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ロン・ハワードに駄作なし、というと言い過ぎかもしれないが、個人的には監督の名前で映画を見てもいいかなという人の1人だ。「コクーン」「バックドラフト」「アポロ13」「身代金」、それにアカデミー賞を受賞した「ビューティフル・マインド」などなど。基本的には派手な映像美やCG、斬新なカット割を使ったりするのではなく、オーソドックスにヒューマン・ドラマとして「物語」を創りあげていくタイプ。だからこそ安心して見ていられるのだ。そしてこの「シンデレラマン」もその路線。決して派手な映画ではないけれど、物語が進むにつれて深く心に刻まれる秀作。
ジム・ブラドック(ラッセル・クロウ)は、前途有望なボクサー。美しい妻メイ(レネー・ゼルウィガー)と、天使のような3人の子供に恵まれ、家には笑い声が絶えることがなく、幸せの絶頂にいた。だが、1929年、右手の故障がきっかけで勝利に見放されたジムは引退を余儀なくされる。時を同じくして《大恐慌》がアメリカの経済を壊滅状態にし、人々の生活は困窮した。国中に溢れかえる失業者の一人となったジムは、過酷な肉体労働でわずかな日銭を稼ぐが、そんな仕事にすらありつけない日の方が多かった。 出口の見えない不況の中で、男たちはプライドを失い、自分自身を失っていった。ジムもまた貧困の中で、子供を他所に預けざろうえない状況に。しかし彼は家族が一緒にいることに固執する。そんな時、ボクサー時代のマネージャーだったジョー・グールド(ポール・ジアマッティ)が、新進ボクサーとの試合の話を持ちかけてきたのだ。勝ち目などない、一夜限りのカムバック。だが、その報酬は今のブラドック家にとって大きな救いだった。夫の身を案じるメイをふりきり、ジムは再びリングに立つのだった…。 この映画がこの2005年という時代に登場したことはある意味不思議だ。アメリカバブル説が囁かれているとはいえ、空前の好景気で不況感がないというのに。むしろ数年前の日本にこそ求められていた映画ではないか。 「下流社会」などと言われながらも、今の日本はそれなりに豊かだ。最近ではミニバブル状態になったりもしているが、これらにしても企業の「リストラ」や「コスト削減」によるもの。特に現代は通常の経済学で扱うような在庫調整的な景気サイクルだけでなく、IT化・市場のグローバル化というパラダイム変化、就労人口の年齢分布の変化ということもあって、そうした変化に置いてきぼりにされた多くの中高年が何らかの「敗北感」を抱いたことだろう。 折角、年功序列の社会で苦労して築き上げてきたものがパラダイム変化とともに否定される、しかもホリエモンや三木谷浩史といったITと金融技術に長けた連中が現れ、次から次に会社を買収し、何億という利益を得ていく。いらだちや憤りはある。しかしそれは抵抗してもどうにもならない「時代の変化」なのだろう…。 当時が同じような環境だったとは思わない。ただともに男たちが自信を喪失していた時代だったことは間違いないだろう。→ 続きを読む お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.04.09 23:26:38
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