カテゴリ:プレバト俳句を添削ごと査定?!
卒業や階段に階段の影 静けさや一貫校の春休み ダイヤ改正春恨の昇り降り プランター葬はつ虹の大きな窓 春愁をエスカレーター地下へ地下へ 春雷すストレッチャーを急かす駅 春帽子手に駆け上るあと5段
プレバト俳句。 お題は「階段orエスカレーター」。 村上と森口瑤子には名句の手応えがありました! 千賀と皆藤愛子の句も良かったです! ◇ まずはフルポン村上。 卒業や 階段に階段の影 ひさびさに村上のヒット作。 それどころか、これはフルポン史上の最高傑作かも! この句の映像を頭に浮かべたら、 キース・ジャレットの「Staircase」のジャケ写を思い出しました。 もともと村上の句には「静けさ」がありますが、 この句には、その特長が極まっています。 どこにも「静けさ」とは書いてないけれど、 人気のない階段だけの映像には静けさがあって、 そこに心情や記憶や物語が織り込まれているように見える。 折り重なった学校の階段には昇り降りのベクトルがあり、 それは生徒たちの過去や未来の時間のベクトルも象徴しています。 そして「影」が出来るということは、 すなわち春の陽光が射しているからであって、 そこには穏やかさとともにささやかな希望が感じられる。 最後に「影」という語が置かれているとはいえ、 わたしは明るい春の句だと思いました。 ◇ キスマイ千賀。 静けさや 一貫校の春休み こちらには「静けさ」と明記されています。 ただし、同じ静けさとはいっても、 入学も卒業もない一貫校の春休みなので、 たんに「誰もいない」というだけの無感動な静けさです。 豊かな感情をたたえた村上の句とは対照的だけど、 これはこれで、固有の味わいと面白みがある。 この句を見て、 敗者復活で残るのは千賀か筒井真理子と予想しましたが、 ジュニアが勝ち残ったのはちょっと腑に落ちません…。 ◇ 森口瑤子。 春愁をエスカレーター地下へ地下へ 上五に助詞の「を」を用いています。 かりに「春愁の」としてしまうと、 形式上はカットが中七で切れてしまう。 しかし、 他動詞を要する「を」を選んだことで、 「エスカレーターが春愁を地下へ地下へ(運ぶ)」と、 下六までがすべてワンカットに繋がります。 最後の6音字余りのリフレインは、 ゆっくりしたエスカレーターのスピード感や、 「ぐんぐん」「ずんずん」という、 不気味なモーター音のリズムをも思わせますね。 ◇ 皆藤愛子。 春帽子手に駆け上る あと5段 発車ベル あと5段 春帽子手に(添削後) 森口瑤子がゆっくり降りていくのとは対照的に、 皆藤愛子は勢いよく駆け上がっています。 春らしいスピード感があって、 華やかで爽やかで、明るさに満ちた句。 これは、 添削よりも、 断然、原句のほうが良い。 添削は、 倒置にしたことで三段切れに見えてしまうし、 スピード感が失われたことで、 なにやらお洒落をした老女が、 苦心しながら上り階段を焦ってるように見えます。 ◇ ミッツ・マングローブ。 ダイヤ改正 春恨の昇り降り 春恨の改正 駆け上るホーム(添削後a) 春恨の改正 2番ホーム嗚呼(添削後b) 原句にしろ、添削にしろ、 ダイヤ改正を「春恨」と言い表した発想そのものが、 やや大袈裟に感じられました。 実際、一読したとき、 この「昇り降り」というのは、 エスカレーターではなく、 人事などの抽象的な話かと思ってしまいました。 ◇ 岩永徹也。 初虹の窓辺 プランター葬の鉢 プランター葬 はつ虹の大きな窓(添削後a) プランター葬を選べば春の虹(添削後b) 窓辺の映像を詠むならワンカットにまとめるべきだし、 あくまでもカットを割るのなら、 (添削後a)のように「プランター」と「窓」を別にすべきですね。 ◇ 春風亭昇吉。 春雷す ストレッチャーを急かす駅 春雷や ストレッチャーを急かす駅(添削後) 個人的には、 季語を「春雷や」と詠嘆するよりも、 即物的に「春の雷らい」としたほうがいいかなと思いました。 そのほうが緊迫感が増すと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.20 16:34:18
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