金木犀の花咲く下で『金木犀の花咲く下で』『これは花の香りですか?』 縁側で、うとうととしていた私は、その声にはっと目を覚ました。 庭の塀の上に、若い男性の顔があった。 『すみません。驚かしてしまいましたか? 散歩をしていたら、どこからか甘いよい香りがしてきたので、その匂いに誘われてしまいました。』 男は人懐っこい表情を浮かべていた。 花の香りに誘われるとは、まだ若いのにずいぶん風流な。 そう思うと、私の警戒心はとけ、自然と笑みがこぼれた。 『これは、金木犀ですよ。 ほら。あなたの目の前に、オレンジ色の小さな花が、たくさん咲いているでしょう?』 私が言うと、男は目を見開き、 『こんなに小さな花が、これほど強い香りを放つのですね。』と、小花の房に鼻を寄せた。 男に触れられて、明るい色の花がほろほろとこぼれた。 そのとき私は、男の瞳の色が、よく晴れた日の空のように青いことに、初めて気がついた。 『私の住んでいたところには、この花は咲いていなかったな。』 男はうれしそうにうなずいてた。 『お国は遠いのですか?』 私は尋ねてしまってから、少し無作法だったかしらと思ったけど、男は少しも気にしていないように微笑んで答えてくれた。 『ずうっと北の国で私は生まれました。 だから、花はとても嬉しくて。』 私は男に好感を覚えた。 『少し上がっていきませんか?家のものも留守ですし、少し退屈していたのですよ。』 私の言葉に、男は花から顔を上げた。 『けれど・・・ご婦人の家に・・・。』 男の言葉に、ますます私は好意を抱く。 『こんなおばあちゃんですもの何も遠慮はありません。 ボロ屋ですが、庭だけは自慢なんですよ。 塀越しではなく、ぜひ縁側から見ていってくださいな。』 重ねた言葉に、男は遠慮しつつも、私の庭に入ってきた。 縁側に腰をかけ、庭の花を並んで眺める。 群落を作る葛の花に、燃えるような色の鶏頭。 蝶の形をした萩に、濃い紫の桔梗の花。 ひょろりと生えているのは松虫草。 玄関へと続く、飛び石の脇に生えているのは、コスモスのひと群れだ。 『金木犀のお茶があるんですよ。』 私の言葉に男は驚いたようだ。 『お茶ですか?』 男はお茶など飲んだことはないのだろう。 私が勧めたものに、恐る恐る口をつける。 『熱くない・・・。』 『そうですよ。冷たいほうがいいでしょう?』 男は、ほっとしたように、薄い金木犀茶を口に含んだ。 『ああ・・・花が咲いたようだ。』 男はうっとりと、その青い瞳を閉じた。 『変わっているでしょう?』 私の言葉に、男は目を閉じたままうなずいた。 『変わってますね。このお茶も、貴女も。』 そういってしまってから、男は、はっとしたように瞳をあけ、あーとかうーとか、言葉を捜している。 その様子に、私は思わず噴出しそうになった。 『すみません。その・・・花にあふれた庭も、花の香りのお茶も、花の中の貴女も、なんだか夢の中にいるようで、とても素敵だって言いたかったんです。』 男は、はにかみながらも真摯に言葉を綴った。 その素直さが可愛く思えて、もし私に孫がいたら、こんな風かしらと、こっそり想像してみたりした。 秋の日差しがやさしく降り注いでいた。 夕方になって、一人の主婦が、自宅の玄関のドアを開いた。 『立ち話をしすぎちゃった。早く夕飯の用意をしなきゃ。』 ばたばたと、ぶら下げたスーパーの袋を台所のテーブルに置き、ふと居間のほうに足を運んだ。 『みーちゃん。もう寒くなるから、部屋に入りなさい。』 居間から縁側に通じるガラス戸の鍵を開けながら声をかけた。 にゃあ~。 そこには、その家の老雌猫が、青い瞳の猫と寄り添うように、日向ぼっこをしていた。 ジャンル別一覧
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