|
カテゴリ:メディア問題。
TVerの滑り込みで、
日テレの「仮装大賞」と「歌唱王」を見ました。 仮装大賞をしっかり見たのは数十年ぶり。 慎吾が司会になってからは初めてだったかも。 歌唱王を見るのは、たぶん初めてです。 前者は萌歌が審査員で、 後者は萌歌が司会だったからですが、 そうでもなければ見なかった番組ですね。 ◇ どちらの番組も、 (優勝者に異論はなかったけど) 落選者の採点には不満をおぼえました。 そしてXを見たら、 みんな同じことを呟いてる。 仮装大賞のほうは、 UFOや闘牛士のパフォーマンスが、 とてもセンスがあって面白かったのだけど、 なぜかどちらも不合格だったのよね。
もともと仮装大賞は、 素人のコンテストという性格上、 実力主義的な評価をする番組ではなく、 どちらかといえば、 努力賞的な評価になりがちな番組だけど、 ぶっちゃけ、 みんな努力してることには違いないわけで! そうなると審査員たちは、 「じゃあ誰を不合格にすべきか?」 …みたいことを考えざるを得なくなる。 いくら努力を評価するにせよ、 番組の体裁上は全員合格にもできないし、 やっぱり一定の不合格者は出さねばならないw ◇ 実際、今回は、 数人しか不合格者がいなかったけど、 子供や老人を不合格にするのは忍びない、 …みたいな配慮がはたらいた結果、 必然的に不合格になるのは、 常連の男性ばかりになってしまうわけです。 しかし、その結果として、 視聴者にも不公平感が伝わって、 審査員に疑念の目が向いたり、 他の合格者にまで怒りの矛先が向いたり、 …みたいな本末転倒になっているw ◇ 仮装大賞は、 町内の演芸大会みたいなホンワカ番組だから、 あえてシビアな実力主義にする必要はないと思う。 とはいえ、 ひたすら努力賞的な評価に偏れば、 結局のところ誰も不合格には出来なくなるし、 子供や老人に配慮するあまり、 「不合格にしてもよさそうな人」を選んだ結果、 常連の男性ばかりを不合格にすれば、 それはそれで採点の不公平さが目立ってしまう。 これを改善するためには、 審査員の持ち点を制限して、 全体の半分ぐらいまで不合格者を増やして、 たとえ子供や老人でも、 不合格になるのを避けられない形にするとか、 なんらかの仕組みを考えるほかありません。 … コンプラ的な配慮をしすぎた結果、 かえって炎上を招いてしまうってのは、 なにやら社会学の研究テーマになりそうな事例です。
◇ かたや「歌唱王」のほうは、 パフォーマンスの順番が採点に影響してました。 たしかに優勝した10才の少年は圧倒的だったし、 その採点に異論は感じなかったけど、 それと同じくらいに魅力的だったのは、 いちばん最初にMISIAの曲を歌った、 ハイトーンボイスの男性だったのです。 でも、その人は点数的に最下位だった。 ◇ ひとりひとりを、 リアルタイムで採点していく方式なので、 番組的には、 後の出場者が前の出場者を追い抜くところに、 ドラマティックな展開が生まれるし、 審査員は、 どうしても序盤の出場者の点数を抑えがちになる。 …となると、 必然的に先に歌う人が不利になるのよね。 ◇ しかし、だからといって、 上手な人を後回しにしたら、 視聴率に悪影響を及ぼしかねないから、 序盤で視聴者を繋ぎとめるためにも、 まずは上手な人から先に歌わせねばならない、 …みたいなジレンマもあるわけでしょう。 公平な採点をするには、 最後にまとめて点数発表すればいいのだけど、 やはり番組的には、 そのつどリアルタイムに採点することで、 採点そのものにドラマが生まれるようにしたい、 …みたいな目論見もあるわけよねw ◇ しかし、 そういう配慮や目論見が、 かえって視聴者の不興を買った結果、 場合によっては、 出来レースなのでは?…という疑念を生み、 審査員や勝者への怒りに火をつけてしまう、 …みたいな本末転倒を招いてしまう。
◇ こうした日テレの番組を見るにつけ、 わたしは、 読売新聞の橋本五郎の顔が目に浮かぶんだけど、 余計な配慮で全体を統制しようとするのは、 結局のところファシズムと同じなのです。 そして、 その配慮が浅はかであればあるほど、 かえって不幸な結果を招きかねません。 なので、制作者には、 より高いレベルの知恵が必要とされる。 ![]()
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2026.01.23 09:08:27
[メディア問題。] カテゴリの最新記事
|
|