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まいかのあーだこーだ

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2025.03.24
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カテゴリ:ドラマレビュー!
TBS「御上先生」が終了。

3/9放送の第8話では、
御上が「ゆとり教育からの揺り戻し」を批判しました。
なぜ「考える教育」が浸透しないのかというと、それは暗記力に頼った詰め込み式の教育を変えようとすると、一時的に見た目の学力…つまりテストの点数が下がるからなんだよね。「ゆとり教育」から「脱ゆとり」がいい例だ。ゆとりの時間をうまく扱えなかったばかりか、成績が下がったことに焦り、「脱ゆとり」ともっともらしいことを言って詰め込み型の教育に戻した。

これを「ゆとり教育批判」と逆に解釈した視聴者がいるっぽい…(^^;




偶然だとは思うけど、
2/17の成田悠輔のYouTubeチャンネルでも、
今後の教育は結局「ゆとり」の方向へむかうと話してました。

なぜなら、
人間の価値を測る指標が多元化して「競争」の概念が変わるから。



ただし、そのためには、
指標が数値化されなければなりませんよね。



たとえば、政府は、
「国民の幸福度」が客観的に数値化されないかぎり、
結局はGNPやGDPなどの数値を指標にしてしまう。

医療の場合も、
血糖値やコレステロール値のように、
客観的な指標がありさえすれば、
それを制御する方法を確立しやすいけど、

身体的な「痛み」とか精神的な「辛さ」とかは、
数値化されずに主観的なものと見なされるので、
はっきりした対処法を確立できません。



SNSの世界でも、
人々は「いいね」や「フォロワー」の数に翻弄されるけれど、

本来なら、
指標として数値化されるべきなのは、
情報の「正確性」や「希少性」や「独創性」のほうですよね。




教育の場合も、
「個人の幸福度の予測」とか、
「社会への貢献度の予測」が数値化されない限り、
それを指標にすることは難しいし、

結局は学力テストの結果に左右されてしまう。

とはいえ、AIの進歩によって、
それらの指標を統計的に数値化できる可能性は高まってます。



今回のドラマが重視したのは「考える力」です。

それは、
答えの出る問題についてではなく、
答えの出ない問題について考え続ける力。
教室の中でもそういう課題に取り組まねばならない。

教師の役割も必然的に変わってきます。
もはや出来合いの「答え」を教えるのが教師の役割じゃない。







今回のドラマは、
最後に伏線が回収されたときに、
すべて1本の線で繋がるような物語じゃありませんでした。

弓弦の殺人と、
御上の兄の死と、槙野の部下の死と、
不正入試の問題はそれぞれ別々の事象だった。

ただ、
これは見せ方の問題でもあるのだけど、
様々なテーマをコラージュ的に描く手法があってもいいし、
こういう脚本が失敗だとは思いません。

今季の作品群のなかでは、
やはりいちばん意義のあるドラマだったと思う。



弓弦の殺人は、
直接的には母の問題とは関係なかったけど、
家庭や社会における弱者であり犠牲者だった母の、
代理としての「社会への復讐」という面がありました。

そして被害者が加害者になって、
本当の加害者が見逃されてしまう矛盾がある。

御上の兄や、槙野の部下の自死は、
制度の歪みや内部の腐敗の結果でもあるから、
たんに「バタフライエフェクト」と言って済む話じゃない。



AI時代になって、
若者が社会を変える可能性は高まってるし、
官僚候補のようなエリートたちに、
高い志が求められてるのは間違いありません。

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最終更新日  2025.03.26 22:41:23


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