば、昨日ちゃんと食べて美味しかったって言ってくれたじゃない。食器洗いまで手伝ってくれて。』 『だから、それは僕じゃない!もうひとりの僕だよ!』 『もうひとりの真???』 お母さんは不思議そうだ。 僕は、変な予感がして、あわてて椅子から立ち上がると、家中あいつの姿を探してまわった。 居間、僕の部屋、お母さんとお父さんの部屋、洗面所、風呂場、押入れ、トイレ、僕は探し回った。 あいつの姿は消えていた。 『お母さん。あいつどこに行ったの?』 『あいつって誰の事?』 『昨日現れた僕そっくりの子だよ。』 僕が一生懸命説明しているのに、お母さんにはちっとも伝わらなかった。 『真は一人っ子でしょ。夢でも見たんじゃない?』 そんな馬鹿な! 結局、そいつは僕の前にもう二度と出てくることはなかった。 1週間がたち、お父さんが出張から帰ってきた。 お父さんは、夕飯を食べたあとビールを飲んでくつろぎながら、僕に留守中の事をいろいろ聞いてきた。 僕は、僕にそっくりなあいつの話をした。 お父さんは赤い顔をして笑いながら、 『それは座敷わらしかもしれないぞ。』と言った。 お父さんは上機嫌だ。 お~いビールもう1本。なんてお母さんにいっている。 『座敷わらしに会えるなんてすごいぞ真。座敷わらしは、その家に幸運をくれるそうだぞ。』 あいつが座敷わらしだったのかなんて、僕は知らない。 それからも僕の家が特別お金持ちになったり、お父さんが出世したりなんてことは別になかった。 でも僕は、あいつが本当にいたことだけは知っている。 僕の布団から出てきた、ご飯粒のついたサランラップの塊。 それに、いつのまにかあの日の『昆虫キング』が僕のビデオテープに録画されていたんだ。 |