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カテゴリ:ももクロ('15/4/11以降)
9/19(月・祝)
AYAKA-NATION 2016 in 横浜アリーナ ついにこの日がやって来た。ももいろクローバーZのピンク担当、 我らが推しの佐々木彩夏の初のソロコンサートだ。 4年前、マネージャーに「横アリでやる画じゃないよ」と叱責されていた5人組だが、 7月の有安杏果に続き、たった一人でその会場1万人超を埋めるのはこれで2人目である。 僕はこのイベントが発表されてからこの日まで、これを糧に生きて来たと言っても過言ではない。 他のあーりん推しも、多くの方々は同じなのではないだろうか。 この日僕は珍しく早朝に会場に到着し、物販に並んで購入し、 座席は天が味方してくれてセンターを引き当てることが出来た。 連番相手は入場の時点で既に泣いていた。とうとう17:30、その時を迎えた時、僕も堪え切れなくなった。 この日はもう、自分の感情の赴くままにステージを楽しもうと決めていた。 楽しい時は自然と笑顔になる。心に刺さるものがあれば涙も出て来る。それで良いと思った。 あーりんがそのステージに『降臨』した瞬間、僕の涙腺は決壊したけど。笑 あーりんは、初めから輝いていた。1曲目は、浜崎あゆみの「HONEY」。 知っている曲ではなかったが、あーりんを観ながら、モニタの歌詞をチラチラと確認していると、 今のあーりんと僕たちの関係性と重なるような内容だった。 「あーりんの中には既に僕らが居るんだ」と思うと、嬉しくてならなかった。 3bの子たちをたくさん従えて舞うあーりんも格別で、それはそれはとても大きく見えた。 「サボテンとリボン」は予想出来たが、「イマジネーション」には驚き。 最近どんどん好きになっている曲なので、私信かと思ってしまった。 ポイントは冒頭と中盤のセリフパートで、これが全てあーりん一人の声に差し替えられている。 生で歌うなら当たり前のことだが、5人でのライヴ同様、セリフパートに関しては吹き替えになっていた。 つまり、これだけのためにあーりんソロバージョンのセリフパートをあらかじめ収録していたことになる。 それだけでも胸が詰まる思いなのに、あの「私とあなたにしたい。」「待ってるね。」が、あーりん一人の口から発せられるのである。 衣装は魔法のようにどんどん変わって行くし、この1曲の中での「あーりん無双」感は凄まじかった。 驚いたのは「青春賦」。この曲はあーりんのイメージが無かったので、イントロがかかった瞬間「!?!?」だった。 そして手話である。何故、手話なのか。会場に、そういう方々でも観に来ているのかな?と思ったが、 後に書いてくれたブログによると、元々あーりんママが勉強していたことであり、それに触発されたとのこと。 その心意気だけでも素晴らしいのだが、観れば分かる。「何て美しい手話なんだ」と。 確かに僕たちは、手話を学んでいるわけではないので、内容は分からない。 しかし、持ち前のしなやかな手先から奏でられる、艶やかな動き。 それはまるで違和感の無い振り付け同然で、彼女の手は美しく宙を舞っていた。 そして、そこから奏でられる『手話』という名の旋律は、僕らには実体は見えないけども、 けれども、確実に彼女の手から、そして表情から、横浜アリーナの中を美しく舞い踊っていた。 それは間違いなく、音を聴くことが出来ない人々にも届いたと、信じてやまない。 彼女は語る。「音楽は全ての人に平等に与えられるものだよね」と。 ここで、後になって思ったのだが、実は「アイドル」に「手話」というものは親和性が高いのではないだろうか。 手話というのは、手先だけでなく、表情なども駆使するということを聞いたことがある。 音楽に合わせて華麗に、そして分かりやすく体全体を動かし、表情もくるくると変化させる。 これって、アイドルの最も得意とするところなのではないだろうか? 手話をまるでいつもの振り付けのように美しく奏でているあーりんを見て僕は、そう思った。 ひょっとすると、アイドル文化にひとつ、新しい風を吹き込んでくれることになるかも知れない。 「青春賦」でもうひとつ、ハッと思ったことがある。 ももクロメンバーの他の4人はそこに居ない。その代わり、自分より年下の子たちが周りにたくさん居る。 そんな状況で、あーりんがこの歌を歌っている。 このあーりんが、僕には加藤明美に見えてならなかった。 富士ヶ丘高校演劇部、当時の3年生が卒業し、新たに部長となり、進級し、後輩も増えた加藤明美。 彼女のその後の姿は劇中では語られないが、その可能性のひとつを垣間見ることが出来たように、僕は感じた。 そんな様々な思いが詰まった「青春賦」、涙を禁じ得なかったのは言うまでもない。 そのまま続くバラードブロック。ここが僕には一番響いた。 SAYAKA「ever since」⇒浜崎あゆみ「A Song for XX」⇒浜崎あゆみ「Together When...」の流れなのだが、 「A Song for XX」のあたりでもう僕はグチャグチャになっていた。 どれも、少し聞いたことはある気がする程度で、基本的には知らない曲だったのだが、 まず歌詞が個人的に響いて来るものばかりで、それをあーりんが全身で伝えてくれているのを感じるともう、涙が止まらなかった。 そして何よりも僕の心を強く打ったのは、あーりんの歌唱そのものである。 推しでありながらだが、僕は正直、あーりんの歌唱に心を打たれるようなことは今まで無かった。 歌で言えば、有安さんや玉井さんの歌唱が好きで、彼女らに強く心を打たれたことならある。 あーりんの歌唱に関しては今まで、どちらかというと「かわいい」「かっこいい」の二択が、僕の中では多かった。 ライヴの2日前にソロコンのパンフレットが自宅に届き、そこに載っていたインタビューを読んだのだが、 そこでもやはりあーりんは、昔からの歌に対する苦手意識を語っていた。 しかしこの日のあーりんは、確かに技術的なことを言えば色々とあるかも知れないが、 僕の心にドストレートに、ズキューーーーーンと刺さって来た。 それぐらい、このバラードブロックの、あーりんの歌唱は物凄いものだった。 「あーりんの熱唱」というものを、僕は初めて感じることが出来たかも知れない。 あーりんの、次への大きな一歩を感じてやまなかった。 それと、純粋に歌自体もとても良いなと思い、 今までろくに聴いたことが無かったあゆについても、少し掘ってみようと思わせてくれた。 続くロックなあーりんも見応え充分で、特にプリンセスプリンセスの「OH YEAH!」に関しては、 今回数少ない僕の知っている曲だったのでブチ上がった。 このあたりは、打てるコールは打っていたし、バンドサウンドを楽しむことも出来た。 しかし最も僕を魅了してくれたのはこの後の、ダンスコーナーだった。 僕は元々、どちらかというと『音楽』の方を注視している人間なので、ダンスに関しては疎い。 ももクロに関しても、音源は細かく聴いていても、振り付けはほとんど覚えていない曲も多い。 しかしそんな僕でも釘付けになってしまうぐらい、あーりんのダンスは、目に見えて素晴らしかった。 まず驚いたのが、表現の幅広さ。元々ももクロでは、ヒップホップ系のキレのあるダンスを有安さんが得意とするのに対し、 あーりんは特技のバレエを活かした、しなやかな動きを得意とするという認識で合っていると思うのだが、 この日のあーりんは全くそれに留まらず、まるで有安さんがするようなキレッキレのカッコイイものから、 ぶりっぶりのかわいいもの、そして果ては、ももクロでは決して見ることの出来ない、妖艶でエロティックなものすら魅せてくれた。 そう、言葉を選ばずに言うと、ハッキリ言って「エロい」。こんなあーりんを魅せてもらって良いのかというほど。 Superflyの「Bi-Li-Li Emotion」でも充分に凄かったのだが、あろうことか倖田來未の「キューティーハニー」である。 イントロがかかった瞬間「マジか」と思わざるを得ない。 こればっかりは本当に、失礼ながらももクロメンバーで見た時に、あーりんだけに許された特権だと思った。 20歳になったあーりんが、『大人の女性』としての魅力を遺憾なく振りまいており、 包み隠さず言えば、正直オスとしてシンブルに興奮もしたのは事実である。 しかしそこをゴリ押すわけでは決してなく、持ち前のしなやかで艶やかなダンスが根底にあればこそである。 そこにエンターテイメントが成り立っているのだ。 「Bi-Li-Li Emotion」等ではサビの振り付けもシンプルで、知らなかった僕でもすぐに振りコピ出来てとても楽しかった。 最後にゴンドラでアリーナを一周してから、ももクロの中の自身の代表曲「Link Link」で本編を締める。 しかし間奏でバンド紹介をし、落ちサビに入った時、遂にあーりんに異変が起きた。 あーりんは泣いていた。 僕は去年6月の、あーりんの19歳の誕生日に行われた、Quick Japanのトークイベントに入っており、 あーりんはそこで最後の挨拶の時に、ピンクのサイリウムの海を見て涙を流してくれた。 僕たちあー推しは、そのことを知っているし、そうしてあーりんが僕らに寄り添ってくれることも知っている。 だから、あーりんが涙を見せてくれること自体にはもうそこまで驚かないはずだった。 しかしあーりんはこの時、歌の最中に感極まってしまった。 それは、最後のサビが涙声になり、そのせいで一部不安定になってしまうほどの泣き方だった。 こんなことは今まで無かった。あーりんが、「歌の最中で」こうなることはまず無かった。 間違い無くとてもお世話になったであろうバンドメンバーを一通り紹介し、 曲もクライマックスに入り、もう本編が終ってしまう、そのシチュエーションに堪え切れなくなったのだろうか。 その時のあーりんの心情は僕らには知る由も無いが、間違い無く言えることは、 そんなあーりんの、ありのままの姿を見て、僕も涙を禁じ得なかったということである。 ライヴはこの後、アンコールの「あーりんブロック」に突入するわけだが、 もしかするとこの時、本編で様々な姿を魅せてくれたエンターテイナーとしてのあーりんが、 僕らに寄り添ってくれる「いつものあーりん」に戻る瞬間だったのかも知れない。 アンコールが始まる。本編は、あーりんのソロの持ち曲がひとつも歌われなかった。 この時点で僕は勘付いた。「これ、全部アンコールでまとめてやる気だな」、と。 今年ももクロのメンバーがやって来たソロ(ユニット)コンサートでは、自身の既存の持ち曲を全て歌うメンバーは居なかった。 歌われたのは有安杏果の「ありがとうのプレゼント」と、ももたまいの「シングルベッドはせまいのです」のみである。 しかしあーりんは何となく、ここまで発表されている3曲を全て歌う気がしていた。 何故ならば、あーりんが『あーりんらしい』コンサートを全うする際に不可欠だと思ったからである。 かくしてその予想は当たり、「あーりんは反抗期!」⇒「スイート・エイティーン・ブギ」と続いた。 「スイート・エイティーン・ブギ」に関しては特に、LVでは観ていたが現場では初めてであり、 元々かなり好きな曲だったのでブチ上がった。 因みにオールナイトニッポンで「みんなこの曲ちゃんと覚えてる?」というような発言を本人がしていたので、 今回恐らく披露するだろうとはあらかじめ思っていた。 さて、この2曲で僕は大変なことに気付いてしまった。多くのあー推しも気付いたことだろう。 「あーりんは反抗期!」の歌詞が「高1」「高校生」のまま歌われ、 「スイート・エイティーン・ブギ」の歌詞も「18歳」のまま歌われた。 あーりんは今まで、これらの歌詞をそれぞれ「高3」「社会人」「19歳」等、 その時の自分の学年や年齢に合わせて歌っていた。それが、元に戻った。 元々あーりんは、いずれこれを戻し「松本伊代さんスタイルで行く」というようなことは言っていたので、 いつかこうなるだろうなとは思っていたが、それがこの日だった。 これが、どういうことを意味するか。それが、次に披露される新曲「あーりんはあーりん♡」で明らかになる。 「あーりんはあーりん」である。もう意味が分からない。が、我々あー推しには痛いほど意味が分かる。 歌詞の内容は、かなりざっくり言うと、10代、20代、30代、40代、いくつになっても、あーりんはあーりんだということである。 全く説明になっていないがそういうことである。 キムタクはキムタクだ、というのと似たようなことである。違うかも知れない。ごめんなさい。 まずそもそもこの曲、いつものヒャダインが作った曲なのだが、 曲を作る際にあーりんは「『あーりん』と何回も呼べる歌」という発注を自ら、ヒャダインにかけている。 これは本人の口からも直接語られたが、 「あーりん推しは『あーりん』って何回も言いたいんでしゅぉ?」ということを、あーりんは知っているからだ。 現に、8文字コールを「絶対アイドル」等ではなく「あーりんあーりん!あーりん!」と打っている人は一定数存在しているし、 僕も「行くぜっ!怪盗少女」の口上では、大天使様口上の代わりに「あーりん」を12回言う自作口上を打っている。 そう、あー推しはあーりんが大好きであり、あーりんはあーりんであり、あまりにあーりんがあーりん過ぎるが故に、 「あーりん」と叫ぶことこそがあーりんであり、とにかく「あーりんあーりん」あーりんなのであーりん。 言ってない。キリンって言いました。 すなわちあーりんはそんなことまでもちゃんと分かった上で、新曲の発注をかけているのである。 そして、それでいて最後にキッチリと落としてくれるのがヒャダインだ。 「事務所にもっと推され隊」でもあった。基本的には自虐ネタなのだが、 最後にはファンのみんなに感謝するという、「落とし所」がキッチリとある。 この曲もそうだった。歌詞の最後を飾るのは何を隠そう、「あーりん is forever」というフレーズである。 「あーりん is forever」である。あーりんは永遠である。先述したように、いくつになっても、だ。 これが、前2曲の歌詞の中の年齢を、今の年齢でなく歌詞通りに戻したことに繋がる。 すなわちここで自身の持ち曲の歌詞の年齢をニュートラルに帰すことによって、 それは時間・時代に依存しない、永遠、悠久の概念と化すのである。 いつ歌っても高1であり、いつ歌っても18歳。 そして最後の「だって あーりんなんだもん☆」に続くが、これもいつ歌っても14歳。 それは時間に依存しない、永遠の概念をそこに設置したことを意味する。 だから「あーりん is forever」を今、1万人の前に高らかに宣言出来るのである。 ここから永遠が始まる。2016年9月19日。僕らにとっての『永遠』がこの日、始まったのだ! そんな瞬間に立ち会えたこと自体が、最上級の喜び以外の何物でもない。 新曲はとてもカオスで、ブッ飛んでいて、楽しいはずなのに、 「あーりん is forever」が宣言されたその瞬間、僕の涙腺はまたも決壊していた。 定番で最強のブチ上げ曲「だって あーりんなんだもん☆」で有終の美を飾り、とうとうアンコールも幕を閉じた。 ここからとうとう最後の挨拶に入ってしまう。嫌だ。終りたくない。この時間がずっと続いて欲しい。 それは僕らだけでなく、あーりんも同じだった。 一面のピンクの海を眺めながら「終りたくない」「帰りたくない」と何度も名残を惜しみ、 最後にセンターステージへ走った時は、「このまま(ピンクの海へ)飛び込みたい」というほど。 これって、凄いことだと思う。僕らのピンクの海へ飛び込みたいなんて、相当のことだ。 挙句の果てにあーりんはこう言う(※記憶頼り)。 「みんなあーりんのことを好きでいてくれるけど、あーりんはその倍以上、みんなのことを好きだからね」。 これは「いやいやいや。言うてそんなに?俺らの好きって相当だよ。気持ち悪いレベルだよ。言うてそんなに??」と思うかも知れない。 しかし僕は、これはあーりんの本心だと信じている。 それも、ちゃんと僕らがどれだけあーりんのことを好きか、ちゃんと分かった上で言っている。そう信じている。 ももクロの中でも杏果やれにちゃんは、どちらかと言うとファン一人一人を大切にするタイプだ。 それに比べてあーりんはそういうわけではない。しかしその代わり、 「ファン全体」に対する愛は、ももクロの中でも一番というほどなのではないかと、僕は思っている。 これは推しに対する贔屓目なのかも知れないけども、 ファン全体のサイリウムの海を仮に一人の人間とするならば、 ももクロメンバーの中でその人のことを最も愛しているのは、あーりんなのではないかと。 その証拠に、あーりんは、こんなにも僕らのことをよく分かっている。 こちらがギクッとするほど、お見通されていることは一度や二度ではない。 それぐらいあーりんは僕らのことをちゃんと見ているし、その上で分かってくれている。 さっきの新曲もそうだ。僕らが何を喜ぶかをちゃんと知っていて、その上で発注をかけている。 そもそも本編からそうだった。僕らが一番見たいあーりんが、これでもかというほど随所に詰まっていた。 余分なコーナーなどひとつも無い、需要と供給の完全に一致したエンターテイメントになっていた。 グッズですらだ。あーりんのグッズは、他のメンバーに比べて、「あーりん本人」を模したものが圧倒的に多い。 それもまた、僕らが「あーりん」をキャラクターとしても大好きであることを、ちゃんと知っているからだ。 あーりんの方から、こちらへ寄り添って来てくれているのだ。 こんなことは並大抵の「好き」では出来ないと思う。それぐらいあーりんはみんなのことを愛してくれている。 後にブログで書いてくれた、たどたどしいMCもそう。 あーりんと言えばいつも、ももクロの中では玉井さんと1,2を争う、キレッキレのトーク回しをしてくれる。 でもこの日のMCでは、そんなあーりんはそこには居なかった。 何度も何度も「んー」と言葉を詰まらせ、しまいには「何しゃべればいい?」とまで口に出してしまう。 実はこの光景を目の前にしたのは、僕らは初めてではない。 去年のQuick Japanのトークイベントの、最後の挨拶でもそうだった。 いつものキレッキレのトークはまるでそこにはなく、涙を浮かべながら、言葉を詰まらせながら不器用に喋るあーりんだった。 あーりんは、僕らの前でだけ、この姿を見せてくれる。 そしてそのことについて、僕らはちゃんと分かっていたが、ブログでもこう書いてくれた。 「焦らなかったしあーりん的には全然気まずくなかったの。 普段の生活でも 沈黙が気まずく感じる時と無言でも大丈夫な時とあるでしょ? あの何を話していいかわからなかったグダグダな時間、 ちっとも気まずくなかったしすごい居心地がよかった。」 あーりんは言葉が詰まり、うまく自分の気持ちを表現出来なかったのではない。 そもそも敢えてMCを用意しておらず、その場に委ねるつもりで臨んでくれたのだ。 そしてその沈黙すらも、楽しんでくれたのだ。僕らがあーりんの奏でる極上のエンターテイメントを楽しんだのと同じように。 そんな存在に、僕らがなれているなんて、推しとしてこれほど嬉しく、これほど誇らしいことはない。 あーりんを見つけて良かった。あーりんを好きになって良かった。あーりんを推していて良かった。 心底そう思えるし、こんなに誇らしい推しを好きになった自分を誉めてやりたくもなる。 「あーりんはみんなのあーりんでいるから、みんなもあーりんのみんなでいてくれる?」 この日一番嬉しい言葉だった。こんなことを言われて、あーりんを推していて良かったと思わないはずが無い。 あーりんの言う「みんな」とは、一人一人ではなく、本当の意味で「みんな」だ。 僕はその中の、ほんのひとかけらだ。広大なピンクの海の、ほんのひとかけらだ。 だけど、あーりんが最も好きなその景色の、間違いなく一部になれている。 あーりんが最も好きでいてくれる「みんな」を構成する一人として、そこに立つことが出来ている。 これほど嬉しい、そして誇らしいことは無い。 去年のトークショーでもそれは強く感じ、そこから僕のあーりん推しはより確固たるものとなったのだが、 この日は、そしてその後のブログは、それをより具体的に認識することとなった。 去年の段階では、ここまで深く掘り下げることは到底出来なかっただろう。 本当に名残惜しそうな、意外と小さな背中を見せながらあーりんは消えてゆく。 エンドロールに流れるのは「AYAKA SASAKI」の文字ばかりだ。 演出から、構成から、照明、音響などなどまで。全てが、あーりんのやりたかったことを具現化した世界がそこにあった。 「あーりんのやりたかったこと」で、僕らは100%楽しめたのだ。 そしてそれを夢に終わらせず具現化するに至らせてくれたスタッフの方々、 とりわけあーりんとタッグを組んでステージを完成させてくれた総合監督の佐々木敦規さんには本当に頭が下がる。 周りの大人たちにも本当に、ありがとうと言いたい。 そして、この日わざわざピンクを着てまで、僕らと一緒に極上のエンターテイメントを観に来てくれた、他推しの人たち。 本当に嬉しかった。 実は僕は元々、この日は持てる限りのピンクを揃えて行こうと思ってはいたものの、 ももクロという場を離れた晴れ舞台、果たしてピンクという色に拘る必要はあるのだろうか?という迷いが無いわけではなかった。 しかし、2日前に届いたパンフレットのインタビューを読んで、迷いは吹っ飛んだ。 あーりんは、女性として、ピンクという色に誇りを持っているんだ。 思えば「一面ピンクの景色」という言葉も何度か耳にした覚えもある。 だから、あー推しはもちろんのこと、この日来てくれた他推しも、 みんな少しでも出来る限りのピンクを纏って来て、グッズまで買ったりしてくれたのは本当にあー推しとして感謝している。 そして、この誇らしい我らが推しの、極上のエンターテイメントを観てもらうことが出来て本当に良かった。 これで「あー推しの人が羨ましい」なんて思って頂けたら、これほど嬉しいことはないし、 この言わば「普段見ていないメンバー」の晴れ舞台を観ることによって、何かを感じてもらって、 各々の推しに対する愛へと還元してもらえれば、とも思う。 とにかくこの日は、言うまでもなく最高の一日だった。 あーりん、ありがとう。僕はこれから、あなたと一緒に、一歩ずつ永遠を歩んで行きたい。 20歳。まだまだこれから。楽しみで仕方ないね。 あーりんを支えることが出来て、すごく幸せです。でも、もっともっと輝いて欲しい。 これから、どんな大人になって行くのかな。 素敵なあーりんになれてますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.09.28 20:43:43
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