まいかのあーだこーだ

2024/04/05(金)19:32

鬼滅の「12鬼月」と「9柱」と「鬼舞辻」の由来。

「鬼滅の刃」の考察と分析。(29)

☆「12鬼月」の由来 鬼滅の刃には「十二鬼月」と呼ばれる上位の鬼が登場します。 この「鬼月きづき」とは何でしょうか。 台湾では、 旧暦の7月を「鬼の月」と言うそうです。 この場合の「鬼」とは先祖のことですから、 台湾の「鬼の月」は、日本でいうところのお盆です。 一方、 鬼滅に登場する12の「鬼月」というのは、 6の「上弦」と6の「下弦」に分かれていて、 これは、おそらく月の満ち欠けに関係しています。 その場合、 6+6=12という数は何を意味するのでしょうか? 古代日本の冠位が「12階」だったことに関係するでしょうか? それとも、 たんに1年が「12ヵ月」であることに関係するのでしょうか? ちなみに、 上弦の月は1年間に12回、 下弦の月も1年間に12回、 それぞれ夜空に昇るのですから、 そこから考えれば、 上弦と下弦の合計は24でなければならないはずです。 これに対して、 上弦6+下弦6=12という鬼月の数には、 もっと別の由来と意味合いがあるはずです。 月は、 太陽とは対極的な意味をもつ天体であり、 もともと太陽をはげしく嫌う鬼は、 ちょうどドラキュラや狼男と同じように、 月にこそ親しい存在なのだと考えられます。 しかし、たとえ同じ月であっても、 その満ち欠けに比例して太陽の影響を受けています。 つまり、 望の月(満月)は、太陽光を全面に浴びていますが、 朔の月(新月)は、太陽光を完全に遮断しています。 そして、 上弦の月や下弦の月(半月)は、 いわば、半分だけ太陽光を遮断しえている状態です。 おそらく、このような太陽との関係が、 「鬼月」と呼ばれる鬼の階級にも反映しているのです。 ◇ 月の周期は、およそ4週間です。 最初の7日間で、朔(新月)から上弦(半月)になり、 つぎの7日間で、上弦(半月)から望(満月)になり、 つぎの7日間で、望(満月)から下弦(半月)になり、 最後の7日間で、下弦(半月)から朔(新月)になります。 そして、 月初の7日間のうち、 1日目は月がまったく隠れている新月ですので、 この新月を除いて、 上弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。 同じように、 月末の7日間のうち、 7日目は月がまったく隠れている新月ですので、 この新月を除いて、 下弦より細い月が出ているのは6日間ということになります。 このように月初と月末の合計12日間に現れる、 半月よりも細い6段階の月、 すなわち、 太陽の光を半分以上遮って闇の割合が上回った月のことを、 おそらくは「鬼月」と呼んでいるのです。 下位の鬼たちが、 いまだに太陽を浴びて膨らんでいる月だとすれば、 上位の鬼=鬼月というのは、 太陽を拒絶して細くなった鋭い形の月なのであり、 上弦と下弦それぞれ6段階の細さの月が、 あわせて12の鬼月の階級に対応しているはずなのです。 …では、 太陽光を完全に遮った「朔=新月」に対応するのは何か? いうまでもなく、それこそが鬼舞辻無惨きぶつじむざんです。 ◇ 気象予報士の森田正光は、 映画『無限列車編』における魘夢えんむとの戦いのとき、 夜空には、下弦から細くなっていく「月齢23」の月が出ていた、 と述べたうえで、それを、 「1916(大正5)年11月18~19日の夜」と推測しています。 これは旧暦でいえば、10月23~24日の夜です。 ちなみに月の周期は、 厳密にいえば 7×4=28日よりも長く、 平均でおよそ29.53日ですから、 旧暦において下弦の月が現れるのは、 毎月21日ではなく、それより少し後の23日ごろになります。 かつては各月の23日に、 下弦の月を拝むための「二十三夜講」もおこなわれました。 このことから、 十二鬼月・下弦の壱である魘夢との戦いは、 旧暦でいうところの10月23~24日の夜、 下弦よりも細い月のもとで行われた、ということになります。 陰暦では、毎月1日(月立ち=ついたち)が新月なので、 2日から7日までの6日間に上弦より細い「鬼月」が現れ、 15日から16日ごろに満月となり、 24日から29日までの6日間に下弦より細い「鬼月」が現れることになります。 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇   ☆「9柱」の由来 鬼の上位にいるのは「12」の鬼月ですが、 鬼殺隊の上位にいるのは「9」の柱です。 この9という数字は何を意味するのでしょうか? 一般に、柱といえば、 建物を支える木材であると同時に、神々を数えるときの数詞です。 したがって、おそらく鬼殺隊の9柱は、 仏教ではなく、日本古来の神道に関連しているはずです。 ただし、一口に神道とはいっても、 日本の神々はけっして一枚岩ではありません。 このうち「9の柱」と言ったときに思い出されるのは、 とりわけ出雲の周辺にいた神々です。 ◇ 伊勢神宮に代表される神明造は「横長」の建物であり、 住吉大社に代表される住吉造は「縦長」の建物なのですが、 出雲大社に代表される大社造だけは「正方形」の建物であり、 それは3:3:3の「田」の字型に並べられた9本の柱で支えられます。 もともと出雲周辺には、 これと同じ構造の建築物の遺跡が多く、 いわゆる「金輪御造営差図かなわのごぞうえいさしず」に描かれた古代出雲の巨大神殿も、 やはり9本の柱で支えられていたと考えられています。 かりに9本の柱が出雲の神々であるとするならば、 それは大和王権の成立以前から日本列島に存在していたわけです。 そして、 出雲から大和への「国譲り」の歴史を踏まえれば、 それは、鬼を退治した神々というよりも、 むしろ大和王権によって退治された神々だったといえます。 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇   ☆「鬼舞辻」の由来 「鬼舞辻きぶつじ」という姓を文字どおりに解釈すれば、 それは鬼たちが舞う東西と南北の通りの交わる場所を意味します。 その場所がどこなのか明らかではありませんが、 とりあえず思い当たるのは、京都の「二条大宮の辻」です。 これは、 その名のとおり二条大路と大宮大路がまじわる交差点で、 ちょうど平安京大内裏の東南角に位置していて、 通称「あわわの辻」とも呼ばれています。 藤原常行や安倍晴明は、 ここで百鬼夜行に遭遇したといわれているのです。

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