100分de名著「ドラキュラ」小泉八雲もブラムストーカーもアングロアイリッシュだった…。
NHK−Eテレの100分de名著。ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」全4回を見ました。第1回は予想に反して、トランシルバニアの話じゃなく、アングロアイリッシュの話でした。ブラム・ストーカーも、彼より先に吸血鬼小説を書いたシェリダン・レ・ファニュも、ストーカーと同時代に活躍したオスカー・ワイルドも、みんなアングロアイリッシュだったんですね。◇ついでにいうと、小泉八雲の父方もアングロアイリッシュです。アイルランドに渡り、その地で支配階層になったイングランド人。小泉八雲&セツの夫婦は、どちらも不遇な幼少期を送ったけれど、それぞれの血筋を遡ると、じつは支配階層の家系ですね。妻のセツは、実母が松江藩家老の娘で、実父が出雲国造の血を引いてたし、夫のラフカディオ・ハーンは、母がギリシャのキティラ島の名門の出身で、父がアングロアイリッシュでした。◇アングロアイリッシュに優秀な作家が多いのは、やはり支配階層のインテリだからだと思う。アングロアイリッシュは、たしかにマイノリティには違いないけれど…たとえば在日韓国人のような、《支配される側のマイノリティ》じゃなく、どちらかといえば台湾の外省人のような、《支配する側のマイノリティ》なわけよね。pic.twitter.com/rnG7smuVsg— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025そこには、独特の自意識やアイデンティティの揺らぎがある。◇今回の番組で、reverse colonialismの概念は出なかったけど、《支配する側が支配される側の文化に侵食される》…みたいな「逆植民地主義」的な不安があります。アングロアイリッシュの作家たちは、支配者側のイングランド人の立場から、アイルランドの文化に異質性や怪奇性を見出してる。そこはカトリック社会ではあるものの、じつはケルト的な多神教信仰が混在してるから。ブラム・ストーカーは、そんなアイルランド文化の異質性や怪奇性を、トランシルバニアの民間伝承に重ね合わせ、ラフカディオ・ハーンは、松江や出雲の民間伝承に重ね合わせたわけですね。◇それは古代のローマ人が、西ゴート族に抱いた感覚に似てるかもしれない…。一般に、イングランド人のゴシック幻想は、被支配者の側だった西ゴート族に、同じゲルマン人としてのルーツを重ねてるはずだし、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」などは、そういうゴシック文学の代表的作品だと思います。しかし、アングロアイリッシュの場合は、《支配する側》と《支配される側》の狭間で、どっちつかずの立ち位置を強いられるから、ドラキュラのような怪奇文学のなかにも、支配者側と非支配者側の両方からの視線がある。いわば、西ゴート族に自身を重ねるような非支配者側の視線と、アングロアイリッシュとしての支配者側の視線です。とりわけ、ブラム・ストーカーやオスカー・ワイルドは、ともに同性愛者でもあったので、イングランド人とアイルランド人の両面だけでなく、男性と女性の両面を併せもつような思考がある。ついでにいうと、シェリダン・レ・ファニュも、(同性愛者だったかどうかは知らないけど)彼の描いた女吸血鬼はレズビアンの設定ですね。pic.twitter.com/DzLURm1GVM— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025 ◇番組の第1回で、negative capabilityの概念を提示しつつ、その議論をあまり深めてなかったけど、ブラム・ストーカーは、同性愛者のアングロアイリッシュとして、どっちつかずの立場の人間であり、宙吊りを強いられる立場にあったわけですね。なお、ポジティブケイパビリティは決断力のことですが、その対義語のネガティブケイパビリティは、(優柔不断で決断力がない…という意味じゃなく)拙速な判断をせずに留保できる能力のことです。つまり、(ネトウヨみたいな脊髄反射じゃなく)状況を注視して熟慮したり、期が熟すのを待てる能力。いうならば、positive capabilityは、信長の「殺してしまえホトトギス」みたいなことで、negative capabilityは、家康の「鳴くまで待とうホトトギス」みたいなこと。pic.twitter.com/i5AT1YWBSs— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025 ◇ところで、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」って、墓から蘇って増殖していくゾンビはもちろん、日本の「ポーの一族」から「鬼滅の刃」まで、さまざまな後続作品のネタ元になってますよね…。たとえば鬼舞辻無惨も、永遠に生き長らえながら、その血で増やした鬼たちを従えるわけだし、鬼が日光を浴びると塵になって死ぬとか、人間がチームで戦って鬼の首を刈って殺すとか、すべてブラム・ストーカーの設定と同じです。pic.twitter.com/BbCWRWLWL7— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025 吾峠呼世晴はそれを「鬼」と呼んでるけど、欧米人はヴァンパイアと解釈してるのでは?◇ちなみに、日本で最初に、ヴァンパイアを「鬼」と訳したのが誰なのか、はっきりとは特定できてないようです。1914年に芥川龍之介がテオフィル・ゴーティエのクラリモンドにおいて「vampire」を「夜叉」と訳した。その1年後、南方熊楠が「人類学雑誌1915年4月号」に寄稿した「詛言について」でvampireを「吸血鬼」として訳した。以上から、東雅夫は南方熊楠造語説を唱えていたのだが、1914年6月の押川春浪の小説「武侠小説 怪風一陣」でも「吸血鬼」という言葉が使われていたことが判明したほか、更に古い用例があることが判明したことを紹介している。https://ja.wikipedia.org/wiki/吸血鬼なお、このWikipediaの記事によれば、吸血鬼伝説は古代から世界中にあって、中国のキョンシーもそのひとつらしい。吸血鬼にかんする諸々の設定も、そういう伝承に由来してるわけで、ブラム・ストーカーの独創ってわけじゃない。◇近代文学のなかで見ても、ブラム・ストーカーの「ドラキュラ」は、けっして吸血鬼小説の起源ではなく、むしろ集大成的な決定版といったほうが正しい。映画的な翻案が沢山あるように、当時から文学的な翻案も沢山あったのですね。たぶん嚆矢になったのは、ケン・ラッセルも映画「ゴシック」で描いた、バイロン卿らによるディオダティ荘の怪奇談義なのだと思う。そこから、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」と、ジョン・ポリドリの「吸血鬼」が生まれたわけですね。ブラム・ストーカーの小説はその80年後のことです。1816:ディオダティ荘の怪奇談義1818:メアリー・シェリー「フランケンシュタイン」1819:ジョン・ポリドリ「吸血鬼」1847:ジェームズ・マルコム・ライマーとトーマス・ペケット・プレスト「吸血鬼ヴァーニー」1871:シェリダン・レ・ファニュ「カーミラ」1897:ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」◇ブラム・ストーカーの小説は、かなり挑発的でインモラルな内容だし、現代的な観点で倫理的な作品といえるか微妙です。若い女性の血を吸うドラキュラの行為が、性的な隠喩を含んでるのは言うまでもないけど、それは男性社会の暴力性を告発してるようでもあり、かえって好奇心を煽ってるようにも見える。pic.twitter.com/kzcwT7fWdo— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025当時のパリやウィーンで、さかんに芸術の題材にされたファムファタールが、禁欲的だった19世紀ヴィクトリア朝の英国では、病的な女とみなされて忌避された結果、女吸血鬼やサロメのような形で表象されたともいえる。pic.twitter.com/eHc8dLxg4P— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025pic.twitter.com/cGZm2VLFMG— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025そういうイメージが、ゴーストバスターズのシガニー・ウィーバーなんかにも、時代を超えて受け継がれてる気がします。◇その一方、いわゆる「新しい女」と最先端の科学が、ドラキュラを退治する主体にもなってる。pic.twitter.com/qLYl16793R— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 31, 2025今回の番組は、話をフェミニズムに引き寄せすぎて、やや無理を来たしてる感じもあったけど…松岡正剛も書いてたように、いろいろと批評的な読み方の出来るテキストではあるのかな。https://1000ya.isis.ne.jp/0380.html吸血鬼ドラキュラ (創元推理文庫) [ ブラム・ストーカー ]価格:946円(税込、送料無料) (2025/11/1時点) 楽天で購入 【送料無料】ブラム・ストーカー『ドラキュラ』/日本放送協会/NHK出版/小川公代価格:699円(税込、送料無料) (2025/11/1時点) 楽天で購入