山下達郎とジャニヲタとネトウヨが共闘するw
ネトウヨのなかには、「とにかく左翼を攻撃できれば手段は選ばない」…みたいな人たちがいます。一方、ジャニヲタのなかにも、「ジャニーズさえ守れれば手段は何だっていい」…みたいな人たちがいますよね。そんな見境のないネトウヨとジャニヲタが、なぜか山下達郎擁護のスローガンのもとで共闘しはじめてるw◇さらには、出版不況にあえぐ音楽雑誌も、そこに乗っかるかもしれない。実際、『ミュージックマガジン』あたりは、なおも《山下達郎擁護》の姿勢を変えそうにないし、それどころか、ジャニヲタやネトウヨにも媚びを売って、部数の回復や再起を図っていく可能性があります。その結果として、内容がほとんど『WILL』や『Hanada』みたいになっていくかも。松尾潔が『赤旗』での言語活動続けるんなら、スマイルと関係断ってお互いばんばりましょうというだけの話なのに。なんで山下達郎がここまでバッシングされなきゃならんのか。アベさんがいなくなって、正義厨が暴走し始めた。周りにいる小さな幸せを求める者を、屁理屈言って火あぶりにかけてる。— Yuji TANAKA (@ugtk) July 9, 2023ちなみに、上のようなツイートに対して、漫画家のヤマザキマリが「いいね」しまくっていた…と話題になっています。ヤマザキマリと達郎&まりやが親しくしてるのは、すこし前から知られていましたが、何のことはないスマイルカンパニー所属なのですね。わたしは、ヤマザキマリが、専門家でも何でもないくせに、NHKの教養番組などに専門家ぶって出てくるのが不思議でしたが、組織的な後押しがあったと考えれば納得がいきます。ヤマザキマリのTwitterにおける挙動も、彼女が「組織人」として動いていることを示している。◇ところで、目下、ジャニヲタ&ネトウヨ連合がよりどころにする情報があります↓。【マスコミの闇】ジャニーズ報道の裏側にColabo・フラワーデモ・キボタネの影?https://t.co/LmmZSBMQuZ— Johnny's Navi (@tokyojapan999) June 19, 2023まだボヤッとした話ですが、たぶん「中国人陰謀説」に寄せようという意図なのでしょう。南京事件と似たような構図にも見えますね。まあ、たとえ中国人やBBCやリベラル派の人たちが、日本についてのネガティブ情報を発信・拡散しているとしても、それで「ジャニー喜多川が無罪になる」なんてことはありえません。◇とはいえ、こういったジャニヲタ&ネトウヨの結びつきには、けっこう不気味な面もあります。両者を結びつけているのは、達郎&まりやに象徴されるようなノンポリ層なのですが、ノンポリを公言する音楽家や音楽愛好家は、(ふだんはリベラルな態度を装っていますが)政治的選択を迫られる局面では必然的に保守化します。彼らにとって重要なのは、慣れ親しんだ幻想や、身の回りの小さな幸せを維持することであり、国際問題や人権問題などは二の次だからです。その点でこそ、彼らはジャニヲタにもネトウヨにも通じ合う。 山下達郎のラジオでの発言を一通り読んで思ったのは、デズモンド・ツツのこの言葉:「不正義を前にして中立でいるということは、抑圧者の側につくことを選んだということである」“If you are neutral in situations of injustice, you have chosen the side of the oppressor.”— Yuko Watanabe 渡邊 裕子🇺🇸🇯🇵 (@ywny) July 10, 2023 達郎&まりやの岩盤的な支持層は、日曜の午後に「サンソン」を聴くことが、なかば自分たちの《生活そのもの》になっており、今回の事態には、たぶん実存的な危機を感じているはずです。ジャニタレの恋愛報道だけで狂気に陥るような人たちも、やはり現在のジャニーズの危機に直面して、自分たちの存在基盤が脅かされる恐怖におののいている。彼らが敵視するのは、慣れ親しんだ幻想や小さな幸せを破壊する者なので、性被害の告発者さえ、現在の彼らにとっては敵になりえます。そして、こうしたメンタリティは、やはりネトウヨによく似ている。ネトウヨにとっては、人権主義を標榜する国連も、国際主義を標榜するリベラル派も、たんに国内の権力構造を揺るがす敵でしかありません。彼らもまた、長いものに巻かれ、大きな権力にグルーミングされ、(竹内まりやと同じように)出雲につどう八百万の神々にひれふしながら、日常の幻想と小さな幸せを保守することを選択します。◇余談ですが、生前の中村とうようは、達郎&まりやの音楽を意外なほど高く評価していました。なぜ「大衆音楽」の可能性を信じていた中村とうようが、サザンオールスターズではなく、中産階級気取りの達郎&まりやなんかを評価していたのか、わたしはずっと不思議に感じていたのですが、いまにして思うと、まさに達郎&まりやこそが、日本人の総中流幻想に親和的なのであって、その点でこそ保守的な大衆の無意識に訴求するのです。◇ところで、松尾潔のTwitterによれば、テレビのみならず、音楽雑誌も、今回の問題にまったく無関心を装ってるそうです。やはり、『ミュージックマガジン』も『ロッキングオン』も、岩盤層と同様、変わらぬ《達郎支持》の姿勢を続けるのでしょう。そちらもゼロです。 https://t.co/YVwNPaIpem— 松尾潔 (@kiyoshimatsuo) July 8, 2023 こうした音楽雑誌が、ノンポリを自称しながらも実質的には保守化し、ジャニヲタ&ネトウヨに連携していく可能性は否定できません。…わたしは、7日の坂本龍一についての記事で、「日本のミュージシャンは言語的知性に欠けている」と書きましたが、それと同じことが日本の音楽ジャーナリズムにも言えます。本来なら、映画批評であれ、音楽批評であれ、言葉を扱う職業である以上、言語的知性が不可欠だと思いますが、現在の日本で「音楽ライター」などを自称する人たちは、たんなる "ミュージシャン崩れ" みたいな連中ばかりで、本質的に言語的知性が抜け落ちているのです。そのため、歴史的な批評も、アクチュアルな状況への批評も出来なくなっている。彼らが「なしくずし的な保守化」に傾くのは必然だと思います。◇わたしが、音楽惑星さんと日本語ロック論争について議論したときも、参照したのは『ユリイカ』のような文芸誌であって、けっして音楽雑誌ではありません。日本語ロック論争は、もとはといえば、当時の『ニューミュージックマガジン』などの音楽雑誌で行われました。しかし、現在ではその雑誌こそが、よりによって「はっぴいえんど史観」の担い手みたいになっています。歴史や現状に対する批評的な観点が、まったく無いからです。◇わたしは3日の記事のなかで、日本語ロック論争の議論に反応した栗原や佐藤のツイートを紹介しましたが、じつは、あの議論に対して、一人だけおかしな反応をしていた人物がいました。それが、よりにもよって、現在の『ミュージックマガジン』の編集部の人間だったのです。このページが異様に詳しい"1980年1月号より、「ニューミュージック・マガジン」は「ミュージック・マガジン」へと変更されました。当時、日本ではフォークからよりポップでロック寄りな音楽へと変化した新たなポップスに「ニュー・ミュージック」という名前を付…"https://t.co/cQdp1ChPva— 矢川俊介 yagawa shunsuke (@yasnsk) December 20, 2020中村とうようの考えていた「ニューミュージック」が、ポール・ネルソンの述べた「The New Music」に由来していること、(フォーク雑誌『シング・アウト』に掲載された66年の論文です)それがフォークとロックを統合する概念だったのは、日本のロック史に詳しい人ならば周知の事実です。しかし、何故かこの人物は、ほかならぬ『ミュージックマガジン』の編集部にいながら、その誌名の由来すら知らなかったらしいのです。…上記のツイートでは、ニューミュージックに「異様に詳しい」と書いたうえで、ミュージック・マガジンの歴史 - 中村とうよう(後編) という外部記事にリンクを張っていました。このサイトは現在は消えていて、キャッシュだけ残っています。じつは、このサイトの前半部分にも、ポール・ネルソンの件はちゃんと記述されていたのですが、この矢川という人物は、それすらもまともに読解できず、まったく無関係な後半部分にリンクを張っていたのです。(そこに書いてあるのは1980年の誌名変更の話)歴史について無知なだけでなく、資料の読解力もないってこと。◇歴史に無知なうえに、資料もまともに読めないのでは、音楽史を批評的にとらえることはおろか、アクチュアルな状況を分析するのも不可能でしょう。現在の『ミュージックマガジン』に、なんらの批評性も感じられないのは、そもそも批評の意思のあるかないか以前に、ただたんに無知でバカな人間しかいないからかもしれません。この矢川俊介という男も、(かならずしも編集部の中枢の人間ではないかもしれませんが)やはり今なお「達郎擁護」の立場のようですし、今後の『ミュージックマガジン』も、おそらく「達郎擁護」の姿勢を貫くのではないかと思います。そして、はっぴいえんど神話を保守しながら、日本語ロック派と同じく「リベラルを装ったノンポリ」の道をたどり、やがてはジャニヲタやネトウヨとも連携していくでしょう。ツイッターは今日もツイッターだね何にせよ、片側の1ツイートだけ読んで、山下達郎さん側の表明が何もないうちに何かを決めつけたりすることはしないほうがいい— 矢川俊介 yagawa shunsuke (@yasnsk) July 2, 2023