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2008年08月09日
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今日は63回目の長崎原爆記念日です。

 1945年8月9日、午前11時2分、米軍爆撃機から投下された1発の原子爆弾が
地上500メートルで炸裂しました。
猛烈な熱線や爆風、大量の放射線。7万4千人の生命が奪われ
7万5千人の方々が深い傷を負い、廃墟となった大地も、川も、亡骸で埋まりました。
平和公園の丘に建つ納骨堂には、9千もの名も知れない遺骨が、今なお、ひっそりと眠っています。 (長崎平和宣言より抜粋)

まいママの父は当時16歳・・学徒動員の兵器工場で被爆し、当時17歳だった母もまた
学徒動員で防空壕を掘る作業中に被爆したそうです。

あの日から63年経った今もなお日差しがジリジリと照りつけ、セミの大合唱を聞くと
あの日の地獄絵図が思い出されるそうです。



爆心地から500メートルの地点にあった長崎市立山里小学校では
原爆によって1,300人の児童と先生が一瞬に命を絶たれました。
近くで保養を続けていた被爆医師・永井隆(ながいたかし)博士は、あの子らの霊を慰め
平和への足がかりにしようと、生き残った児童たちの原爆体験記「原子雲の下に生きて」
の出版を援助、その印税で「あの子らの碑」を校庭の片隅に建立しました。
さらに、博士自ら「あの子」を作詞し、長崎市議会事務局長の木野普見雄(きのふみお)さんに作曲を頼み、昭和24年11月3日に行われた碑の除幕式で、山里小学校児童の歌で披露されました。
以来、「あの子らの碑」には千羽鶴が絶えることがなく、歌の「あの子」も、碑の除幕式のあった
11月3日前後に毎年碑の前で開く平和祈念式などで、今日まで歌い継いでいます。
(歌で巡る長崎より抜粋)


「あの子」
(昭和24年=1949、永井 隆・作詞、木野普見雄・作曲、山里小学校児童・歌)

1、壁に残った落書きの 幼い文字のあの子の名
呼んでひそかに耳すます ああ、あの子が生きていたならば

2、運動会のスピーカー 聞こえる部屋に出してみる
テープ切ったるユニホーム ああ、あの子が生きていたならば 

3、ついに帰らぬおもかげと 知ってはいても夕焼けの
門に出てみる葉鶏頭 ああ、あの子が生きていたならば


あの惨劇は長崎で最後にして欲しい・・犠牲になった多くの方々への鎮魂の祈りと
世界中の人々が手を繋ぎ平和への祈りをささげたいと思います。


朝の光を浴びて
朝の光を浴びて posted by (C)まいママ






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最終更新日  2008年08月09日 10時20分03秒
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