2021/12/31(金)18:26
プレバト俳句「痣の醒めゆく」問題 その3。
夏井先生が、
去年の優秀10作品のなかに、
梅沢の「痣の醒めゆく朝焼け」の句を挙げていたので、
しつこいようですが、
あらためてこの句について考えてみます。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
読み終へて 痣の醒めゆくごと 朝焼
この句は、文字どおり解釈すれば、
◎ 読書体験を終えると、痣の醒めるような朝焼けが見えた
という意味になります。
しかし、
じつのところは、そうではない!
ほんとうは、
◎ 痣のような読書体験から醒めると、朝焼けが見えた
という意味なのです。
◇
そもそも、朝焼けを見たときに、
「まるで痣が醒めるようだねえ」
などと考える人はいません。
かりにそんな変人がいたとしても、
それに共感する人はほとんどいないと思います。
しかも、
以前も書きましたが、
「痣が醒める」という動詞の用法がおかしいのです。
正しい日本語としては「痣がひく」と言うべきです。
◇
この奇妙な表現は、
比喩する言葉と比喩される言葉を、
いったんバラバラに分解して、
組み換えをおこなった結果として生まれたものです。
本来、最初にあったのは、
「痣のような読書体験」なのだと思います。
読んだ本の内容が重くて、
まるで心に痣を残すような体験をしたわけですね。
そして、その本の世界から「醒める」のです。
そのときの気分が、ちょうど朝焼けの風景に重なったのでしょう。
これなら、
動詞の用法としてもおかしくはないし、
比喩表現としても、べつに変ではありません。
◇
言葉のバラバラ分解と組み換えをおこなった結果、
ほんとうは「読後の心象描写」であったはずのものを、
あたかも「朝焼けの風景描写」のごとくに装っている。
これは一種のカムフラージュです。
その結果として、
「痣が醒めるような朝焼け」などという、
世にも奇妙な用法と比喩が生まれることになったのです。
これを、
ひとつの詩の技法として評価すべきなのか。
それとも、
おかしな日本語表現として修正すべきなのか。
やっぱり、わたしには判断がつきません。