2020/09/27(日)06:00
「眩(くらら)~北斎の娘~」雪中虎図のファンタジー!
ひきつづき北斎関連の番組がいろいろと放送されてます。
NHKの「北斎“宇宙”を描く」は、
富嶽三十六景から小布施の上町祭屋台までの「波」を追究した内容。
BS11の「北斎ミステリー」は、
キャサリン・ゴヴィエ、久保田一洋、さらに小布施北斎館の安村敏信と
目下、応為研究の最前線にいる3人が登場して、
現時点での最新の成果を報告するといった内容でした。
◇
キャサリン・ゴヴィエは「雪中虎図」を応為の作と考えているらしい。
北斎には「雪中虎図」「雨中虎図」「月見虎図」の3つの虎図があって、
一見したところ、「月見虎図」のみ画風が違っています。
わたしは、
このうち「雪中虎図」「雨中虎図」が応為の作じゃないかと思っています。
「雪中虎図」を見ると、
虎の肢体に生き生きとした動きはあるものの、
北斎に特有の、画面全体にみなぎるような躍動は感じない。
構図としてはスタティックな印象です。
虎の絵なのに、荒々しさや獰猛な野蛮さはなく、
むしろピースフルな雰囲気を感じさせます。
微笑むような柔らかな顔つき、
そして、毛皮のモフモフとした温かさと優しさ、モダンで洒落た色使いには、
西洋画法の影響や、女性的な感覚があるように思えてならない。
この虎の毛皮の不思議な紋様には写実性がなく、
ほとんどファンタスティックともいえる意匠で描かれていて、
面白いことに「西瓜図」で描かれている西瓜の断面の模様にも似ています。
現実から飛翔していくような、
この虎の幻想的なモチーフはどこから生まれたのでしょうか。
優雅に宙を泳いでいる虎は、ある意味で龍の化身のようにも見えます。
◇
北斎が描く「波」の、
まるで龍の鈎爪を連ねたようなフォルムも、
やはり、たんなる写実によっては描くことのできないものです。
NHKの番組で語られていたとおり、
さながら高速カメラでとらえたような、
あるいは微細なフラクタル構造を解析したかのような、
写実を超えた真実。
それは、表現を突き詰めた結果として、
必然的に生まれてくるフォルムなのかもしれません。
◇
さて、久保田一洋は「富士越龍図」が応為の作との自説を唱えています。
全体の構図が「夜桜美人図」に重なる、というのがその理由です。
しかし、わたし自身はといえば、
これはさすがに北斎の筆だろうと思っています。
無駄のない見事な構図でありながら、
画面全体がひとつの動きを作り出している。
これは、いかにも北斎らしい絵の躍動だと思います。
天へ昇っていく龍を描く線にも、ひとつも迷いがない。
「夜桜美人図」のほうは、
たしかに画面の構成は「富士越龍図」に似ているけれど、
全体としてはスタティックな印象を与える。
同じことは、岩松院本堂の「八方睨み鳳凰図」にもいえる。
これは高井鴻山の筆ではないかとも考えられています。
東町祭屋台の「鳳凰図」に構成は似ているけれど、
画面全体の印象がスタティックで、まったく動きをもっていない。
◇
本来の北斎の筆なら、
画面全体が迷いなく一つの動きを見せてくるような躍動があります。
その極みと思えるのが、上町祭屋台の「男浪/女浪図」です。
前へ押し出てくるような男浪。
奥へと引きずり込むような女浪。
NHKの番組で述べられていたように、
これは「宇宙」を具現化したものであり、
その宇宙の全体が、迷いなく、ひとつの動きをもっています。
◇
この「男浪/女浪」の縁絵には、さまざまな動植物が描かれています。
地球上の森羅万象が「男浪/女浪」の宇宙を取り囲んでいる。
博物学的な関心をもって、細密な輪郭と色彩で描かれています。
こちらは、おそらく応為の筆だろうと考えられています。
「男浪/女浪」は、いわば北斎父娘の合作による究極の傑作。
このような抽象的な画題を天井に施すという発想には、
キリスト教のステンドグラスや、仏教の曼陀羅にも通じるような、
ある種の哲学、思想性と宗教性を感じずにはいられません。
◇
最後に、
葛飾応為の画風のことを、あらためて検討してみたいと思います。
久保田一洋は、その著書の中で、
女性の「手指」や「ほつれ髪」の表現のほかに、
「直線」の表現が応為の特徴であると繰り返し述べています。
北斎自身も、
西洋の遠近画法に取り組んだ際には「直線」を多用したはずですが、
それはあくまで一つの立体構造を浮かび上がらせるためであって、
たんに被写体の直線的な形状を機械的に写実するためではありません。
しかし、その後の「北斎作」とされた絵の中には、
画面全体の躍動をかえって阻害するかのような、
まるで定規で引いたかのような「直線」の表現が見られます。
これは、たしかに、
あまり北斎らしいとは思えません。
かたや娘の応為の場合には、
むしろスタティックな「直線」の描写によってこそ、
彼女らしい見事な表現の高みへ結実したという面があります。
いうまでもなく、それは「吉原格子先図」のことです。
そこでは、光の放射や、陰影の対比を表現するために、
精密に組み立てられた格子の「直線」が積極的に用いられています。
直線的でスタティックな構図の中でこそ、光の動きが躍動する。
光の本質が、直線の遮断によってこそ捕らえられる。
まさに応為は、究極の光の表現を「直線」によって獲得したといえます。
◇
わたしが考える応為の画風とは以下のようなものです。
・スタティックな画面構成。
・定規で引いたような直線の表現。
・端正で細密な輪郭。
・西洋的でモダンな色彩。
・抑制されたエロス。
・華奢な立ち姿。
・鮮烈な陰影。
※現在、音楽惑星さんのサイトにお邪魔して「斉藤由貴」問題を考えています。