まいかのあーだこーだ

2023/06/06(火)12:44

プレバト俳句。6/1放送分に異議あり?!

プレバト俳句を添削ごと査定?!(186)

パパと子は留守番夕虹のテラス 夕立や計算ドリル3回目 夕立を妬む期日の充電席 止まぬならケーキセットじゃ梅雨の陣 梅雨寒のカフェ腿に愛犬の熱 珈琲は冷めて怯者の梅雨の闇 濁りゆくソーダフロート減らぬまま プレバト俳句。 お題は「雨の日のカフェ」。 ◇ 早見あかり。 パパと子は留守番 夕虹のテラス ママのプチ贅沢を詠んでいます。 書きたいことが過不足なく読み手に伝わる。 兼題を知らなければ、 友人宅のテラスとか、ガーデンテラスとか、 カフェテラス以外の解釈もありえます。 厳密には「夕虹」と「テラス」の季重なりですが、 そもそも「露台/テラス」が季語になってること自体、 わたしはちょっと無理があると思わずにいられない。 (春にも秋にもテラスはあるわけだから) むしろ「夕虹」を補うことで、 この「テラス」の季節感が確定してる感じがします。 あくまで季重なりを避けるなら、 パパと子は留守番 夕虹の茶房 とも出来るし、 パパと子は留守番 風のテラス席 のようにも出来ます。 ◇ 村山輝星ちゃん。 夕立や 計算ドリル3回目 夕立や 計算ドリル三回目(添削後) とても素直に場面を詠んでるけれど、 切れ字を用いた取り合わせの形式が、 あまりにも出来すぎているので驚きます。 ほんとうに自分でここまで仕上げたのかしら? 親御さんが添削してくれたのかなあ。 ◇ Aマッソ加納。 夕立を妬む期日の充電席 夕立ゆだち妬む〆切の日の充電席(添削後) 期日とは、 「期限日」「予定日」「約束日」のことなので、 原句のままでも十分に意味は通ると思います。 むしろ問題なのは「妬む」という動詞ですね。 夕立を擬人化したうえでの心情表現です。 わたしは、てっきり、 「期日まで間に合わせねばならないのに、  夕立で店を出られなくなって困っている」 という内容だと解釈したので、 なぜ「憎む」じゃなくて「妬む」なのかしら? と疑問に思ったのだけど、 本人の話によれば、 「夕立のようにはアイディアが降り注がない」 ということを妬んだのらしい。 さすがに字面からはそこまで読み取れません。 強いてそれを17音にするのなら、 夕立のやうにアイディア降らんかな みたいなことだろうけど、 そもそも俳句には適さない主観的な内容だし、 やはり、まずは客観写生の原則に立つべきでしょう。 ◇ 伊集院光。 止まぬならケーキセットじゃ 梅雨の陣 梅雨の雨宿り ケーキもたのんじゃえ(添削後) 体が大きいので、 ただでさえ喫茶店で居座ることに罪悪感があるのかしら?(笑) 席を占拠することへの開き直りが、 戦国武将っぽい「陣取る」という比喩になったのかも。 そのついでにホトトギス的な言い回しも加えたわけですね。 ただし、俳句としては、 やはり「クサい比喩」だと一蹴されてしまう。 ◇ 皆藤愛子。 梅雨寒のカフェ 腿に愛犬の熱 梅雨寒のカフェ愛犬の熱腿に(添削後) たとえば、 梅雨のカフェ 腿に愛犬あたたかし とも出来るけれど、「暖か」は春の季語なので、 季重なりを避けるために「熱」を用いたのかもしれません。 しかし、そもそも、 「体温のない犬がいたら持ってこい!」とも言えるわけで、 たんに「腿に愛犬」「膝に愛犬」とさえ書けば、 その温かさは十分に読み手に伝わるだろうと思います。 ためしに、 梅雨のカフェ 膝の愛犬丸くなる としてみました。 ◇ 千原ジュニア。 珈琲は冷めて怯者の梅雨の闇 季語は「梅雨闇」です。 そこに助詞「の」が入っており、 「怯者の梅雨」と解釈することも、 「怯者の闇」と解釈することも可能になっている。 後者の解釈をすれば、実景でなく心理描写の印象が強まる。 そうも読めるところに不穏な面白さがあるのでしょう。 とはいえ、 実景として読むには、やや大袈裟で主観的にすぎるし、 ちょっとこれは評価に迷いました。 ◇ 梅沢富美男。 濁りゆくソーダフロート減らぬまま 飲み物を美味しそうに描くのではなく、 2つの動詞「濁る」「減らぬ」で憂鬱を表現しています。 形としては、 「減らぬまま濁りゆくソーダフロート」 「減らぬままソーダフロート濁りゆく」 の倒置法ですが、 この2つの動詞は、 意味のうえで重複してる気がしないではない。 「減らぬまま濁らないソーダフロートがあったら持って来い!」 ってことですね。

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