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まいかのあーだこーだ

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2026.05.10
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NHK「まぐだら屋のマリア」を見ました。

内容はやたらとテンコ盛りでしたが…

死にたい人のエピソードが、
毎回オムニバス的につづられるだけで、
これといった脈絡はないのだね…(^^;

まあ、結論としては、
「何があっても頑張って生きなさいよ!」

ってことなんだろうけども。


ロケーションは凄いですね。

個々のエピソードも説得力に乏しく、

内部告発して男女が心中とか、
母が死んだと勘違いして自殺未遂とか、
女子高生が既婚の教師と不倫して心中とか、

死のうとする動機が、
唐突だったり、やや古臭かったり…(^^;



なお、
新約聖書をモチーフにしてますが、

桐江(岩下志麻)=キリエ
有馬りあ(尾野真千子)=マグダラのマリア&聖母マリア
紫紋(藤原季節)=ペテロ(シモン・ペトロ)
湯田(近藤公園)=ユダ
悠太(坂東龍汰)=ユダ
丸狐(坂東龍汰)=マルコ
晴香(大原梓)=ルカ
与羽(斉藤陽一郎)=ヨハネ

…みたいな対応だろうと思います。

主人公の有馬りあは、
マグダラのマリアと聖母マリアを重ねた感じ。

逆に、ユダが2人いるのは、
裏切り者のユダと自殺したユダを、
2つの人格に分けたのかもしれません。


キリエは神?

新約聖書には複数のマリアが出てきます。

アヴェマリアに歌われるのは、
イエスを産んだ聖母マリアですが、
そのほかにも、
イエスの弟子だったマグダラのマリアや、
イエスを接待したベタニアのマリアなど。

シモンのほうも、
ペテロ(シモン・ペトロ)以外に、
キレネ人シモンや魔術師シモンがいるらしい。

ついでにいうと、
ブニュエルが映画化した「砂漠のシモン」は、
4世紀の聖人とされる登塔者シメオンですね。



原田マハの小説の最初の表紙は、
グレゴール・エルハルトの「マグダラのマリア」だったらしい。
でも、現在はロセッティの「受胎告知」になってます。

そこに描かれてるのは、
もちろんマグダラのマリアではなく、
聖母マリアと大天使ガブリエル。

そのへんから考えても、
やはり主人公の有馬りあは、
聖書の2人のマリアの投影なのでしょう。


グレゴール・エルハルト「マグダラのマリア」
Madeleine Pénitente (Louvre, RF 1338).jpg





マグダラのマリアも、
シモン・ペトロも、ユダもイエスの弟子。
一方、ルカとマルコは、
彼らの事跡を書き残した福音書記者です。
そしてヨハネは、
弟子でもあり、福音書記者でもあった。


ユダとシモンペトロはイエスを裏切りました。ユダの裏切りは銀貨と引き換えに「イエスはあそこに隠れてるよ」という密告。シモンペトロの裏切りは「イエスなんて知らねーよ」という否認。シモンペトロはのちに改心して救われますが、ユダは救われないまま自殺。
ルカの福音書はユダとシモンペトロの裏切りを「神の計画」と見なし、マルコの福音書は「人間の弱さ」と見なし、ヨハネの福音書はユダの裏切りに「神と悪魔の相克」を見ます。

他方、異端のグノーシス文書(外典)ではマグダラのマリアが重視されます。彼女はもっともイエスに近かった女性だし、イエスの重要な奇跡を目撃してるから。しかし、シモンペトロは彼女の証言を認めなかった。じつは両者は対立関係にあるのです。
また、イエスは、当時のユダヤ社会の男性主義的な慣習に則って、マグダラのマリアを《十二使徒》に選びませんでした。そして西欧カトリック教会では、グレゴリオ1世が「罪深き女」と同一視したために、マグダラのマリアは《悪魔》《娼婦》などのレッテルを貼られることになる。


ただし、近年のローマ教会は、
マグダラのマリアの地位をすこしずつ回復させてます。

​​​​​​​​


ドラマのほうは、
長崎俊一の演出もいたってシリアス、
中島みゆきも大真面目に歌ってましたが…

新約聖書のモチーフには、
さしたる必然性が感じられず、
せいぜいダジャレどまりでしかない。

下から読んでも「ありまりあ」とか、
尽き果てたい人が集まるから「尽果」とか、
なかばギャグじみたネタよね。

そのうえ、
「マグロ+タラ=マグダラ」に至っては、
素直に笑うところと考えていいのかしら?…(^^;

河野伸の音楽が、
グノーでもシューベルトでもなく、
偽物のカッチーニ風だったりするのも、
あえてフェイクを狙ってるのかもしれません。


偽カッチーニのアヴェマリア

脚本の小寺和久は、
同時に「ラジオスター」も書いてたんだって。


そもそも、
自殺した友人のドッペルゲンガーって、
どう考えても萩尾望都の「トーマの心臓」だし、

父の性暴力に苦しんだ少女が、
学校の先生に救いを求めてデキちゃうのは、
どう考えても野島伸司の「高校教師」よね…(^^;


由貴ちゃんは、
かつて「トーマの心臓」の解説に、
ユーリは人を許す立場にありながら自分を許してはおらず、自分の為に死んでしまったトーマに怒りを覚え、許されないと思いつつも、彼に許されたいと願っていたのではなかろうか

…と書いていた。


今回の物語では、
悠太の内部告発がいわば"父殺し"、
丸狐のほうが"母殺し"になってて、
この2人がドッペルゲンガーの鏡像だったから、
そこから話が深まるのかと期待したけれど…

まったく関係ありませんでしたw


由貴ちゃんの解説が載ってるのはこの版じゃありません。念のため。




わたしもご多分に漏れず…

マグダラのマリアについては、
映画「ダヴィンチコード」経由で、
イエスの子供を産んだ妻(もしくは愛人?)みたいな、
西欧教会のタブーのイメージなのですが、

原田マハのこの小説も、
そこらへんに乗っかった感じではある。



松岡正剛の千夜千冊が、
マグダラのマリアを取り上げてたことがあって、
こちらは、
美術史におけるマグダラのマリアについての本。
https://1000ya.isis.ne.jp/1295.html

西洋美術史のなかで、
彼女はファムファタルの原型みたいになったわけね。

これは、
原田マハの小説の5〜6年前の本だし、
原田自身も美術キュレーターだから、
このあたりをネタ元にした可能性はあります。



以下はドラマのネタバレあらすじ。
東京の老舗料亭で料理長の湯田ユダが産地や賞味期限の偽装。仲居の晴香ハルカは、それを板前見習いの悠太ユウタに内部告発させる。結果的に孤立した悠太は自殺。
後輩の悠太を救えなかった板前の紫紋シモンは《尽果》の地でマリアに出逢う。そこへ悠太と瓜二つの丸狐マルコが登場。彼は自分が母を殺したと勘違いして自殺未遂するものの、じつは母は生きていた。
マリアは高校生のとき、義父の性暴力から救ってくれた教師の与羽ヨハネと不倫関係になって自殺未遂をしていた。教師の妻はこのときに飛び降り自殺。12年前に《尽果》を訪れ、教師の義母の桐江キリエに謝罪して死のうと思ったマリアだったが、マリアと瓜二つの娘を亡くしていた漁師の克夫に助けられ、桐江に「悪魔」と罵られながらも、桐江に代わって"まぐだら屋"の営業を任される。
マリアは、妻の故郷の《尽果》で死のうとした与羽と12年ぶりに再会。2人は東京で一ヶ月を過ごし、それぞれの場所で生き続けることを約束して別れる。《尽果》に戻ったマリアは死に際の桐江にすべてを許される。生き続けることを誓い合った紫紋はマリアと別れて《尽果》を去る。




原田マハ&由貴ちゃん&萌音についてはこちら下矢印
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202210180002/







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最終更新日  2026.05.14 05:07:48
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