カテゴリ:スカーレット!
NHK朝ドラ「スカーレット」。
最終回を迎えるにあたって、 メディアの論評がだいぶ考察めいてきました。 といっても、「あな番」みたいなバカドラマの考察とはわけが違います。 いわば作品論ですね。 本来は妥協の産物であるはずのテレビドラマのなかに、 とりあえず「脚本家の作家性」があると仮定したうえで、 この物語から何を読み取るべきかが論じられるようになってます。 今後、さらに多くの作品論が生まれてくるかもしれませんが、 現時点で気になったものをメモしておきます。 島貫泰介(シンラネット) ・家族主義と個人の距離を測ってきたドラマ。 ・家族というテーマに、土や土地の問題を重ね合わせてきた。 ・逸脱的な物語ではないが、迂回路や寄り道を示す物語ではある。 ・不自由を選択したことによって開かれた可能性。 成馬零一(リアルサウンド) ・父と別れるまでが第1部。夫と別れるまでが第2部。息子との別れを描く第3部。 ・第1部で父親を仮想敵とし、第2部以降で自分の内側にある父親を認めていく。 ・物語自体はシスターフッド的で、喜美子を中心とした女の連帯が描かれている。 ◇ つまりは「不自由を選びなおす物語」とでもいえるのでしょうか。 男児のいない三姉妹の長女であったがゆえに、 「父に強いられた土地」に縛られてしまった主人公が、 いかに女性として、 あるいは芸術家として、 自由に生きることができるのか。 主人公にも、さまざまな選択の自由がありました。 進路を選ぶことも出来たし、夫を選ぶことも出来た。 それだけに、迂回や後戻りの連続でもありました。 進路を捨てることも出来たし、夫を捨てることも出来た。 行ったと思ったら、また戻ってきた。 そして、 主人公が最終的に選択したのは、よりにもよって土(土地)でした。 つまり、生まれ育った信楽で、故郷の土をこねることを選んだ。 不自由の象徴だったはずの「父に強いられた土地」を、 主人公は、みずから選び直したわけですね。 「不自由を自由に変えた」ともいえる。 ジョージ富士川も「自由は不自由や!」と言ってました。 ちなみに婿養子(よそ者)である夫は、結局、信楽の土地を背負うことができませんでした。 この点が「あさが来た」とは逆なのですよね。構造は同じだけど、男女のポジションが逆転している。 さらに主人公は、息子の病気を強いられました。 親を選べないのと同じように、子供を選ぶこともできません。 その子供が病を背負うとしても、それを拒むことはできない。 しかし、ここでも主人公は、その不自由をみずから選び直すのですね。 ◇ 「女性の自由」あるいは「芸術家の自由」をテーマにした物語です。 しかし、自立というのは、不自由をみずから背負うことでもある。 そのことを正面から突きつけてくるドラマだったと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.09.19 19:01:18
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