2021/12/28(火)04:33
東大生プレバト俳句。「無線絶え/休暇果つ/刃痕」の是非。
前回の補足です。
いくつかの、
東大生たちの俳句に疑問を感じたのですが、
誤解を避けるために言うと、
けっして作品そのものは悪くありません。
作品だけを見るかぎりは、
とても良い句だなと思います。
しかし、
作者自身の説明を聞くと、
俳句に描かれている情景とは何か違っていて、
思わず「?」となってしまうのです。
◇
下の3句は、いずれも東大生の句です。
無線絶え 耳に風 見上げ、月(木瀬哲弥)
封筒の刃痕や ボンの月の暈(鈴木光)
休暇果つ ノートに新規性ひとつ(鶴崎修功)
木瀬哲弥の句は、
遭難したときの情景だと解釈すれば、
じつにリアルな描写だと思うのですが、
「ワイヤレスイヤホンの電源が切れたときの句」
という本人の説明を聞くと、
思わず「?」となります。
鈴木光の句は、
ドイツで大事な手紙を読んだ直後の情景だと思えば、
とてもシャープな印象があって良いのですが、
「日本でドイツのことを思い出してる句」
という本人の説明を聞くと、
ちょっと「?」となります。
鶴崎修功の句は、
休暇中の充実した時間のなかで、
期せずして学術的発見ができた時のことなら、
じつに面白いと思うのですが、
「休暇中もひたすら論文制作だけに打ち込んで、
やっとのことで新規性を一つひねり出した句」
という本人の説明を聞くと、
やや「?」と感じてしまいます。
◇
かならずしも、
実体験に即している必要はないのでしょうが、
本人が表現しようとした内容と、
実際に言葉で表現された内容が喰い違うのは、
ちょっと、どうなのか。
まあ、「結果オーライ」と考えれば、
それでいいのですけど。
蛇足ですが、
過去のフジモンの句に、
秋月や パリの封筒 切るナイフ(添削後:月清か パリの封筒 切るナイフ)
というのがあったそうです。
鈴木光の句は、これに似てましたね。
◇
ついでながら、
梅沢の「飴色セロテープ」の句を、
自分でちょっといじってみました。
・秋の夕 壁の飴色セロテープ
・秋風に写真 飴色セロテープ
いずれも「壁に貼ってある」という前提ですが、
夕日を浴びているセロテープと、
風ではがれそうになってる写真のセロテープです。