ルーマニアックス

2019/10/08(火)21:18

2019年9月の 宗像大社

風景・旅行など(223)

​​​​​​​​​​​宗像大社​ 885系サガン鳥栖ラッピング特急です、行きに博多駅で見かけたので撮りました。 ​宗像大社​ 県内でも結構遠い。ここ、 まだ紅葉の季節ではありませんが、もう葉の色が変わってました。 拝殿 切妻屋根、宗像宮の額がかかる。小早川隆景の建立。重文 本殿 第一宮、イチキシマヒメを御祭神とする。宗像氏貞の建立で、中津宮の本殿を参考したといわれる。重文 ウイキペディアで調べましたが、 本殿の先端が「外削ぎ」(先端を地面に対して垂直に削る)ですね、一般的には祭神が男神とされています。実際は祭神に関わらず、千木の形は「外削ぎ」が圧倒的に多く、木材の木口が上を向いていると雨が導管から浸みこんで腐りやすい(つまり、内削ぎだと千木が腐りやすい)とされているため外削ぎが多いとか、次に何で判断するかと言うと、鰹木の数、一般には奇数は男神で偶数は女神、本殿は外削ぎで鰹木が5本、つまり、奇数。“神社本庁の公式見解でも「本数は神社によって異なります」としか言っておらず、つまり「鰹木の数は(祭神によってではなく)神社によって違う」というのが正しい。”とか、よくは分かりませんが、以前熊野本宮大社でも似たような事を言いましたが、こちらは外削ぎの偶数。実は女神とされているのが本来男神が祀られていて、その逆も。 ちなみに、平安時代のデザインを守り続けている相応の格式ある神社社殿にはかえって千木と鰹木が無い状態となっており、例えば京都の八坂神社とかいい例、そもそもそこは八坂式という特殊な形状です。 末社 江戸時代初期の建立、神郡宗像にあった神社群を時の福岡藩主、黒田光之がまとめ寄進したもので、本殿の外周りに121社ほどある。 実は、ほぼ妄想や都市伝説レベルで信じるか信じないかは別にして、 最初に宗像大社にお参りにいった時に、道の途中でぱっと古代の恰好をされた男性のイメージが浮かびました。純白な服を着た角髪(みずら)の髭の男性、髭も結った髪も艶々で、顔は阿部寛似、おそらく、海人族の族長だと思いました。海人族は弥生文化前期の主力を担ったもので、航海、漁労など海上において活動し、のちには海上輸送で力をつけることとなった集団。宗像周辺はそのメッカ、今も考古学で研究中のとの事。道途中もあり一度は疑ったのですが、考えてみると平成ノ大造営中で仮本殿建ってた頃でした。ウィキペディアを調べたところ”宗像氏 阿多片須命の後裔で、宗像大社の社家を務めた。”とされており、もしかすると、その人物は阿多片須命ではないか、実在が確認できた事に感動しおります。 蛭子社 松尾社 ここから急に空気が変わりました。 伝えられる伝承では日本神話に起源を持つ。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのが宗像三女神である。彼女たちはアマテラスの神勅を奉じて、皇孫ニニギノミコトを見守り助けるため海北道中、玄界灘に浮かぶ筑紫宗像の島々に降り、この地を治めるようになったのが宗像大社の起源とする。(ウィキペディアより。) 高宮祭場周辺はただものではない空気が流れています。 高宮祭場 邊津宮に於ける古代祭祀遺構、現在も春と秋の大祭他、庭上祭祀が行われている。 第二宮 沖津宮分社、タゴリヒメを御祭神とする。 第三宮 中津宮分社、タギツヒメを御祭神とする。 こちらは宮地嶽神社近くのレストランです、 1時過ぎでしたがお客さんが次から次へと入ってきていました。 2019年9月の 宗像大社でした。​​​​​​​​​

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