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まいかのあーだこーだ

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2020.09.11
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歴史秘話ヒストリア。

小津安二郎を取り上げていましたが、
ほとんど知らない話ばかり。

わたしは、いままで、
小津安二郎のことを、
東京や鎌倉で育った粋人だと思ってたのですが、
じつは三重県育ちなのですね。

調べてみたら、
先祖は伊勢商人だそうで、
意外に関西人の血が流れている。



もともと気性が荒かったというのも意外。

中国戦線を生き抜いた事実も知らなかったし、
シンガポールで、厚田雄春とともに、
国策映画に関わったことも知りませんでした。

小津のカメラのローアングルというのは、
わたしは「子供の視線」だと思っていたのですが、
もしかすると、
地面に這って銃を構えるときの視線だったかもしれない。
そんなことさえ考えてしまいました。

戦地から帰還した監督といえば、
わたしは真っ先に本多猪四郎を思い浮かべますが、
小津の場合も、本多の場合も、
戦争の描き方は、けっして一筋縄ではありません。

小津は、戦争映画そのものは作りませんでしたが、
作中には戦争未亡人も出てくるし、
かつての戦友たちが酒を飲んで一緒に歌ったりします。

きわめて複雑な形で戦争の影響が映り込んでいる。



山中貞雄との関わり。

山中が戦病死したのは知っていますが、
その直前に戦地で小津と会っていたとは驚きです。
調べてみたら、戦前からかなりの交流があったのですね。

今回の番組を見ると、
山中貞雄が与えた影響は、かなり大きいと思えてくる。

山中は、小津の6才年下ですが、
すくなくとも戦前の作品で比較する限り、
山中のほうが映画作家として成熟していたと思います。

ちなみに『河内山宗俊』には原節子が出てますけど、
戦後の小津が彼女を重用したのも、
案外、山中との交流が影響してるかもしれません。



野田高梧との関わり。

小津の映画において、
野田の脚本が重要だというのは、
なんとなく感じてたことだけど、

今回の番組を見ると、
世界的に高く評価されている戦後の小津作品は、
すべて野田との共同脚本以降のものだし、
その意味では、
むしろ「野田作品」と言うべきものだと思えてくる。

小津と寝食を共にした野田の妻と娘は、
そのまま小津映画に登場するキャラクターのようです。
オヤジ2人が、野田の娘に翻弄される姿を想像すると、
そのまま映画のワンシーンのようで笑えてきます。






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最終更新日  2020.10.14 23:28:20


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