2021/07/13(火)16:54
NHK「アンという名の少女」第5話。
先週の過酷な内容から考えて、
アンが学校に戻るのはかなりハードルが高いと思ってましたが、
意外にも早く学校へ復帰しました。
じつは原作よりも早い復帰ではないでしょうか?
◇
今回のエピソードで、
わたしがいちばん気になったのは、
学校を無断でサボっていたアンが、
ひそかに「イギリスとカナダの歴史」という本を読んでいたことです。
アンは、
偶然ページを開いたサスカチュワン州の歴史を読んでいます。
そこで先住民の歴史のことも学んだようです。
こうした部分に、
今回のドラマの強いこだわりを感じます。
重層的な視点が織り込まれていますよね。
◇
調べてみると、
サスカチュワン州というのは内陸部の平原で、
物語の舞台である19世紀末まで、
白人入植者と先住民との激しい闘争が繰り広げられていた土地です。
モンゴメリ自身も、
15才のときにサスカチュワン州に住んでいたようです。
ちなみに、
先住民の大きな反乱があったのは1885年、
モンゴメリが住んでいたのは1890年なのです。
◇
今回のドラマには、
フランス人下僕であるジェリーの視点のほかに、
このような先住民の視点なども織り込まれているようです。
さらには長老派教会の保守性なども容赦なく描かれています。
原作の世界を相対化して、いわば自己批判を加えている。
◇
日本でも、
時代劇や大河ドラマをつくるときに、
敗者の視点や新史実を取り入れた歴史の見直しが行われますが、
カナダでも、そういう試みは不可避なのだろうと思います。
おそらくカナダ国内でも、
先住民の視点、
フランス語話者やカトリック信者の視点、
さらにはジェンダー批評の視点から、
歴史のとらえ直しがさかんにおこなわれているはずです。
もともと「赤毛のアン」の原作のなかには、
白人開拓者の優位性はもちろん、
イギリス系住民や、長老派信徒の優位性などを、
暗黙の前提にしているような面があります。
逆にいえば、
先住民や、フランス系住民や、カトリック教徒に対する、
無意識の偏見と差別が内在しているのですよね。
そうした原作の世界をそのまま無邪気に映像化する、
ということでは許されない時代なのだろうと思います。
◇
ところで、
なぜアンは学校に戻ることができたのでしょうか?
いろいろなことが好都合に作用した結果なのですが、
わたしなりに思うのは、
やはり学校以外の「重層的な繋がり」が大切だなあ、
ということです。
教室のなかだけの閉鎖的な関係ではなく、
ダイアナのような友人との個人的な関係があり、
リンド夫人のような隣人との関係もあり、
信仰を介した教会関係者との関係もあり、
さらには村全体の相互扶助的な関係もあります。
つまり、
人間関係を回復するための複数のチャネルがありますよね。
コミュニティのなかに重層的な関係があるからこそ、
かりにひとつのチャネルが駄目になっても、
それとは別のチャネルを使えばいい。
そういうセーフティーネットがあります。
どのチャネルがうまく機能するかは分からない。
アボンリー村の保守的なコミュニティは、
場合によっては、個人を縛ることもあるけれど、
場合によっては、個人を救うこともあります。
今回のアンの場合は、
村のなかで火災が起こったことで、
かえって村人たちのアンへの信頼が高まって、
ルビーとも仲良くなれたことがラッキーでした。
雨降って地固まる。
何が災いするか分からないけれど、
何が幸いするかも分からない。
◇
ただ、
ルビーみたいな、
ちょっと付和雷同なキャラは、
学校に戻ったら、
また"多数派"のほうになびいていく気がします(笑)。
教室外での関係と、
教室のなかでの人間関係の力学はまた違いますよね。
しかし、
もはやアンは、
そういうことに一喜一憂しなくなるのかもしれません。