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TBS「御上先生」が終了。
3/9放送の第8話では、 御上が「ゆとり教育からの揺り戻し」を批判しました。 なぜ「考える教育」が浸透しないのかというと、それは暗記力に頼った詰め込み式の教育を変えようとすると、一時的に見た目の学力…つまりテストの点数が下がるからなんだよね。「ゆとり教育」から「脱ゆとり」がいい例だ。ゆとりの時間をうまく扱えなかったばかりか、成績が下がったことに焦り、「脱ゆとり」ともっともらしいことを言って詰め込み型の教育に戻した。 ![]() ◇ 偶然だとは思うけど、 2/17の成田悠輔のYouTubeチャンネルでも、 今後の教育は結局「ゆとり」の方向へむかうと話してました。 なぜなら、 人間の価値を測る指標が多元化して「競争」の概念が変わるから。 ただし、そのためには、 指標が数値化されなければなりませんよね。 ◇ たとえば、政府は、 「国民の幸福度」が客観的に数値化されないかぎり、 結局はGNPやGDPなどの数値を指標にしてしまう。 医療の場合も、 血糖値やコレステロール値のように、 客観的な指標がありさえすれば、 それを制御する方法を確立しやすいけど、 身体的な「痛み」とか精神的な「辛さ」とかは、 数値化されずに主観的なものと見なされるので、 はっきりした対処法を確立できません。 ◇ SNSの世界でも、 人々は「いいね」や「フォロワー」の数に翻弄されるけれど、 本来なら、 指標として数値化されるべきなのは、 情報の「正確性」や「希少性」や「独創性」のほうですよね。 ◇ 教育の場合も、 「個人の幸福度の予測」とか、 「社会への貢献度の予測」が数値化されない限り、 それを指標にすることは難しいし、 結局は学力テストの結果に左右されてしまう。 とはいえ、AIの進歩によって、 それらの指標を統計的に数値化できる可能性は高まってます。 ◇ 今回のドラマが重視したのは「考える力」です。 それは、 答えの出る問題についてではなく、 答えの出ない問題について考え続ける力。 教室の中でもそういう課題に取り組まねばならない。 教師の役割も必然的に変わってきます。 もはや出来合いの「答え」を教えるのが教師の役割じゃない。 ◇ ◇ ◇ 今回のドラマは、 最後に伏線が回収されたときに、 すべて1本の線で繋がるような物語じゃありませんでした。 弓弦の殺人と、 御上の兄の死と、槙野の部下の死と、 不正入試の問題はそれぞれ別々の事象だった。 ただ、 これは見せ方の問題でもあるのだけど、 様々なテーマをコラージュ的に描く手法があってもいいし、 こういう脚本が失敗だとは思いません。 今季の作品群のなかでは、 やはりいちばん意義のあるドラマだったと思う。 ◇ 弓弦の殺人は、 直接的には母の問題とは関係なかったけど、 家庭や社会における弱者であり犠牲者だった母の、 代理としての「社会への復讐」という面がありました。 そして被害者が加害者になって、 本当の加害者が見逃されてしまう矛盾がある。 御上の兄や、槙野の部下の自死は、 制度の歪みや内部の腐敗の結果でもあるから、 たんに「バタフライエフェクト」と言って済む話じゃない。 ◇ AI時代になって、 若者が社会を変える可能性は高まってるし、 官僚候補のようなエリートたちに、 高い志が求められてるのは間違いありません。 ![]() ![]() ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.03.26 22:41:23
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