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私がロンドンに住んでいて楽しかったのは、やはり音楽活動をしていた時だったと思う。
最初は、右も左もわからないまま知り合いの日本人ミュージシャンにくっ付いていたのだが、今になって思えばこの時に結構いろんなことを学んだような気がする。 当時、自宅で音楽を作るなど考えてもみなかったので、ベイズウォーター駅付近に住んでいる日本人ミュージシャンのフラット(アパート)に行くのがとても楽しかった。 ここには、クールなジャズギタリストの大ちゃんやブルーズロックギタリストで作曲家のゼロ、そしてそこには、マジシャンやいろいろな人たちが出入りしていた。 私は、そこで作られたジャズ系の曲のサイドギターを録音したりして遊んで貰っていた。 今思えば、私はこの時に自宅で録音をするという事を大分学ばせて貰ったような気がする。 ある日、私が簡単なコードで歌を作りゼロに聞かせたところ録音しようという事になった。 楽器類はヘッドフォンで聞きながら録音すればよいのだが、歌の段階になると 防音設備のない普通のアパートで近所から文句が出ない訳がない。 案の定、近くの部屋に住む大柄の中近東の叔母さんが文句を言いに来た。 それに対抗したゼロは、あれだけまくし立てていた彼女を言い負かせてしまい、再び何事もなかったかのように録音を開始した。 この時のことは、ロンドンに住み始めてまだ日が浅かったこともあり結構びっくりしたので、今でも鮮明に覚えている。 結局この時代の彼らとの経験が、私を自然に音楽に向けた様に思える。 それから何年かして大ちゃんは日本に帰り、ゼロはフランスに行き私は一人ロンドンに残った。 私はなけなしの金を叩き4チャンネルの録音機を買い、一人でドラムやベースを録音し曲を作る毎日に明け暮れていた。 私は、曲を作るために何回何回も同じフレーズを間違えないように弾いて録音していたことが、結果的にギターの上達につながったように思える。 私は、同様にこの時期に友達からコマーシャルのコーディネーターにならないか?と誘われ、幸運にも仕事と労働許可書を2つとも手に入れる事になる。 このコーディネーターという仕事は私に大変都合が良く、仕事が始まると3週間ほど時間を拘束されるのだが、それ以外は全く自由な時間を持てるのが嬉しかった。 しばらくしてコーディネーターの仕事に慣れた頃、私は当時ニュー・ミュージカル・エクスプレス(だったと思う)という新聞の後ろのページに掲載している、ギタリスト・ウォンテッド(ギタリスト募集)というコラムを見てオーディションに行くようになっていた。 最初は応募先に電話をして名前を伝えると、何処から来たの?と聞くので日本と言った途端に断ろうとする相手を説き伏せ、実際そのオーディションに行ってみるとこちらからお断りのバンドだったり、音楽はそっちのけで私に化粧をさせようとしたり、ギターの用意ができるとキーもコードも教えずにいきなりフュージョン系の演奏をして優越感に浸っている嫌味なバンドもあった。ちなみにこのバンドのボーカルは黒人女性なのだが、私の後の黒人ギタリストには懇切丁寧にキーとコードを教えていた。 まあこんな風にいろいろなオーディションに行ってみたのだが、中には以前書いたこともあるピーターのような素晴らしいミュージシャンにも会えたのだから、まんざら悪い経験でもなかったように思える。 ある日いつものように新聞のコラムを見ていると、ギタリスト求むUKプログレッシブ・ロックバンドという文字が目に入った。 プログレ音楽が好きな私は、すぐにそこに書いてある連絡先に電話をしてみると 非常に落ち着いた感じの声のイギリス人らしき人物が電話に出できた。 私は、新聞のギタリスト募集の広告を見たんですが、オーディションを受けるにはどうしたらいいのでしょうか?と聞くと、彼は「僕らはプログレッシブ・ロックだけどいいの?良いんだったら何月何日の何時にクラーケンウエルの何番に来てくれる?じゃ待ってるから」と余り感情のない声で言った。 「あっ、それから僕らのバンドの名前はクエイザー(QUASAR)って言うんだ。じゃ後でね。」と言って電話を切った。 これが、クエイザーのバンドリーダーであるキース・ターナーとの最初の会話だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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