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2021年04月11日
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​​​ドデカイベビースターラーメン えびしお味​​​​
アマビエがここまで進出していたのか、まあ、味は苦手でしたが…まさかの150以上年前のフェイクニュースがここまで進化するとは。
フルーツサンドです、かなりの頻度で作りました。以前も書きましたが、フルーツサンド、実は簡単。
サンドイッチ用のパンとホイップクリーム、イチゴやキウイ等の好みのフルーツとラップさえあれば出来上がります。イチゴ場合はヘタと先の部分を互い違いにする良いでしょう。2~3時間、1日冷蔵庫で寝かせると味がなじみます。後、ホイップと果物の甘味だけなので、もう少し、甘いのが好きな方はジャム等を足して調整してもいいかも。

​​​​ゴルシちゃん(ゴールドシップ)、油断するとドロップキックくらわされるぞっ、もはや話題に事欠かないので​こちらから​どうぞ。
もはや伝説の迷馬、数々の奇行も話題、ゴルシ担当の今浪厩務員もウマ娘で彼女を育成していた事でも話題に。ウマ娘のお陰で競馬馬のゴルシも注目、横山騎手は「最初は怖い馬と聞いていたが 怖いというより何するかわからないという感じ。」それはウマ娘でも反映、ワケわからないところが好きと言うファンも。ゴルシの動画見ると、第一印象はとにかくカワイイ、つぶらな瞳が魅力的。次にデカい、もっとデカい馬はいるけどやはり他の競馬馬に比べてデカい、クネクネ動く、関節が柔らかいと言っていた、要は動きがウマぽく無い。
​最近は武人風と思わしきものをドロップキックでぶっ倒してますます好きになりました。確か、強キャラぽい設定でしたがゴルシの様な不意な攻撃に脆かったような…だが しかしー、身長170㎝のドロップキックは流石にキツイわ。
ただ然る方はダイワスカーレット推しです、”今ウマ娘やってるから黙ってて”と。スカーレットさんは何故か春日とコラボ?して話題なっていまして、相棒ウォッカと共にイケヤの椅子を壊すのではと。


2021.4.11
​【速報】ソダシが無傷の5連勝、白毛馬初のクラシック制覇 競馬・桜花賞(ライブドアニュース)​
うわー凄い、​真っ白で完全に神懸かってます​、競馬ファンではないけど余計にソダシちゃん、いや、ソダシを観に行きたい、ただ、そこから競馬にハマりそうで危ない。​十和田湖の龍神様(パワースポット一人旅)​朝この動画を見ていたら昼にこんな事に、時には願いが叶うのですね、今から桜花賞の動画を見返そう。​​
かつて​ゴルシ(ゴールドシップ)を担当していた今浪厩務員は今はソダシを担当しています、桜花賞だけでなく芝の重賞勝利・GI勝利という白毛馬が勝てないというジンクスをものともせず全5勝を挙げ、異例の快挙を成し遂げました、また、その純白の美しい見た目からもアイドルホースとしても大人気に。ただ、最近今浪厩務員サイドから「あいつ(ゴルシ)に似て来た。」という懸念材料も…どうなることやら。
​​​”真っ白な馬体で純真無垢(むく)なイメージがあるソダシだが、見た目とは裏腹に実は気難しいらしい。いわば「女王様気質」か。調教にも携わる吉田隼騎手は「気持ちに逆らわないようにしてます」と明かす。嫌なことは「イヤ!」と断固拒否するのだとか。阪神JFでもゲート入りをごねる姿が見られた。繊細な気性をケアしてきたのが「チーム・ゴルシ」のメンバーだ。須貝師、担当の今浪厩務員、調整役の北村助手は、かつて暴れん坊ゴールドシップを手がけた。厩舎でつけられていたあだ名が「ホワイトライオン」。いななきは遠吠えのよう。あるスタッフから差し出されたニンジンを無視して、その手にかみついたというエピソードも聞いた。やんちゃな気性に手を焼きながらも、G1・6勝の実績を挙げられたのは、厩舎の財産になった。重圧を乗り越え、無事に種牡馬として送り出した。今浪厩務員は、繊細なソダシに気を使いながらも「アイツに比べたら…。アイツは異常やったから」と笑う。当時の経験が今に生きている。(Yahoo!ニュースより、)”やっぱり最後はゴルシ先輩かぁ、ソダシ関連の記事ですが、ゴルシ先輩のあだ名が「ホワイトライオン」とは、破天荒ネタに事欠きません。​ただ、こいつはライオンよりデカいわ、
ただ、オーナーとの交渉で今のところソダシがウマ娘に登場する事は無いとされていますが、それは逆にオーナーや関係者とも話し合った上なので信用に繋がっており、良い事だと受け止めています。だからこそ、今浪厩務員はじめ関係者の方々もプレイを楽しまれていると思います。​​



​第9回 少彦名命(スクナヒコナ)について紹介します。​
前回、​第8回目は木花咲耶姫命​を紹介しました、第9回目は一寸法師のルーツ、少彦名命、前回紹介するつもりだった出雲系の神様です、もしかして、ロリコンの始祖かもしれない、一寸法師も十分に始祖ぽいですが。それから​第6回目 八幡神 神功皇后​を更新しましたのでよろしくお願いします。

少彦名命​
別称 少毘古那神 須久那美迦微 少彦名 少日子根
神格 穀物神 医療神 酒造の神 温泉神
​常世の国からやって来た小人神​
​スクナヒコナ命は、海の彼方にある常世の国から光り輝きながら渡って来た小人神です。『古事記』では、天の羅摩船(かがみぶね)というガガイモの殻の船に乗り、蛾の皮を着てオオクニヌシ命の前に現れます。そのとき、造化三神(ぞうかのさんしん)の一神カミムスビ神が「私の手指の間から漏れこぼれ落ちた子です」といい、わが子のスクナヒコナ命にオオクニヌシ命と義兄弟になって一緒に国づくりをするように命じたといいます。今日、私たちに馴染みの深いスクナヒコナ命の姿といえば、やはり医薬の神としての活躍です。薬師達が崇拝した守護神という意味合いから、薬神と書いてクスシノカミとも読まれます。その薬神の代表的な存在といえるのがスクナヒコナ命で、古くから(医薬・薬業の守護神)として知られています。スクナヒコナ命には、ほかに温泉の神や酒造の神としての信仰も厚く、いずれにしても身体健康に関わる霊力が強い神さまです。神仏習合の際に、病気平癒という薬師信仰との共通性から薬師如来とされています。​
​一寸法師などの「小さ子」のルーツ​
​スクナヒコナ命は、日本神話のなかの人気者であり、中世の『日本霊異記(にほんりょういき)』の道場(どうじょう)法師や近世の「御伽草子(おとぎぞうし)」の一寸法師といった「小さ子(ちいさこ)」のルーツとされています。小柄な神でありながらオオクニヌシ命とコンビを組み、国からづくりの大仕事を成し遂げるというヒーロー性に加え、性格は明るいイタズラ者でユーモアに富んでおり、加えて豊かな知識や技術も備えています。腕力ではなく、持ち前の知識力で様々な困難を見事に克服していく姿に人気があります。様々な仕事をやり終えたスクナヒコナ命は、最後に淡島で粟(あわ)の茎にのぼり、その弾力を利用してはじき飛ばされるようにして常世の国に渡ったという説、あるいは熊野の御崎(みさき)から海を渡り、常世の国に帰った説などあります。海の彼方から私達の世界に来て技術や文化を残し、また常世の国に帰って行くという姿は、他界から富や豊穣を運んでくる来訪神と重なります。​
​酒や温泉の利用など医療技術の普及​
​スクナヒコナ命がオオクニヌシ命と行った国作りの大仕事は、農業技術、国土開発技術、そして医療技術の「指導普及」です。とりわけ、スクナヒコナ命の中心的な業績は人々や動物の病気治療を定めたことでしょう。酒造技術の普及もその一環です。「酒は百薬の長(さけはひゃくやくのちょう)」というように、古来、お酒の肉体を興奮させて生命力を高めるはたらきや、消毒力は薬効として大変重宝されました。その霊妙なはたらきを人々に教えた神さまというわけで、現在でも製薬会社やお酒を扱う会社で大事に祀られてるそうです。また、湧き出る温泉を初めて医療に用いたというエピソードが『伊予国風土記』の中の逸文にあります。それによると、あるときオオナムチ命(オオクニヌシ命)が病気になったので、スクナヒコナ命が大分の速見の湯を海底を通して運び湯浴みさせると、病状は回復して健康になったそうです。まさしく湯治ですね。このときに開いた湯が伊予国湯郡(ゆのぐん)の温泉(愛媛県は松山市の道後温泉)のもとになったそうです。昔から温泉は、「常世よりきたる水」と考えられていました。​
​中国の薬祖・神農神との合体​
​スクナヒコナ命は、中国の薬祖神である神農神と一緒に祀られており、医薬に関わる者から厚い信仰を集めています。薬問屋が集まる大阪市中央区道修(どしょう)町の一角にも少彦名神社があります。この神社は、京都の五条天神の祭神のスクナヒコナ命を分霊して神農神を併せて祀っており、香具師や薬屋を守護する神とされています。毎年(11月22日、23日)の祭日には、張り子の虎の笹飾りの疫病除けのお守りのが頒布(はんぷ)されることで多くの参拝者で賑わっています。スクナヒコナと神農神の結びついたのは江戸時代と比較的新しく、そもそも農耕神が薬祖神として日本全国で信仰されるようになったきっかけは、幕府の「薬草園」に祀られたことに始まるそうです。それが民間の薬草問屋に広がるようになり、古くからの日本の医薬神スクナヒコナ命と一緒に祀られるようになったのです。​
原像は穢を吸い取る人形?
​スクナヒコナ命の人気の秘密でもある「小人」の原像とはどういうものか?それに関してはいろいろな説があります。1つには人の罪や穢れを身代わりとして引き受けてくれる人形・形代と結びつける説。もう一つは、小人(侏儒、小さ子、矮人)の存在です。昔は朝廷や貴族の使用人に「生きた人形」ともいえる小人がいて、天皇や貴族に対して穢れを吸い取る役目をしていました。これはスクナヒコナ命の身体健康守護の霊力に通じています。以上のような考え方からすると、小さいものが穢れを吸い取るという信仰に、この神の原像をみることができます。​
ご利益:国土安寧 産業開発 漁業・航海守護 病難排除 縁結び 安産・育児守護
神徳:医薬・酒・温泉などに関わるとこらから、万民の病難を救う霊力が中心です。
スクナヒコナ命の系譜 親 古事記:カミムスビノカミ、日本書紀:タカミムスビノカミ
※この両神とも性別は無いとされているため、父 母 ではなく親とします。(「日本の神様」がよくわかる本より、)

記紀ではお酒の話が「常世よりきたる水」その名の通り昔は地下からものは穢れを考えており、貴族はなかなか温泉に入りたがらなかった様です。ただ、魅力には勝てなかった様で、こっそり入浴した方もいました。道後温泉×火の鳥で大国主命と少彦名命は登場人物の一人でしたが。しかし、道後温泉は温泉県おおいたから運んだものだったとは、地下から来たから少彦名命、常世あるいは根の国や黄泉の国と繋がる。国造りというストーリーから、少彦名命は素戔嗚尊の子供か、あるいは、大国主命に試練を与えたのが神産巣日神の方が辻褄が合うような気がしてなりませんが、そこの真相はどうなのでしょうか。
少彦名命の様な小柄な体格のは最初は天皇や貴族の穢れを吸い取る役目だったとは、しかし、小柄な体形の人がそう居る訳も無く、その後 稚児等がその役割を果たした可能性も、少彦名命がもしロリコンの祖だと考えると色々と闇が深いです。
記紀ではお酒の話が多いですが、八岐大蛇退治にしろ、木花咲耶姫命しろ、記紀ではないものの豊受大神しろ、今回の少彦名命も全てお酒の話。余程重要なアイテムらしく、恐らく五穀誕生神話もお酒がベース、卑弥呼を始め玉依姫が神の交信とは実はべろべろに酔う事だったという説も、御神酒とも言うし、だからこそ酒の話が多い。
罪や穢れを身代わりとして引き受けてくれる形代、大祓いで茅の輪くぐりのセットとされる事が多いです、大祓いとは、伊弉諾尊が赴いた黄泉の国で被った穢れを川の水で洗い流したのがルーツ、茅の輪くぐりは蘇民将来がルーツですが、その際、神社にもよりますが、人型の形代が配り形代で体を撫でて神社でお清めします、形代は自分の身代わり、それが少彦名命の様です、当時の医療は呪詛的なものも含むのでしょう。
大国主命と少彦名命は、例えるならオースティン・パワーズのDr.イーブルの相棒ミニミーの様、Dr.イーブル悪役なのに何故か可愛らしいし、ミニミーはやりたい放題暴走して小憎らしかった、良いコンビでした。ただ、ミニミー役のバーン・トロイヤーさんは若くしてお亡くなりなられました、後年は健康状態に問題にあったようで色々と苦労されていた様です。オースティン・パワーズの続編がもう作られなと思うと残念でなりません。
​​​天使突抜、悪王子…なぜ京都府にライトノベルの世界のような地名があるの?​​​​
​かつては周囲の森も含め広大な境内であった「五條天神宮」​
​九州征伐後、京都に聚楽第(じゅらくだい)という邸宅を構えた豊臣秀吉は、京都の街の大改造に取り掛かった。その際、次々と新しい通りも造られたのだが、そのうちのひとつが、平安京以来からあった「五条天神宮」という神社の境内の森を分断するように通された。
この「五條天神宮」とは、菅原道真公を祀ったいわゆる「天神さん」ではなく、薬の神様である少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祀った社。少彦名命は別名、「天子様」と呼ばれていた。しかし、「天子」は日本では天皇を表す言葉。当時の京の人々はこれと同じ言葉を使うのは不敬だとしたのであろうか、この神社は「天使様」または「天使社」と呼ばれるようになった。
つまり、「“天使社”の境内を突き抜けて造られた通り」というところから、文字通り「天使突抜」という地名に決まったわけである。なお一説には、豊臣秀吉の強引な都市改造ぶりに対する皮肉を込めて、京の人々がこう呼んだとも言われている。
​「悪王子」ってどんな王子?​
この「天使突抜」町界隈から五条通を更に東へ進んだ烏丸五条の交差点のすぐ北側に、「悪王子」という町名があるのだが、更にこれより北の四条烏丸付近には「元悪王子」という町名まである。これまた何やら、邪悪な妖怪変化の逸話によるものか?と思わせる地名だ。「元悪王子」や「悪王子」も非常に気になる町名だ。
「悪」というと善悪の「悪」という意味が一般的だが、かつては「力強い」という意味でも用いられていた。そして「悪王子」とは、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の荒魂(神の持つ温和な面と強大な面のうちの後者)のこと。その悪王子を祀る「悪王子社」という社があった場所なので、「悪王子町」となったのである。そして、それより以前に元々「悪王子社」があったとされる場所が、「元悪王子町」というわけだ。悪王子社が元悪王子町にあったのは974(天延2)年~1590(天正18)年までの約600年間で、その後、悪王子社は元悪王子町から少し南に下がった五条烏丸の悪王子町に移転し、更に、豊臣秀吉の命により、四条寺町に移され。それからも移転は続き、四条大橋の少し東の四条大和大路に移り、最終的に今の場所、八坂神社の境内に落ち着き、素戔嗚尊の和魂をご祭神とする八坂神社に摂社として同神社内で祀られている。(著者:OFFICE-SANGA)

こちらは少彦名命に関する地名の話、天神とは菅原道真公ではなく少彦名命、別名 天使様。
​​天使=少彦名命​​
天使突抜と悪王子とはこれ見よがしに中二病、まるで異世界転生の様、ミカエルとルシファー?が戦った??、
後、京都の人々に親しまれていた天使社の境内に無理やり通りを作ってしまった為に「天使様を突き抜けてまで道を作るのか」と怒り、皮肉を込め天使突抜と名付られたとか、京都を大きく変えてしまったために京都の人々には非常に嫌われてしまい。後々、豊臣秀吉が住んでいた邸宅は京都人の恨みによって破壊され跡形も残っいないとか、人の恨みはとかく恐ろしい。ただ、戦国時代の京都は北斗の拳の様なヒャハーな有様でした、豊臣秀吉が無理にでも事業を行った事で治安が回復したので決して悪いだけとは言えませんが。後、五条天神は義経と弁慶が出会った場所として知られています、あと、あの八坂神社と関係が深い様で、祇園社の末社となっていた時期もあったそうです。
それから、呪術廻戦に五条悟と言うキャラクターが登場しますが、五条先生は実年齢よりも若く見る為、もしかしてこの神社が繋がっているので??悪王子町も如何にも両面宿儺様が住んでいるぽい?特級呪霊の様な地名、ただ、あれは王様だから。
悪王子とは素戔嗚尊の荒魂のこと。素戔嗚尊には二つの姿があり、優しい温和な姿の和魂と荒々しく行動的な荒魂、それは天照大御神と豊受大神も同じで、月読命も、特に大国主命、同神とされる大物主神が有名かもしれない、神様にそれぞれ二面性があられるとか、物理的に二面なのが両面宿儺様ですが。
京都地名一つとっても古いですね…現在、悪王子社のは八坂神社境内にあります、感染対策をして是非訪れてみてください。​​​​​​​
​渡来文明の原点=少彦名命​
渡来文明の原点は、大国主命の国土経営を援けた少彦名命の渡来だろう。この神の経歴はすこぶる神秘的である。まず身体が異常に小さく、大国主の手の平に立てるほどだった。彼は羅摩(かかみ)の舟に乗り蛾の羽衣を着て海から現れたが、やがてその役割を終える常世国に向かって去ったという。
さて、大国主の国土経営とは、それまでの「葦原の中つ国」を「豊原の瑞穂国」に改造することだった。つまり、弥生時代の日本列島改造計画である。彼が現在でも国民の多くに「大黒(国)さま」として親しまれているのは、その国土経営の恩恵を人々が潜在意識のなかに記憶しているかだろう。
さて、大国主が列島改造に苦心していたとき、突然渡来、いわばボランティアのコンサルタントとして彼を授けたのが少彦名命だった。彼は神産巣日神、あるいは高皇産霊神の子として伝えられていることからすれば、朝鮮半島系の神ということになる。
そうだとすると、当時(弥生初期)の朝鮮は稲作の先進国だから水田造成・水利工事などについて大国主に適切なアドバイスを行える資格は十分あった。
だが、私はもともとこの神は朝鮮半島よりも、むしろ、より先進的な中国の江南地方から、黒潮さらにその分流である対馬海流にのって渡来したのではないかと考えている。その服装、蛾の羽毛のような軽く薄い衣をまとっていたというのも南方くさいし、また出雲族自体にも朝鮮からの渡来民が多く混じっていたのだから、この神が朝鮮からきたのなら、はっきり韓国(からくに)からきたと記すはずである。つまり、出雲の朝鮮系の人々にとってさえ、異様な神と映ったのは、彼が朝鮮系の神でなかった証拠ともいえる。
さて、問題は、この善意のボランティアのその後についてだ。彼は、自分の役割が終わったと知ったとき、常世の国に去ったと言われる。常世の国とは「死の国」ないし「西方の国」のことだ。まさか、自殺したわけではあるまい(その動機がまずない)。とすれば、追放されたのか、あるいは殺害されたのか?あるいは自発的に身を引いて故国に還ったのか?もし、この神を、あとは自分たちでできるからもう貴方に用はない、といってコンサルタントを免職、追放したとすれば、それは文化的忘恩である。
だが、出雲人はよくやった。これ以上自分がアレコレいう必要はない、として自発的に最高のコンサルタントの地位を退き、故郷に還ったとすれば、そのフェアな精神はすばらしい。
大国主命自身、この神を引き止めたとあることからするれば、後者だった公算が大きい。ただ、日本の文明は、古代以来、このような善意の援助者によって大きく推進させられてきたという事実。これを私たちが忘れていたら、それこそ忘恩の徒となることをこのさい再確認しておくべきだろう。​(雑学 古代日本の謎と不思議より、)

最後に、こちらは30年前の本のため情報はだいぶ古いですが、​しかし、この頃から稲作は中国の江南地方からとなりつつありましたか、現在では中国の江南地方からが最も有力な説になってます。稲作は弥生時代からではなく、縄文時代にはすでに始まっていて、岡山で6000年前の稲の後が発見された事も、しかし、また10年位したら他に証拠が発見されひっくり返る可能性も。
前置きともかく、 少彦名命はあまり大きくない神様でしたので、いわゆる形成不全のため普通の人よりも寿命が短い可能性も、健康状態からこれ以上続けられなかったと思うと、彼は誰よりも医薬に精通していたのも納得。
実は職人気質で、出雲の人が失礼な態度とったので怒って帰ってしまったのかも、現在でも起こそうなことですが。
それから、あまり指摘される事はありませんが、徐福とその童子一行だった可能性も、徐福は不老不死の薬を求めて日本にやって来ました、その為か何故か神武天皇だったのではと囁かれる事も。実はその目的が亡命だったとも、佐賀や熊野を含め全国各地で徐福伝説が残ります、徐福の役割が少彦名命と非常に似通っており、特に熊野での話が重なります。彼か彼に同行した童子?ではないのかと考えています、大陸の医学に精通していたなら尚更大国主命は全力で止めそう気がするのですが、そこはどうなっているのでしょうか。​​​​

第9回 少彦名命(スクナヒコナ)についてでした。





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最終更新日  2024年01月20日 20時35分57秒
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