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まいかのあーだこーだ

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2025.05.09
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カテゴリ:NHK大河ドラマ
NHK歴史探偵「江戸の天才・平賀源内」を見ました。
2023年12月の再放送。

平賀源内のマルチな才能は、
本草学に負うところが大きかったのですね。



本草学は、
中国由来の薬物学ですが、

植物だけでなく、
動物や鉱物までを生薬とみなすので、
近代の植物学よりはむしろ博物学に近い。

つまりは万物を研究対象にする学問だった。



高松藩を脱した平賀源内が、
(いちおうは田沼意次に目をかけられながら)

まともな官職も得ないまま、

たびたび物産会(薬品会)を開催して、
身分を超えた全国的なネットワークを形成し、
草の根の本草学を発展させたところは、

明治期の牧野富太郎によく似てます。

牧野富太郎も、
(いちおうは東大の片隅に身を置きながら)

まともな官職を得ないまま、
在野のネットワークを通じて、
草の根の植物学を発展させてました。




平賀源内が香川で、牧野富太郎が高知。
ともに四国の出身ですよね。

それから、
南方熊楠は和歌山の出身ですが、
彼もやはり官職につかず(というか定職につかず)
ずっと在野の博物学者だった人です。

四国や紀州から、
本草学の巨人が生まれた背景として、
なんとなく空海の影響がある気がします。
空海も香川(讃岐)に生まれ、
紀州の高野山を真言宗の拠点にしました。




空海の密教が、
修験道のような形で全国に広まったのは、
宗教的な影響力よりもむしろ、
本草学としての実用性があったからこそなのでは?

つまり、
薬学や鉱物学のような、
実学としての側面があったからこそ、
草の根の影響力を発揮したんじゃないかと思います。

そして、それが民衆の知恵として、
近世以降の四国や紀州にも受け継がれたのでは?
そんな気がしてなりません。




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最終更新日  2025.05.12 00:26:22


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