「大豆田とわ子と三人の元夫」最終回の分析・考察・感想。その2。
まめ夫について。いちおう昨日は、最終回の感想を書いてみたのだけど、いまひとつ自分の中でしっくりこなくて、なんだか内容を読みきれていない感じがある。この物語の中にも、なにがしかの構造を見て取るべきじゃないのかな、という気がしてならないので、考え直してます。◇2人の女性の死があります。第1話で、母つき子の遺骨を持って歩いていたら、布団が吹っ飛んだ話。第6話で、軟禁状態に置かれて交渉しているうちに、かごめが死んでしまった話。2人の亡くなった女性は、ともに同性愛者だったかもしれません。その人生の謎を解くことが、ひとつのテーマになっている。◇しかし、関係性という点で見れば、母つき子に相当するのは八作であり、マーさんに相当する女性がかごめであり、父の旺介に相当するのがとわ子です。つき子と八作は、書いた手紙を出さないまま、本当の気持ちを相手に伝えないまま、心のなかの恋人と生きつづけた人です。八作の北海道旅行はそのことに関係している。しかも、彼らは、本命ではない人と結婚して、そこで子どもを作り、やがて離婚した人でもあります。マーさんとかごめは、恋愛もせず、結婚もしないまま、最後まで一人で生きつづけた女性です。父の旺介ととわ子は、相手にとって自分が「最愛の人」「本命の人」ではないと悟って、離婚後の時間を生きながらえている人です。◇主人公のとわ子は、かごめとの関わりのなかから八作の心の内に気づき、マーさんとの関わりのなかから母つき子の心の内に気づきます。つまり、2人の女性の謎を解き明かす中で、自分が失った母と恋人の本心を知るまでの物語になっている。そして、じつは自分が父と同じ人生を歩んでいると知るまでの物語です。また、娘の唄は、自分の未来は祖母のつき子と同じかもしれないと思っています。祖母と同じように、何らかの妥協の人生を生きることになるだろうと予感している。しかしながら、マーさんと会った唄は、それが何らかの妥協であったとしても、人生はひたむきでなければならないと思い直すのですね。彼女もまた、ひとりの女性をとおして祖母の人生の意味を知ることになる。これらが、たがいに反復的な構造をなしています。◇一方で、この物語の登場人物は、全員が例外なく、1:1の「つがい」として生きることに失敗しています。これは全体に通じる最大のテーマです。そもそも、考えてみれば、実際に「つがい」として生きることができるのは、ごく少数の人たちなのかもしれません。確率的にいって、組み合わせというのは、それほどうまくいかないからです。理想的な組み合わせは、ほぼありえない。このドラマでは、理想的なカップリングに失敗した人たちが、もはや「つがい」として生きるのではなく、1:2(かごめの幽霊:とわ子&八作)とか、1:3(とわ子:八作&鹿太郎&慎森)とか、さまざまな数的組み合わせのバリエーションを織りなしながら、あるいは万華鏡のようにそのつど関係性を組み替えながら生きている。けっして確定的な結論は出ていないけれど、その可能性をいろいろに探った物語だといえます。追記。「3度の結婚と離婚を失敗と考えるのではなく、 その必然的な「矛盾」を肯定するために、亡き母は3人の妖精を遣わした」…という以下の考察が一番面白かったです。RS:『まめ夫』の元夫たちは“妖精”?とわ子の矛盾を肯定する生き方Presence I (feat. KID FRESINO) Presence II (feat. BIM, 岡田将生)」Presence III (feat. NENE, 角田晃広)」Presence IV (feat. Daichi Yamamoto, 松田龍平)」Presence V (feat. T-Pablow)Ils parlent de moi~プロムナード編 feat. マイカ・ルブテMorning feat. グレッチェン・パーラトAttachments feat. LEO今井Ils parlent de moi~ほろ酔い編 feat. マイカ・ルブテAll The Same feat. グレッチェン・パーラト & BIGYUKI"