「ホーバクの思い出」これはどうしても書き残しておこうと思って書き始めます。私と健作さん以外にも私たちのホーバクのことを覚えていてくれる人がいたらと思ってです。 知っている人もいますが、めーちゃんには生まれることが出来なかったお兄ちゃんがいます。 生まれていれば、今年小学校入学でした。 1997年の春に私は健作さんの家に入った。 韓国に来たのは1996年の12月であったが、 少し韓国語の勉強もしてからということで、その時期になった。 それから、姑は私が早く子供をもつことを望んでいた。 健作さんはその頃、韓国の歳で37歳。 遅いと言ったら遅い歳である。 私も早く妊娠したかったが、望みどおりにはいかないものだ。 その年は妊娠できずに終わった。 周りの人がどんどん妊娠してく中で焦りを感じ始めた。 その頃は粉ミルクのCMを見ても泣いていた。 切なくてたまらなかった。 その頃は薬局で薬の処方をしてくれる頃だったから、排卵誘発剤などを薬局で買っては タイミングを計ったりしていた。 私は実は、「多嚢胞性卵巣症候群」と言って排卵が起きにくい人である。 ひと月に一個の卵子が育って排卵されればいいのに、 このタイプの人はたくさんの卵子が一度に育つ。 わらわら育つから、結局は排卵にいたる卵子が一つも出てこないで共倒れと言うものである。 それで無月経状態が何ヶ月も続いたりした。 私たちの許にホーバクが来る前、1997年から9月から1998年6月まで 無月経状態だった. 続きはコチラ |