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オーデションも終わり、どうやら私が一番最後のギタリストだったらしい。
彼らは、スタジオの楽器を片づけ始めた、メンバーの話によると当時EMIから新しいUKプログレバンドを紹介するアルバムを作成中で、彼らも1曲提出しなくてはならないので、その録音の為にスタジオを移動しなくてはならないらしい。 楽器を片づけている彼らと雑談をしながら、私の頭にはある心配事が引っかかっていて、どうしても帰る前にはっきりと彼らに伝えようと思っていることがあった。 前回の日記の最後に「私がオーデションで弾いた曲のタイトルが分かったのは随分後になってからだった」と記述したが、実はこれには私の労働許可書の問題が拘っていた。 当時UK(United Kingdom)は、労働許可書を受理してから5年間はその職場で働くと永住権が申請できる。 この永住権を受理してからは、私が何の仕事に就こうが自由になるのだが、私がQUASARのオーディションに行ったときはまだ労働許可書が下りてちょうど4年目で、自由に仕事を選べるようになるには後1年の労働実績が必要だった。 私は、隠しておく必要はないと思っていたので、バンドのメンバーの前でキースにそのことを正直に話すことにした。 キースは、「そうか、残念だけれど、我々はミュージシャンのユニオンに属している手前、まだ君をバンドに入れることはできない。」と言った後、「来年ならどこでも働けるんだろう?だったらまたオーディションにおいでよ!」と言葉を繋げた。 私は、来年になってまたバンドのメンバー募集なんて虫の良い話は信じないので、早くうちに帰ろうと思いながら「All right!」と気のない返事をしたように思う。 彼は、「そうだ、せっかくこうやって会えたんだから家に遊びにおいでよ!家に出入りをしていればバンドの様子もわかるし、メンバー募集の時もいち早くわかるだろう?」と言ってこの間電話をくれた番号に電話して遊びにおいでと誘ってくれた。 バンドには入れなかったが、何となくこの時がイギリスのロック音楽業界のアングラ(アンダー・グラウンド)と呼んで良いものかどうかは分からないが、そのようなカテゴリーの世界に一歩足を踏み入れた時だったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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