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テーマ:政治について(22780)
カテゴリ:政治
辺野古の転覆事故の件では、
市民運動内部の暴力ばかりがクローズアップされ、 その結果として、 国家権力の巨大な暴力が正当化されていく構図です。 これは、かつての成田闘争によく似てます。 ◇ もちろん辺野古の座り込みは、 基本的には非暴力闘争なのだから、 その点で三里塚闘争とは違うのだけれど、 今回の事故を見てて感じるのは、 闘争の責任主体がハッキリしないことですね。 おそらく今回の件では、 共産党などの中央組織の判断でなく、 現場の田舎くさい判断で事故を招いた可能性が高い。 ◇ 家庭の親でも、 学校の教師でもそうなのだけど、 自分の力で現実を変えられない大人が、 子供をコントロールすることで満足を得ようとするのは、 小さなファシズムというべきであり、 現代の政治闘争においては厳に慎むべきことです。 マルクス主義の理念が、 なぜソ連の全体主義に帰結したかも考えねばならない。 ◇ いまや政治闘争への子供の動員は、 それをやらせる大人の作為ばかりが見え透いて、 まったく説得力をもたないのだけれど、 そういう田舎くさいことを、 現場でやってしまってる可能性があります。 子供の動員でなく、 18才を過ぎた成人による主体的な参加、 …というのもありえはしますが、 サークル活動ならまだしも、 一般的な修学旅行の枠内で行うものではないし、 本来なら、 団体側の判断で拒むべき話だろうと思います。 ◇ 沖縄のテーゲー主義は、 生活文化のレベルでは笑って許せますが、 こういう局面では笑って許せる話になりません。 もちろん、 田舎だから仕方ない面はあるのだけれど、 不真面目な社会や、 闘争のための勉強が不十分な組織では、 政治闘争など出来ないのですよね。 さらに、 本土から来沖するカルスタ連中たちも、 沖縄のテーゲー主義や暴力性を追認しながら、 結果的にヤンキーを増やしてるわけですが、 そういうことが積み重なると、 結局、沖縄は、 植民地になるしかなくなってしまいます。 ◇ 一方で、国家の暴力性は、 千葉でも、福島でも、青森でも、沖縄でも、 悪い人間ばかりが得をするような社会を作り出し、 結果的に国民社会を堕落させます。 そして、それは、 国家そのものの失墜になって返ってくる。 近代のヤクザも、 国家の暴力から生まれたことを考えねばなりません。 ![]()
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最終更新日
2026.06.06 11:45:16
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