まいかのあーだこーだ

2004/06/11(金)18:37

軍人(あるいは軍事オタク)のものの考え方について

5/14の日記で沖縄の基地問題の議論があって、 それはいまもまだ続いてますけど、 そのなかに、 テロリズムと軍隊の役割にかんする議論が出ていたので、 今日は、ちょっとそのことについて取り上げてみようと思います。 以下の書き込みは、 「米軍基地の存在はテロを誘発する要素になる」 という私の危惧に対して、JSF.さんが示した回答です。 >「テロで敵野戦軍の撃滅は出来ない。 >つまり、テロで陣地・都市は“占領”は出来ない」 >私は沖縄を日本領土と認識している。 >尖閣諸島の小さな島々を含めて、ね。 >だから沖縄を他国に侵略・占領されたくない。 >テロ? ふん、テロでは『沖縄は失われない』のだよ、所詮はね。 >だが、敵が正規軍を動かしてきて本格侵攻してきたら? >沖縄は永久に失われるかもしれない。 >だから最優先は敵正規軍への対処だ、何時の時代でも。 つまり、ここには次のような考え方があるんだと思います。  テロで市民が犠牲になったとしても、領土や資源が奪われなければいい。  あるいは軍隊が撃滅されなければいい。  したがって、テロよりも敵正規軍への対処を優先すべきだ。 これはべつに、人それぞれの考え方なので、 ここで個人を責めるつもりはありませんが、 わたしが言いたいのは、 ここには一般的な軍人(あるいは軍事オタク)の、 典型的な発想のパターンがあるんじゃないかってことです。 JSF.さんが、 テロへの対処のことを、まるで「二の次」のように言うのは、 「アナーキーで不定形なテロ攻撃には軍事力では対応しきれない」 ということへの「負け惜しみ」もあるからなのですが、 それはある程度しかたないとしても、 むしろ、もっと大事なことは、 いくら開き直りとはいえ、 「市民が犠牲になっても軍隊が負けず、領土や資源が奪われなければいい」 というような発想があっさり出てきてしまうことです。 これは、軍事的なことを優先する人に、 もともと存在する発想のパターンなんだと思います。 このサイトでも、こういう意見があったのは初めてじゃありません。 たとえば1/21の日記の議論には、ハニワさんの次のような意見もあります。   >要するに外国の軍隊を追い出せなきゃテロリストの負けってことです >最終目標は国内から外国軍を撤退させることでしょ >でも外国軍はテロ程度ではびくともしません >テロリストなんてその程度のものです >外国軍が居座り続けて国家中枢を実行支配していれば >外国軍の勝ちなんですよ つまり、テロで市民が犠牲になっていても、 軍隊が撤退しなければ「軍隊の勝ち」を意味する、ってことです。 ハニワさんは次のようにも書いてますが、 >外国軍の敗北は実行支配を捨て撤退したときです >居座り続けることは外国軍の勝利を意味します >外国軍を撤退させることが出来ない間はテロリストは敗北しているのです >外国軍とってテロに屈しないことが外国軍の勝利なのです >テロリストと外国軍の我慢比べですね おそらく、「我慢比べ」をしている間には、 テロでたくさんの市民が犠牲になるでしょうが、 それでも、大事なのは、 「市民の犠牲をなくすこと」ではなく、 「軍隊が負けないこと」だ、というわけです。 通常の感覚からすると、 「軍隊は何のために存在するのか」ということに疑問をもってしまうけど、 むしろ、これが軍人の一般的な考え方なんだと思います。 沖縄には、 「軍隊は住民を守らない」、「軍隊は軍隊自身しか守らない」 という言い方がありますけど、 これは、かならずしも「比喩」ではないのかもしれない。 軍事を考える人間の発想の中には、 根本的にこういうものがあるんだということではないでしょうか。 ハニワさんはそのとき、 テロについて、こういうふうにも書いていました。 >交通事故や電車事故みたいなものだと割り切ればいいんです、 >テロなど人為的に起される事故にしか過ぎません >そう割り切ってしまえば良いじゃないですか? >なんでテロに意味を求めようとするのか私には分かりません >テロで死ぬのと事故で死ぬのとどう違うんですか? >一度に何十人も死ぬからセンセーショナルに報じられるけど >まあ、こんなこと書いたら良心が足りないとか >テロと交通事故を一緒にすんなとか言う人がいつもいるんですけどね >テロも事故の内でしょ国から労災下りますし これは一見すると「極端な意見」に思われるかもしれませんが、 じつはそうじゃないんじゃないでしょうか。 むしろ、これが、 軍事を優先する人間にとって、 ふつうの発想のしかたなんじゃないかと思えるんです。

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