カテゴリ:負け犬
今日は先に結論を書きます。 精神のステージがあまりにも違う人とは一緒にはいられなくなるって話。 ------------- 自分病(同一性障害+自己愛系の人格障害)を医者が鬱病と判断するのはほんと、止めてほしいよね。 自分病ってのは、「自分のことしか考えられない病気」。 人間関係において、他人に「自分への理解ばっかりを求める人」。 それは、自己の喪失感から生まれるもの。 同一性障害。つまり、「自分が自分でなんなのか分からない。自分の価値が分からない」から、他人に必要以上に、「自分を認めろ。理解しろ」と求めるのだ。でも、自分自身で自分が分かってないんだから、他人なんかが分かる訳がない。当たり前。そこが「認められない」「諦められない」のが病気。妄想、とも言う。 「自分がない人」は、帰属感を求めるから、カテゴライズ化を求める。 自分は「アダルトチルドレン」である、とか。自分は「鬱病」である、とかね。 そうすれば今度は人を「鬱病を理解しない」とか「アダルトチルドレンを理解しない」とか他人を批判できるようになるからよ。 びょーきで「自分探し」してる人が一番厄介。 やってることは、病気になれば構ってもらえると思って、仮病を使う犬と一緒だもん。だから、病気はどんどん悪くなる。直ったら構ってもらえなくなるからね。 いやいやまてまて。なんで他人があんたのことを理解しないといけないのよ?とか。大体、他人があんたのことを分かるはずもねーじゃん、という、そーいう諦めがない。 なんせ、病気っていう免罪符があるから、自分から他人を理解する必要なんかないわけで。だって苦しいんだもーんね。 進もうとしている仮定がまず間違ってる。 「まともな人は、自分を理解してくれるはずだ。自分に優しくしてくれるはずだ」っていう仮定が。 感の良い人は分かってる。一生かかっても、人間は他人を理解することなんか出来ないってことが。 お互いに利のある関係しか、長続きしないってことなんかまともな人はちゃんと知ってる。自分だけが搾取する側ってのは絶対に人間関係は成り立たないのよ。 だから、「俺を理解しない」と責められて、罪悪感を感じる必要なんかないのだ。てめぇが分かってないようなものが、他人が理解できるはずがないんだから。 しかもこの手の人は、絶対自分の「本音」を認めようとしないから(そんな強さがないからね)、分かってもらいたいのはあくまでキレイな装飾で隠そうとする、「建前」の「奇麗事」なんだぜ~。(ここが、他人からうぜぇ、と思われるところ。) 昨日の日記に書いた、「お前を幸せにするのは俺だけだ!!!」っていう類の奇麗事を、あなたはそんな高尚なことを考えている優しくて立派な人なんですねー!!と見て欲しいってだけなんだぜー!!!(セルフイメージって奴ですな。モラハラって、所詮、セルフイメージを他人に守ってもらいたいっていう病気。) でも暴力ふるうのも、養育費払わないのも、全部病気のせいか、妻が悪いから妻のせいで、「自分のせいじゃない」からそれは仕方ないのよね。(笑) もしカウンセリングに行って直すとか言ったって、自分の都合の良いことを言う医者にしか行かないぜ。キツイことを言う医者は駄目な医者だぜ。 例えば、自分病を治す一番の特効薬は、「他人のために何かすること」なのですが(と有名な夜回り先生も言っている。)、医者が「病気治すために、ボランティアか介護をやりなさい」と言ったからって、やらないぜ。自分のことでいっぱいいっぱいだもーん。かわいそうな病気の僕は、誰かに何かしてもらう存在であって、誰かに何かしてあげられる状態じゃないんだもんねー!!!! それが「自分病」なんですよ。自分のことしか考えられない病気。 自分の責任を自分で取れない。全部他人かびょーきのせい。 そこを「自分のせい」って思えないと、病気は絶対治らない。 要は自立の問題。だから、構ってもらったほうが病気は悪化します。自分病(モラハラ)の旦那を捨てる奥さんは「正解」です。優しいし正しい。 ま、自分を分かってもらうのが一番の人の「批判どころ」は、いつも「俺のことよく知らないくせに」なので、結果から書くと。 もし奥さんに逃げられたのなら、それは、「一緒にいても奥さん側に利がなくなった」からでしょう。 別れて一人で子供育てた方が、利があると判断されたからでしょう。単純明快。 だから相手を責めるのではなくて、「奥さんに利を提示しないと駄目」。つまり。行動で見せろってこと。あなたが家族のために、何ができるのか。を「現実的なレベル」で提示しないと駄目。(絶対できないことを提示するのは、セルフハンディキャップの真理で、つまり口だけでやる気がないってことだから駄目。) そーいう時に、「本当の家族とはそーいうものじゃない」とか、「愛とはそーいうものじゃない」とか、そーいう「仮定」のもの、「定義自体が曖昧なもの」をお題にして人を批判するのは、「自分の発言に責任の取るつもりがない、卑怯で弱い人間のすること」ですぜ。 あ、あと、「子供のために」と言い出す人も、問題。 つーか子供のためにと言うのなら、愚痴は一生言わないくらいの男気を見せろと思う。お前のために我慢したと子供が親に言われることが、どれだけ子供を傷つけるか。それがアダルトチルドレンを産むのだよ。連鎖。そして「お前のために我慢したって言いたい」のが、自分病の人の「理解されたい」ってことだから、だから子供に悪影響。 あと、「モラハラ」の人は、相手に罪悪感を抱かせてそこに踏み込むことのプロだからなー。「子供がカワイソウだと思わないのか?」ってのは、本人が子供がカワイソウと本気で思ってるわけじゃなくて(本当にカワイソウなら暴力ふるわないし金出すから。)、そう言えば、誰でも罪悪感を感じる、いわゆる「魔法の言葉」だからだ。 つまり、「言葉」ってのは、「行動」が伴ってこそ「本物」になる。 「言動が伴ってない場合」、言葉は所詮、建前のキレイごと。裏には醜い本音が絶対にある。それが人間。 子供にDVが向かわないように、子供のためにと子供をつれて逃げ出す母親は、「子供のために苦労しても平気」っていう言動が伴ってるから本物。 子供がカワイソウだから家族全員一緒にいなきゃ駄目だ。借金は止めないし、DVも辞めないし、離婚したら「お前のせいだから(ココ重要!!!)」養育費払わないからね!!!という父親は、言動伴ってないから偽物。目的は「離婚したくない」であって、「子供のために自分が何ができるか」ではないから、子供のためにってのはあくまでポーズ。つまり偽物。 で、本物が絶対勝つのよ。口だけの奴は負けるの。それが、この世界の「美しい所」だ。「人の捨てたもんじゃない」所だ。 人はちゃんと、人を言動で見る。分かる人はちゃんと分かる。(わかんない奴は、そもそも精神(年齢)のステージが違うから振り落とされる。) 「真の家族」とか、「本物の愛」とか、そーいう抽象的な、いわゆる形而上的な議論って、「逃げの議論」なんだよね。弱い人の議論。 例えば、「鬱病を理解してない」と言ってみたかと思えば、「専門家じゃないと分からない」という、で、専門家が出てくれば、「鬱病にも色々あるから、僕のケースには当てはまらない」という。(どーてもいーけど、鬱病って定義曖昧な病気なのよ。まず。少なくとも今は、不眠であるとか、「鬱的な身体症状」を「申告」すれば、鬱病って診断されちゃうような曖昧な病気。そのため、もっと鬱病の診断を厳しくしようという動きがある。) つまり、答え自体がないの。目的は「鬱病を理解して貰いたい」訳ではなくて、「責任から逃げたいだけ」「言い訳したいだけ」だからね。 本当は「理解」してもらいたくなんかないの。理解されちゃったら、自分の底の浅さが見えちゃうから。理解されちゃったら、「君は僕のことなんか分からない!!!」って他人を責められなくなっちゃうでしょ?(笑) 理解って簡単に言うけどさ、ものすげーく残酷なことよ。 真に理解されるってのはね、「あなたがあなたのままで、何でも許される」って意味じゃない。本当は耳に痛くて聞いていたくないようなものなのよ。違う!!!って叫びたいようなもの(つまりここに書いてあるようなこと)が、理解されちゃうってことなのよ。 理解されるってのは、「自分のセルフイメージ」(僕はこーいう人間、とか。父親とはこうだ、とか。母親とはこうだ、とか。男とはこうだ、とか。鬱病とはこーいう病気とか。)を尊重して守ってもらうってことじゃないの。(ちなみにそれを強要するから、「モラルハラスメント」なのよ。) 世の中には分からない方がいいことも沢山あって、分からないままにしておいた方が優しいってことも沢山あるのよ。 ま、結論としては、自分病の人って弱い人間なのよね。ま、病気だからね。家族持っちゃいけないんだよ、弱い人間は。病気なんだから、「人並み」を求めるのが間違い。残酷だろうが、そうなのだ。 子供持つなら強くならないと駄目ってことっす。母は強しとはそーいうことだ。だから子供は「病的に弱い者」からは奪われるのよ。 冷たいと言われようが、心のびょーきは移るから。 心のびょーきを直そうとせずに、言い訳にする人は、周りの人間に逃げられることも、病気の障害の中に含まれると認識するべきだと思う。それがびょーきだ。 駄目だよ~、心のびょーきがそんだけ辛いなら、子供に移さないように、一人でいなきゃ。それが親心ってものじゃない? そこで、家族がいないと僕の病気が治らない~とか言う人は、所詮、自分のことしか考えてない人。子供のことなんかこれっぽっちも考えてないのよ。 そーいう人が家族のためとか言うのはほんとに…、あぁ自分の弱さ(セルフイメージ)を認められない弱い人なんだなぁってことだなぁ……。 だから子供に親のびょーきを移さないように、離婚しようとする人はほんと「正解」。(それは男女問わず。母親が病気なら、父親が引き取ればいいです。) それも結局、精神(年齢)のステージが違う人は長く一緒にいられないってことなんだと思う。 自分病の人を理解してくれる人は、同じ自分病の人だけでしょ?(笑) 周り見てみな。 この病気は家族の理解が一番必要なのに!!!とかいう、まず他人を責める、他人に理解を求めることから始める人しか、「(残酷な言い方するならネットの)お友達」にはいないでしょ? そーいう人が現実で「孤独になっていく」のは(ネットではお友達いっぱいでもね。)、人間ってのは結局、「精神のステージが同じ段階の人同士」でしか一緒にいられないからなのよ。 残酷かもしれないけれど、それは優しくて素晴らしい「自浄作用」みたいなもの。 そして「自分が分かってもらいたくて仕方ない自分病」の人と、「他人のことなんか分かる訳ないから、ハナから分かってもらおうなんて思わない」私の精神のステージは激しく違うから、同じ空間にはいられない。 私は「本物」と「偽物」の区別がつくから、「本物」は応援するけど、「偽物」は「言っても無駄」だから放っておく。 わかんない人は絶対わかんない。なんせ、「精神のステージが違う」から。 私は本物の人に向かってこれを書いている。偽物は、「俺のことわかんない」と甘ったれたことを永遠に言ってればよろしいのだ。 しかし、同一性の障害って、「十代の病気」なんだけど。そのまま三十代超えちゃう人が最近多すぎだよね……。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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