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まいかのあーだこーだ

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2020.04.02
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カテゴリ:政治
ちょっと前までは、
引きこもりの人間をむりやり外に連れ出して、
わざわざ夜型人間を昼型人間に矯正させることが、
いわゆる「社会性」を身につけさせるために必要なことだ、
と信じられていましたね。

つまり、
他人と協調して快活に生活できるような、
そんな体育会的な人間像こそが「模範的」と信じられていたのです。

外に出て、昼に活動し、
多くの他人と接するような生活態度こそが、
真に「社会的」であり「正常な姿」だと考えられていたのですね。

しかし、考えてみれば、
わざわざ満員電車にのせて朝礼に参加させるなどというのは、
いかにも無意味で馬鹿げたアナクロニズムなのだし、
たんなる暴力的な強制だったと言ってもいい。

むしろ、
日本社会に多くの引きこもりが存在しているのならば、
その引きこもりの人たちを、
引きこもりのままに活用していくほうが、はるかに合理的なのです。
もともと体育会系の脳筋バカなんぞよりも、
引きこもり人間のほうが、はるかに知的で創造性が高いのだから。

もとはといえば、
大学のような高等教育の現場で、
わざわざ「体育会系の人材」を育てるという発想じたいが、
大きな本末転倒であり、大きな過りだったわけですね。
労働者を育成するのは、あくまでも小中学校の義務教育の役割です。

大学が「体育会系の企業奴隷」なんぞを育てていたら、
いずれ国家が滅んでいくに決まっている。
シリコンバレーはおろか、中国にすら太刀打ちできません。
本来、大学とは、創造的な起業家を育成すべき場所です。



テレワークやオンライン学習が普及するにつれて、
やがて引きこもりのほうが社会のデフォルトになっていきます。

こうした引きこもりの人々の仕事を、
オンライン上で自在に取引できるような、
公共的なプラットフォームを国内に構築することができれば、
そこに海外の秀れた人材を引き込むことにもなるでしょうし、
それ自体が、大きな産業に発展する可能性があります。

こうしたプラットフォームは、日本の風土にこそ適している。

もともと日本の引きこもりの中には、
いわゆる同人としてコミケなどで活動してきたような、
作家、詩人、音楽家、漫画家、アニメーターなどが大量に存在しています。
そうした人々は、潜在的に何がしかのプラットフォームを必要としている。

ソフトパワーは有り余るほど国内に潜在しているのに、
それを産業化していくためのハードインフラが決定的に欠如しているのです。

その際に「引きこもり=お一人様」という観念は捨てるべきです。
オンライン上のプラットフォームを介せば、
引きこもりの人々は、じつはたがいに協働することができるからです。
たとえば引きこもりの音楽家は、ひとりで作品をつくるのではなく、
作曲家と作詞家と演奏者の分担によって作品を共作できるのです。

プラットフォームとは、
たんに需要と供給を結びつける場であるのみならず、
協働する個々人を結びつける場でもあるということです。



引きこもりの人々をわざわざ外へ連れ出すのではなく、
そのソフトパワーを産業化していくためのシステム作りこそが急がれています。





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最終更新日  2020.04.02 09:40:05


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