空気しか読めない人々。
飼い犬というのは、家のなかで誰が一番エライのか、つまり「家長」が誰なのかを理解しているそうです。もともと犬は、集団のヒエラルキーを察知できるのですね。日本社会における「空気を読む能力」というのも、平たくいえば、犬と同じように、集団のなかのヒエラルキーを察知する能力のことです。その集団のなかで、誰の立場や意見に従うべきかを、その瞬間ごとに判断している。そして、それになびいていくわけです。しかし、逆にいうと、「空気しか読めない人たち」というのは、そういう権力関係の中でしか行動しないために、合理性ではなく、つねにヒエラルキーだけに従って、あらゆる物事を判断・決定してしまいます。いわば行動原理が「犬並み」なのです。◇とりわけ「空気しか読まない組織」というのは、最悪です。組織自体に、合理的な判断がまったく機能しないのです。いくら組織のなかに合理的な判断のできる人材がいても、その判断は、つねに空気のなかで押し潰されてしまう。いまの日本の組織が軒なみ機能不全に陥っているのは、それが空気しか読めない集団で構成されていたからです。◇学校でも、職場でも、「協調性」「素直さ・従順さ・物分かりのよさ」「目上の人への敬意」「コミュニケーション能力」みたいな類の行動規範ばかりを重視しすぎた結果ですね。そんな人材ばかり育てていたら、社会が劣化するのは当たり前なのです。ちなみに本来の「コミュニケーション能力」というのは、異質な他者と意思疎通をはかる能力のことであって、同質的な集団の内部で空気を読む能力のことではありません。