サトリ注意)今日の小説は少しだけ性的表現があります。『サトリ』 姑を愛想笑いで送り出してから、私はやにわに夫に向き直ると、 『何でそうあなたは無神経なのよ!』と怒鳴った。 『なんだ、なんだ急に。』 夫はきょとんと私を見上げた。 『お義母さんの事よ!私の作った煮物を食べて、 「私は田舎もんだから解らないけど、これは、3分で何とかというやつなのかねえ。 都会はさすがに便利だねえ。」なんて!』 『へっ?』 夫のアホ面を見てますます怒りがこみ上げる。 『だ・か・らっ!解らないの? 私が作った料理は、レトルト並みにまずいって言われたのよ!』 『だけど、その、うまかったけど・・・。』 『うまいまずいの問題じゃないの! お義母さんは、私を嫌いだから嫌味を言ったのよ!』 夫は眉間にしわを寄せ、考えている顔になった。 『だって、お前もお袋もニコニコ話してたじゃないか。 あれはお袋の冗談みたいなもんだろう?』 私はいらいらと爪を噛んだ。 まったく馬鹿正直というか、どうしてこう、人の裏が解らないんだろう。 こういう人に、姑の嫌味から守ってもらいたいと思っても到底無理な相談だ。 『だいたいあなたは、人の気もちってものが、ちっとも解らないのよ!』 これには夫もむっとしたのがわかった。 『この間の休日。 私が寝込んでいた時だって、あなた少しも労わってくれないし。』 私は恨めしげに夫を見る。 『ご飯だって・・・。』私は鼻をすすった。 『何言ってんだよ! オレはお前が寝込んでるから、自分で飯だって作ったんだぞ!』 『・・・カップ・ラーメンを自分だけ食べてたわね。』 『お前に食うか?って聞いたら、いらないって言ったじゃないか!』 私はかっとなって夫のむこうずねを蹴っ飛ばした。 『おなか壊してる人間に、カップメン勧める馬鹿がどこにいるのよっ!』 夫は私の髪を掴んだ。 『だったら言えばよかっただろ!』 私達は玄関先で、そのままバトルに突入した。 3分後、私は夫の上に馬乗りになり締め技をかけていた。 『く、ぎゅにゅいい~~~っ!!』 夫の手がひくひくと伸びて壁にすがる。 どうやらロープのようだ。 私は鼻息荒く立ち上がった。 これ以上すると、夫の明日の勤めに差し障る。 私のストレスも綺麗さっぱり解消していた。 エプロンのポケットからふきんを取り出すと、夫の涙と鼻汁でびしょびしょになった顔を優しくぬぐう。 何はともあれ、私は夫を愛しているのだ。 夫はえぐえぐといつまでも泣きじゃくり、ふきんではぬぐいきれなくなったので、私は台所から台拭きを持ってきた。 『チン。しなさい。』私が命ずると夫は、私の差し出した台拭きの間に顔を突っ込み、 『ブヒューーーッ!!』と盛大に鼻をかんだ。 『オ、オレだって辛いんだぞ。 お、お前にはお袋の愚痴を聞かされるわ。 お、お袋には、お前の悪口を聞かせられるわ。 そ、そのたびに、オ、オレが、ま、まるで、ば、馬鹿みたいに言われるんだ。』 『そう・・・。』 私はゆっくりとうなずいた。 『ヒッ!』 しゃっくりみたいな声を出して夫が息を呑んだ。 私は一瞬夫を哀れに思った。 ほんとうに馬鹿だ・・・。 『今日はじっくり、お義母様が何をおっしゃったか、聞かせてくれるわよね?』 じりじりと壁に後ずさり、いやいやをするように顔を振っている夫に、私は菩薩のような笑みを向けた。 夫が失踪したのは次の日だった。 いつも通り出勤したとばかり思っていたが、何時までも帰宅せず、翌日会社に電話すると、夫が無断欠勤している事がわかった。 駅の伝言板に、 『旅に出ます。探さないで下さい。信彦』と書かれているのが発見された。 なぜ?なぜいなくなってしまったの?あなた・・・。 私はわけもわからず泣き崩れた。 捜索願を出したが、警察はほとんど取り合ってくれなかった。 ひとりの家はわびしかったが、夫が今にも戻ってくるのではないかと、私はけなげに家を守っていた。 それから半年たったある日。 私は、みなもんたと電話をしていた。 『そうですか。 鬼のようなお姑さんに苛められる貴女の姿を見て、何も出来ない自分にふがいなさを覚えたご主人が、家出されてしまったと。』 私が涙ながらに説明しているときに、玄関のチャイムがピンポーンと鳴った。 うるさいわね。今いいとこなんだから。 悲劇のヒロインに浸っていた私を、続けてチャイムの音が邪魔をした。 『今、玄関の音がしませんでした?もしやご主人が・・・。』 みなもんたが言いかけたとき、ガチャリと鍵を回す音がした。 私の頭の中で、 『美貌の人妻。白昼の惨事。』という新聞の見出しが踊った。 ドアが開いた。 『ただいま。』 そこに立っていたのは、紛れもなく夫の姿だった。 『あなたっ!』 私は受話器を取り落とし、夫に向ってダイブした。 『馬鹿、馬鹿、馬鹿ッ!いったい今までどこに行ってたの?!』 夫の胸に顔をうずめ、ポカポカとこぶしをぶつけながら、私は大声で泣いた。 そして突き上げる思いのたけをこめ、夫の顎をめがけてアッパーカットを繰り出した。 夫はひょいとよけると、私のこぶしを片手で止めた。 むむっ!できるっ! 『心配かけてごめんよハニー。』 夫の顔に苦みばしった男っぽい笑いが浮かんだ。 『君にふさわしい男になるため、山にこもって修行をしてきたんだ。』 はたと気がつくと、しがみついた夫の服の下に、今までにない厚い胸板を感じた。 ひょろりとしていた夫は、何があったのか、半年の間に身も心も、がっしりとたくましくなっていた。 そうか、夫は私のために、逞しくなって帰ってきたんだわ。 私は喜びのあまり、夫に熱烈なキスをした。 半年振りのキスは、なぜかカップメンの味がした。 後日、その時のみなもんたの番組が、史上最高の高視聴率だったと聞いた。 私は、受話器を落としたままなのをすっかり忘れて、戻ってきた夫とあれやこれや、半年振りのスキンシップをしてたのだった。 お昼だったのにもかかわらず、生番組だったせいか、かなりきわどいところまで放送されてしまったらしい。 その後テロップで謝罪が流れたそうだが、どうも視聴率のために「うっかり」流したような気がする。 私は、はあぁ~ッと重くため息をついた。 夫が戻ってきて1週間がたっていた。 夫は会社に出勤中だ。 クビだろうと思ってたのだか、会社は夫の復帰を認めたばかりか、異例の昇進まで約束した。 全ては夫が山で身につけてきた能力の為である。 夫が戻った翌日。 私は夫に、どうして何も言わず出て行ったのかと質問した。 『ハニーごめんよ。 何も言わなかったのは、オレが「サトリ」を見つけられるか解らなかったからだ。』 『サ・ト・リ?』 『君も聞いた事がないかい?相手の考えを読む妖怪のことだよ。』 私の頭の中に、日本昔話のテーマソングが流れた。 『オレは昔から気が利かない男だったし、君にも何度も、人の気持ちを読めと言われてたね。』 夫は私の手を両手でぎゅっと握り締めた。 『オレは愛する君のため、サトリの伝説がある山にいったんだ。 そしてついにサトリを見つけ、弟子にしてもらうことができたんだ。』 『よ、よく食べられなかったわね。』 私は自分でも間抜けと思うような質問をした。 『オレがリュックに詰めていたカップメンのおかげさ。 サトリの奴、涙をながしながら、こんなにうまいもんを食ったのは初めてだって言ってたぜ。』 『そう・・・。』 『おかげで修行の最中も時々山から降りて、カップメンを買いに行くハメになったが、最近は山奥にも、けっこうコンビニとかあって助かったよ。』 夫は晴れやかに笑ったが、か弱い私はなぜか不吉な予感に、子羊のように震えるのだった。 私の嫌な予感は当たってしまった。 サトリの夫と暮らすのは、どんなことか想像できるだろうか? たとえばである。 私がちょっと買い物に出かけたとする。 『あなたに似合うと思って・・・高かったのよ。』 そう言って、そっと夫に買ってきたばかりのジャケットを渡す。 もちろん値札は取ってある。 『3980円。 お前が自分に買ってきたスカートは2万円。』 夫はボソリとつぶやいてみせる。 あるときは、テレビで美青年のボーカルが、ぴちぴちのズボンを身につけて登場したとする。 繊細な私は、そのもっこりとした部分に、思わず目が固まってしまうのだ。 『まあ。汚らわしいっ!』 ところが、夫は私を横目で見て、ニヤニヤと思わせぶりに笑って見せる。 『もうがまんできないっ!』 私はいらいらと部屋中を歩き回った。 夫はサトリ能力を生かして、優秀な営業として活躍している。 精神も逞しく、前のように私の顔色を伺う事もなくなった。 変わらず私のことを愛してくれてはいるが、私が愛していた夫とは、もはや違う人間なのだ。 ここを出て行こう! 私は思い立った。 夫と離婚して、新たな人生をやり直すのだ。 私がそう思ったとたん後ろから肩を抱きとめられた。 いつの間に帰宅したのだろうか、そこには夫の姿があった。 『君の考えは聞こえていたよ。』 私は夫から逃れようと暴れた。 これは夫ではないサトルの化け物だ。 『そうだ、君のためにオレは化け物になったんだ。』 夫は私を赤子のように押さえ込んだ。 『そんなに暴れるなよハニー。』 誰がハニーだ! 『そんなに暴れると怪我をするよ。』 夫は私の手首を、ベルトで後ろ手に縛り付けると、そのままごろんとベッドに転がした。 『少し落ち着いてくれよ。』 どうやったらこいつをやっつけられるだろう? 私がそう思うと、夫は悲しげな顔をした。 私は自分の考えが、ことごとく読まれるのに嫌悪を覚えた。 『仕方ないんだ。サトリの力はオレ自身にも止められない。』 私の頬に、夫の涙がポツリと落ちた。 私の中から夫への恐怖心が消えた。 そのとたん私の中にある考えが浮かびかけたが、私はそれが形になる前に、頭の中に思いっきりピンクな妄想を広げて見せた。 『ああん。腕が痛いわ。』 私は身をくねらせた。 なんだかSMみたい。 そう思ったとたん。 夫の顔が真っ赤になって、 『いや、そんなつもりは・・・。』としどろもどろになった。 『だったら、このベルトはずしてよ。 あなたの力に敵わないんだから。』 これは私の本心だ。 夫は私の体に手を回し、ベルトをはずそうとした。 夫の荒い鼻息が聞こえる。 私は自由な両足を夫の腰に絡めた。 『あ・な・た。』 そっとささやくと夫はすっかりその気になった。 夫が夢中になり行為に没頭し始めたところで、私はそろそろとベッドサイドに腕を伸ばしていった。 夫がはっとしたように、動きを止める。 『何をッ!』 私は夫の後頭部に思いっきり花瓶をぶつけていた。 夫は低いうめき声を上げ目を覚ました。 『あなた大丈夫?』 私は夫を覗き込んだ。 『あ、あれ?ここはオレの家か?』 夫は後頭部を揉みながら起き上がった。 『おかしいな。 オレは確か山に行って・・・。』 『そうよ。あなたは山で遭難したの。』 私は夫の目を見ながら言った。 『そうか、やっぱり無理だったのか・・・。』 夫は悲しげにうつむいた。 どうやら記憶と共にサトリの能力は消えたようだ。 私は賭けに勝ったのだ。 『もうどこにも行かないでね。 私は今のままのあなたが好きなのよ。』 私はそっと愛する夫の胸にすがった。 それから。 私と夫は、昔通り仲良く暮らしている。 会社の人間は、気の利かない営業マンに戻った夫を不思議がった。 だが、夫はサトリの能力については、私以外の人間には話していなかったので、出世が見送りになったほかは問題にはならなかった。 不思議なことと言えば、夫の筋肉がみるみる落ち、元の貧弱な体に戻ってしまった事である。 あるいはあれもサトリの能力と関係していたのだろうか? 私は今の生活に心から満足しながらも、時折、あの恐ろしく、そして優しく、強かったサトリの夫を思い出し、貞淑な心を千千に乱されるのであった。 |