1650646 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.01.13
XML
カテゴリ:ドラマレビュー!
おそまきながら、
ドラマ「silent」最終回の感想。

…と、
その前に「ボクらの時代」も見た。
脚本家&演出家&プロデューサーの鼎談。


三人とも第5話がベストの回だと言ってました。

わたしは第6話の終盤まで脱落寸前でしたが!(笑)

そして、
プロデューサーは「最終回が不安」とも口にした。

実際、
近年にしてはめずらしく11話まであったわけですが、
正直いって、
終盤の第10~11話は、蛇足の感が拭えませんでした。



最終回では、
なぜか物語の結論を「言葉」に収斂させたのですね。

付箋に書いた「言葉」をテーブルの上に並べたり、
わざわざ高校まで行って、
教室の黒板に「言葉」を書きつけて会話したり、
体育館で「言葉」についての昔の作文を読んだり、

最後は、
かすみ草に「花言葉」を託して次々と受け渡してました。
「カスミソウ」が「サクラソウ」の洒落なのかどうか知らないけど、
「感謝」という音のない花言葉を、手話と同じように「おすそわけ」していたらしい。








たしかに、奈々は、
手話が「目に見える言葉」であることを讃えていたし、
スピッツも「魔法のコトバ」を歌っていたし、
ヒゲダンのテーマ曲も「言葉」について歌っていた。

言葉はまるで雪の結晶 君にプレゼントしたとして
時間が経ってしまえば 大抵
記憶から溢れ落ちて溶けていって消えてしまう
でも
絶えず僕らのストーリーに添えられた字幕のように
思い返した時 不意に目をやる時に
君の胸を震わすもの探し続けたい

きっと、
音がなくても「言葉」があればいい、ってことなのだろうし、
手話が伝える「言葉」の価値を肯定的に描きたかったのだろうし、
そして新進の脚本家としても、
最後の最後に「言葉の力」を訴えて終わりたかったのでしょう。

しかし、
それまでの物語の流れから考えると、
この物語の結論は、やや唐突な印象を拭えなかった。
そんなことがテーマでしたっけ?

とってつけたような感じ。いまいちピンとこなかった。



なぜなら、
かならずしも言葉は人と人とを正確につなぐわけではないし、
むしろ言葉のすれ違いが人と人を切り離すこともあるのだし、
実際、この物語のなかでは、
いくら言葉を尽くしても分かり合えないことのほうが多かった。

それに、
もし2人が言葉でしか繋がり合えないのなら、
想と紬はずっと手を繋ぐこともできず、
可愛いバッグを持ち歩くこともできず、
ひたすら手話をし続けなきゃいけなくなる。

むしろ、
「言葉を超えた繋がりこそ重要」という結論のほうが、
視聴者としては、よほど納得感があったはずです。


…というより、


わたしに言わせれば、
≫ 他人の気持ちを思いやるよりも
≫ 自分の気持ちに正直になることのほうが大事

という第8話の内容こそが結論にふさわしかったのです。



じつをいえば、
第9話も素晴らしかったのですよね。

ドラマの最終盤になって、
想が聴力を失った過去へ遡る、という内容。
この構成の仕方はすごいと思いました。

序盤でそれを見せるのと、
奈々の物語の後でそれを見せるのとでは、
視聴者の受け止め方が大きく違ってくるからです。

時系列で物語を語っていくのでもなく、
かといって順繰りに遡っていくのでもなく、
表層から深層へ分け入ってくような、
あるいは細部へ分け入っていくような、
通常の脚本ではありえない叙述を確信犯的にやっていた。



しかし、残念なことに、
第10話ではまた振り出しに戻った感じで…(笑)。

つまり、
「紬の声を聞けないのが悲しいから別れる」
みたいな話に戻ってしまった。

高校卒業後に紬と別れた理由を、
最終盤にきて、あらためてぶり返した形です。

それって、基本的には、
湊斗が紬と別れたときの、
「紬のすべての気持ちを手に入れられないのが悲しいから別れる」
ってのと似たような理由。

要するに、どちらの男子も、
完全に100%じゃなきゃ気が済まないのです。
20%の欠落が悲しいから、
残りの80%も捨ててしまおう、みたいな話。

まあねえ、
若いから、気持ちは分からないでもない。



でも、
100%を共有し合える恋愛なんてありえないのです。
たとえ健常者どうしであってさえ、
同じものを見て、同じものを聞いてるとは限らないのだし。

むしろ、2割ぐらいが共有できれば御の字(笑)。

想であれ、湊斗であれ、
そのことに折り合いをつけられるかどうかが問題だった。

すくなくとも、想にかんしていえば、
たとえ紬の声を聞くことができないとしても、
「声以外の部分を愛せばいい」という結論になるのは自明だった。
しかも、それを「言葉」だけに収斂させる必要はなかったのです。
声以外のすべてを愛せばいいのだから。

サブスクではなくCDを手に取ることの意味もそこにあったはず。
音以外のすべてを感じ取ればいい、ってこと。









余談ですが、
最後まで「お姉ちゃん大好き」だった弟くんは、
結局ずっとフィクサー的な役回りのままでしたね。

弟くんと妹ちゃんが、
なぜ繋がってるのかも分からなかったし、
なぜその関係を姉や兄に隠してるのかも分からなかった。

それから、
これも余計なことだけど、

篠原涼子は、
これまでずっと主役を張ってき女優なだけに、
脇役の演技があまり上手くはありませんでした。

脇役になっても、まだ主役の演技をしてる感じ。
よくもわるくも「スターの輝き」が抜けないのです。

年末の紅白でも、
堂々たるパフォーマンスを見せていましたが、
やはり主役向きの人だなと思いました。















にほんブログ村 テレビブログへ






最終更新日  2023.01.13 20:01:50


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

日記/記事の投稿

カテゴリ


© Rakuten Group, Inc.